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ブンジュ村は実在するのか?シャーマンの予言と謎を徹底考察【ペンキ画家ショーゲン】

ペンキ画家ショーゲンとは

 2008年に入社した大手化粧品会社に勤めている中、ふと入った雑貨店でタンザニアアート『ティンガティンガ』を目にし、独特な構図と躍動感溢れる色彩表現に魅了され、自らティンガティンガを描くことを決意する。

ペンキ画家ショーゲン

 即日に退職願いを提出し『ティンガティンガ』の修行をするため、2014年単身アフリカへと渡る

 所持金10万円、語学力、コネクションすら無い中、タンザニアに赴き、タンザニアンアーティストとして最も定評のあるノエルカンビリ氏に弟子入り果たし、現地人と全く同じ食生活を共にしながら絵の修業を始める。

日本の感性が冷凍保存されていた村

 ノエルカンビリ氏の紹介で、ブンジュという200人が生活する村に日本人として初めて入村する。その村で彼は不思議な体験をすることになります。

 ブンジュ村では、かつての日本人の感性が冷凍保存されていたかのように今でも色濃く反映されており皆、生きる喜びに溢れた毎日を過ごしていました。

 村長はシャーマンの家系で、夢の中で縄文人とコミュニケーションを受け取り、彼らの生き様に感銘を受けてブンジュという村を作ったそうです。

 しかし、現代に染まった日本人(ショーゲン)を目の当たりにしたブンジュ村の人々は、日本人はみなショーゲンみたいになっているのか!と危機感をあらわにしショーゲンはブンジュ村の人々から、日本人が本来持っていた感性についてコンコンと教えられる毎日を過ごしていたそうです。

ブンジュ村シャーマンの口伝とは

 村長からすべての日本人に向けたメッセージを託されたショーゲンは、ブンジュ村で体験した数々のエピソードを引っ提げ、2023年彗星のようにYouTube界に現れます

 きっかけとなったのはTOLANDVLOGのお二人との対談動画。

TOLANDVLOG✕ショーゲン後半
アフリカの長老が明かす『大変革の日』が衝撃すぎる。

 ブンジュ村のエピソードをまとめた本は売上20万部以上のベストセラーに。一躍時の人になり、著名ユーチューバーとの対談に引っ張りだことなり、先日テレビ出演にまで至りました。

 彼が語るのは、生きる喜びに溢れたブンジュ村の人々の数々のエピソード。そして村長がショーゲンに託した日本人へのメッセージに心を動かされた視聴者も多いと思います。

 僕もそのうちの一人で、2023年10月18日のTOLANDVLOGの対談動画を見たあと、縄文や日本の神話、近代史に興味が湧き日本人の潜在能力の高さや、かっての日本人が大切にしてきた習慣や思想が現代において消滅の危機にさらされていることに驚愕の毎日を送っています。

ブンジュ村の教え

 ブンジュ村の人々が教えようとしていることはとてもシンプル。僕たちが心の奥にしまい目を背けていたことを、ダイレクトに伝えてきます。

『人が生きることを効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい』

 無駄を省いて効率よく生きようとしているけれども、無駄とか意味のないことの中に幸せというものがあるのにもったいない。いいかい?人生っていうのはいかに無駄な時間を楽しむかっていうテーマで生きているでしょ?

 自分が何者でもなかった子供の頃の心の中の本当の喜びって何だった?自分は何がうれしくて何に感動していて何にワクワクしていた?もう一回自分の中の本当の声に耳を傾けてあげないといけないよね。それが出来てる?

 食べることを作業にしちゃうと生きることも作業になっちゃうよ。忙しい現代に生きる日本人は、生きるために一番必要な食事中でさえも違うことを考えてない?

 ショーゲンは、皆と一緒に同じものを食べていたけれど、食べながら明日の予定のこと、一週間先のことを考えてなかった?みんなで食卓を囲んでいた時でさえも、ショーゲンだけは心はそこには居なかったね

 ショーゲンを見ていると、まるで人生をこなしているように見える。でもね、生きるってことはその瞬間瞬間に自分の心がそこに居るかどうかだからね。

 何をやる時も、自分の心はそこに居るかどうかを常に確認した方がいいよ。

村長がショーゲンに託した日本人へのメッセージとは

 この世は物質的豊かさを求めた結果、自然破壊からくる精神と肉体の乖離、自殺や鬱になる人が増えてしまった

 これが物質的豊かさを求めた先にあったものだと。

 いま日本に1億人居る日本人の血の中には、縄文時代に生きた愛されていた人たちのDNAが流れている

 これからは心が重要な世界になる。心の時代を引っ張っていかなければならないのは、元々心が豊かだった日本人あなたたちなんだよ。血の中にあるDNAを思い出してね。

 2025年7月5日。この日を境に世界は大きく変わる。人々はふるいにかけられる。権力や地位、お金で生きていた人たちが生きにくくなる。血が繋がっていなくても家族のように協力しあって生きていくようになる。

 その時までにいかに人と心で繋がり合えるかが重要なキーワードになる。

 それはまさに縄文社会そのものであり、日本人はその日までにかつて持っていた愛し愛されていた頃の感性を取り戻さなければならないよ。

懐疑的意見・検証

 各対談動画のコメント欄を見ると、中には懐疑的な意見があるのも事実です。

 『話が浮世離れし過ぎ。都合が良すぎる。矛盾する点が所々にある』などといった批判的意見も散見されます。


 Amazonのレビュー(2024年6月26日時点)をベースに見てみますと、高評価(★4と5)が全体の90%を超えています。低評価(★2と1)は全体の4%です。


 まず前提として、この世の中に二元論で分けられるものは存在しません

 SNSは急速に世界や物事を可視化させてしまったがゆえに、そのギャップに心が追い付いていないと感じます。

 一ヵ所否定的なところがあると、全てを否定したたく文化。本来の日本人はそうではなかったはずです。

 そこで思考停止してしまうのはもったいないと思い、内容が素晴らしいだけにどこまでが事実なのか、そしてどこまでが創作なのか、『いい話だけで終わらせたくない』からこそ、そこに目を向けて深堀りすることが大事だと思い、今回検証と考察をする記事を書きました。

 なぜならショーゲン氏の語る内容の本質は、ブンジュ村ではなくもっと深い部分にあると感じたからです。感動の心温まるストーリーの裏側には、彼が本当に伝えたいメッセージが隠れています

個人的に疑問に思った点

ブンジュ村の場所

 ショーゲンがブンジュ村の人々と村長から聞いた体験談である以上、やはり気になるのはブンジュ村の場所ではないでしょうか。

 調べてみるとなかなかヒットしません。あれ?とは思いましたが200人の小さな村という事だし、日本人として入ったのもショーゲンが初めてということで情報がないのか…

 確かにタンザニアにはブンジュ(Bungu)という地名はあるものの、人口数万人の街のようです。これは一体???

言語の壁

 ショーゲン氏は日本人であり、ブンジュ村の人々はスワヒリ語です。この言語の壁をどう越えてコミュニケーションを取っていたのか?

 この疑問を初めて投げたのがナオキマン(Naokimanshow 2nd channel)です。

Naokiman 2nd Channelの動画より引用しています。
2025年7月、アフリカの長老から日本人への警告とは?!

 この時に最初は通訳が同行していた。その後はスワヒリ語と英語を併用してコミュニケーションを取っていたと。

 そして村長は日本語が理解できていたそうです。

 通訳がいたとしても、日本語の特殊性を理解できるかどうか…どうでしょうか。

2025年7月5日

 都市伝説好きな人なら絶対知っているはずの2025年7月5日。ショーゲン氏は、村長からこの日を境に日本が変わる。ことを聞いたとの事ですが、7月5日と聞いたタイミングが対談相手によって異なっている発言をしています。

 初登場したTOLANDVLOG対談の際は、数か月前に村長が亡くなったとその息子から報告があって、その時に日付を聞いた。

TOLANDVLOG✕ショーゲン後半
アフリカの長老が明かす『大変革の日』が衝撃すぎる。

 しかしナオキマン対談の際は、2015年にすでに村長から聞いている。となっており証言に食い違いがあります。

Naokiman 2nd Channelの動画より引用しています。
2025年7月、アフリカの長老から日本人への警告とは?!

温かい境界線のエピソード

 海に入ってお互い向かい合う。そこに太陽のオレンジ色の光が水面に反射する。ケンカをしたらその日のうちに解決する。というブンジュ村の掟に基づいたエピソードです。

 朝ケンカをしてその後に相手に海に呼び出されたという話から、朝日ではなく夕日だと読み取れます。

 しかしタンザニアは東海岸にしか面していないので海に沈む夕日を見ることは出来ません

仮説を立ててみる

村と言語について

 一つの仮説ですが、『ブンジュ村』とはコミュニティの名称なのではないか?

 近年、自給自足を目的とした『エコビレッジ』という循環型の村作りが普及しています。日本では近年までほとんどありませんでしたが世界には約3000箇所存在しているそうです。

 村長は、自らの想いを村づくりに反映したと発言しているので、もしかしたら村長の中心とした、同じ志を持った人々集まって生活しているコミュニティなのかもしれません。

 それならば、縄文的な思想が村に色濃く反映されているのも納得がいきますし、コミュニケーションを積極的に取れた理由も分かる気がします。

 そして村に訪れた外国人に対して、循環型な生き方を伝え広めるように促すのも彼らの役目だったとすれば、日本へ普及させるためにショーゲンを呼んだのも不自然ではありませんね。

2025年7月5日の話

 これに関しては客観的事実がない限り、たつき諒氏以降、乱立している状態なので、後付けだと言わざるを得ないかもしれません。

夕日について

 温かい境界線のエピソードについては、海を池や水溜まりに置き換えてもほぼ矛盾はないので、伝わりやすい海に変えて誇張したエピソードだと分かります。

伝えたいことは何かを考察してみる

 次に彼がブンジュ村のエピソードを通して伝えたいことは何かにフォーカスすると、言葉の節々に感じられる『物資主義』の限界が本質なのではないかと感じます。

 例えば、日本人の感性を取り戻す大切さを深堀しまくっていくと、その感性とは、これまでの西洋の植民地文化の弊害(環境破壊とか人間同士のいがみ合いとか)を改善するための処方箋であるからだと僕は感じました。

日本人の消滅

 今の日本は薄氷の上に成り立っていることに気づいていますか?

 個人的には災害よりも、日本の文化や情緒(グローバル化による混血の進行とか移民受け入れ)の破壊の方が怖いと感じています。

 ショーゲン氏の伝えたい本質は、日本が医療、食、エネルギーを海外に掴まれている状況(自給率)などにも波及していくので、彼の言っている本質を警告だと捉えると、彼の話の本質はスピリチュアルでも何でもない。

非常に地に足がついていてリアルです。

 日本人消滅を回避するには、どれだけの日本人が、ブンジュ村に残る感性を今の生活様式に落とし込めるかがキーポイントになります。

祈りを忘れた日本人

 皆さんが子供のころ実家には必ず仏壇や神棚がありませんでしたか?和室の襖の上にご先祖様の遺影が並んでいませんでしたか?

 彼の言う、日本の感性の根底にあるのは、縄文時代から続く自然信仰を基礎とした八百万の神を祀る神道、神社信仰です。

 地球に生かされているという感謝の気持ちが自分を愛し、満たされることで相手を愛する争いのない縄文社会を生みました。

 この信仰が神話の通り天皇へと移管し日本の国体の元となります。その後、天皇家の連綿とした血のつながりの大切さと、自分たちのご先祖様を大切する仏教を主とした祖霊信仰と融合します

 これらはカルト宗教などでは無く、土着の生活様式として溶け込んでいた。

 しかし近代化と戦後のGHQによる教育の改変によって、神仏へ祈るという習慣が日本から消えていくことになります。

見えないものが僕たちを作っている

 物質世界とは、この物質が全てであり絶対であるという固定観念を植え付け、見えないものを否定してきた結果が、有る無いの二元論を生み争いの絶えない時代を生み出しました

 先祖と現世に生きる僕たちの関係は木にたとえられます。

 ご先祖様という根っこがあるから、現世に生きるたち(幹や枝葉)が存在する。一心同体の関係になっています。

 お墓に水を捧げる行為は、僕たちの成長に影響を及ぼす。つまり見えない意識(魂)が僕たちを形作っている要因になっています。

 僕たちの感情表現とは、心の見えない心情の揺らぎがあって初めて顕現します。つまり見えないものと見えるものは表裏一体であり、どちらも存在しています。

祈らないとどうなるのか?

 現在の生活様式の中に、神棚や仏壇に毎日祈ることが根付いている若者は少ないと思います。

 それは生活様式が西洋化した影響と、デジタル化が大きく影響しています。デジタル化は人々の距離を縮めた分、想いを馳せる時間を大きく減らしてしまいました

 同時にSNSによる世界の可視化が、共感性の強い日本人の心をすり減らしています

 SNSによる可視化は善悪や勝敗をはっきりさせる二元論的な思考に繋がり、さらにグローバル化によって世界に同調せざる得なくなった日本にとって、全く正反対の思想である自己主張と性悪説が支配する国へと変貌させつつあります。

デジタルコンテンツの脅威

 車や電車、飛行機が登場した20世紀以降の産業革命は人々に時間という余暇を与えました。21世紀はそれがデジタルコンテンツに波及します。

 デジタルコンテンツはスマートフォンの普及に伴って2010年以降急速に普及しました。デジタル産業によって今は流行や技術転換サイクルが早くなり、人々の距離は一気に縮みます

 昔は数年かけて少しずつ浸透していた文化が現代は1年持たない。


 大量伐採された山肌が保水力を失うように、文化は一過性の流行に成り果ててしまいました。


 時間という富は財貨のように蓄積できないため、人々は時間を使わなければならないという固定観念を植え付けました。

 すきま時間という言葉は、人の心の隙間をなくし余裕が無くなりました。皮肉にも、時間を生み出した張本人が、時間に追われることになる時代が現代です。

手を伸ばしてはいけない領域に入ったデジタルコンテンツ社会

 さらに時間の消費を効率化するコンテンツが倍速文化、映画や音楽などを早送りや切り取りで視聴する習慣です。

 これらの時短サービスはTikTokやYouTubeのショート動画などに始まり、2010年から2020年にかけて急速に伸びました。

 映画を観るのは作品を味わうのではなく、話題性を頭に入れるだけ。音楽もイントロを待てずにサビしか聴かない。

 倍速文化は芸術から生まれる『間』を破壊し情緒を消滅させます。同時に考える『間』がなくなり、想像力が低下、知識と知識を繋げる『知恵』が養われないことは『間抜け』になることを意味します。

ラットレース化したゲームアプリ

 アップデートというシステムはゲームから完結という概念を無くしました。いつからか『作品』ではなく、課金させて収奪するための資本主義用の『ツール』化しているように感じます。

 西欧米が提供するデジタルプラットフォームは労働ではなく娯楽から収奪する新しい植民地とも言えそうです。

試されている日本人

 2025年7月5日に関わらず、このままいくと不調和を起こしている世界は必ず後戻りできない日が来る。迫るデッドラインの重大さに気づかなければならないと感じました。

 彼は一部をフィクションで伝えているのは少し調べれば分かることだとお分かり頂けたと思います。

ただそのフィクションは真実の比喩です。

 エイリアンインタビューやアミ小さな宇宙人の著者も、真実はフィクションで伝えなければならないと言っています。

 比喩で伝えないと、陰謀論だと一蹴されて信じて貰えない二元論が蔓延る世の中だからです。

 重要なのはショーゲン氏の意図と、これらのエピソードを聞いて日本人はどう受け止めるのかの2つ。

1. このエピソードをいったん素直に受け止める、受け入れる許容力が残っているか。(懐の深さと性善説の心)
2.これらのエピソードを真実の比喩として伝えていることが理解できるか(想像力)
3.この比喩から分かる真実の重要性に気づけるか(主体性)

 本来エビデンスなんてものはこの世になかった。なんなら今まで常識だと思っていたことが覆されることも珍しくありません。

 ならば信じられるのは自分の心がどう動いたかだと。この感性こそが古来の人々が羅針盤として利用していた直観力ではないでしょうか。

二極化していく世界

 2025年7月5日の出来事によって人々はふるいにかけられて二極化する。日本人の感性の復活は、世界を根底からひっくり返すことができる力を秘めているかもしれません。

 2025年7月を筆頭に同時多発的に起きている口伝や予言の開示…今、日本人は試されているのです

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