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ずっとこの笑顔が見たかっただけなんだ!って気が付いたこと

 母には心からの満面の笑みでいてほしい。それだけのために幼少の頃から母の顔色をうかがってきたんだ!私の中のピースがまた一つピタッとはまったのは2021年の12月です。

 一代で会社を築くという昭和の男の夢を、陰で支えてきた母ですが、夢を支えてきたと言えば聞こえがいいのですが、本人は「犠牲になってきた」と言う方がしっくりくるらしいです。(笑)


昭和生まれの創業者を父に持つ子供や、創業者の妻は家族の思い出やだんらんなんてないよ!と言う方が多いと思いますが、我が家も例にもれていないようです(笑。

ちなみに私は、父親の顔を見るのは月に1度か2度くらいで、母はパートで働きに行き、話し方が天然でキツいので「お母さんは怖い」と言うのが幼少の頃の私の印象です。

「お母さんは怖い」と思っているので、いつも母にビクビクしながら母が怒らない様にと、母の顔色をうかがっていました。


私が20代後半の頃になると父の会社が軌道に乗り、私も母も父の会社を手伝う様になりました。その効果か(?)どんどん仕事が忙しくなり新店舗の出店となれば、母は1人で知らない土地へ転勤し0からの立ち上げを繰り返してきました。

父の命令で知らない土地へ転勤し、0からの立ち上げを1人でやってしまうのだから、男顔負けの気の強さと負けん気です。

 そんな母は世間の人が考える母親像とはかなりかけ離れていますが、仕事のパートナーとしては勇ましく頼りになる最高の存在なのです。


父もさぞかし助けられたことでしょう。


父の教えは血縁者が同じ会社で働いても目立つことはタブーで、人の3倍働き父を陰で支えると言うものです。

母も父の教えを実直に守り身についているので、スープの冷めない距離に越してきた1年前は、表情のかたい人になっていました。



私が二十数年前に金沢に移住した頃は、ポケベルから携帯電話に移行しつつある時代で、父の他に知り合いが居ない金沢で、30歳を目前にした独身女子が休日は父親に遊んでもらっていました。

金沢の土地勘がつくまでは、父に遊んでもらったことで金沢に馴染むことも出来たので、母が金沢に越してきた今は私が父にしてもらった様に、特に用事のない休日は母と遊んであげることにしています。


 私の楽しみの1つに「ふるさと納税」があります。全国の美味しいものをお取寄せするのが楽しみです

今年も北海道より「いくら」をお取寄せして、スープの冷めない距離に住んでる母にお裾分けしました。

いつも仕事で扱う商材として馴染みはあるけど、高価な「いくら」は気軽に食べられないので、私達もめちゃくちゃ嬉しいものです!どうだった?と母に感想を聞くと

「めちゃめちゃ美味しいー!贅沢だわぁー」と満面の笑みです。母の満面の笑みをみてドキッとしました。


「あっっ、、、、この笑顔、、、」幼少の時から母の顔色をうかがって、ずっと心の奥底にあったモヤモヤが晴れました。


母の心から嬉しそうな満面の笑みを見たかっただけなんです。そのために母の顔色をうかがって、ああでもないこうでもない、口煩く母に説教してみたり、プレゼントをあげたり旅行したりして、母のご機嫌を伺っていたんだ!

幼少からのモヤモヤが解消されてスッキリした瞬間でした!

母の人生を考えると、19歳で母親になり自由奔放な配偶者に振り回され、気が付けば定年の年齢になっていた。何処かに自分を置き忘れていた人生だったのかもしれないと思います。

なにげない日常が、心からの満面の笑みがあふれるものにしたいと思うのです。