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ヴァグラントは、僕の隣に君の隣に駅のホームに学校に職場に家にスマホに心に夢に
ネタバレ有りの感想になります。これから見られる方、TV放送にて視聴する方は内容に触れるのでこれを踏まえて「ネタバレOK!」「心臓が弱いので内容を知ってから見たい」という場合のみご覧くださいませ。
まず、僕個人の話。僕はヴァグラントを楽しみにするあまり、チケット先行予約販売当日に購入し、当日券も買い、全部で4回観る予定だった。
Q,何故そんなに観るか?
A,僕がミュージカルを見ることが初めてだったから。
演者がダブルキャストである理由や、組み合わせによって違う世界が見れるのかどうか。という事を自分の目で、初めてのミュージカルで確かめたかった。
しかし、僕は全ての東京公演を観ることが叶わなかった。何故か?単純明快、落選と毒キノコの胞子にやられたからだ。(毒キノコについて詳しくは晴一さんのnoteに書いてあるよ)
皆さんは、大切にしてる人はいるだろうか。自分の人生の一部と言えるほど、大切な人。僕はその大切な人が本気で頑張った晴れ姿の、前半を全て見られなかったのだ。
ただ、僕は全く絶望していない。僕はこの時思ったのだ。全てを観れるとは限らない。子供の運動会や、友達の結婚式と一緒だ。自分が整ってなければ、一つも観ることができない。
「また会おう」
昭仁さんがライブの時に言う言葉だ。私はこの言葉の重みが、初めてわかった気がする。
全部のライブに行けるとは限らない。私たちは私たちの限られた時間の一つ一つを、大切に推していかないといけない。
例えば推しがあと10年活動したとする。
会えるのはあと何回?仕事は?結婚式は?子供の熱は?推しに会うたった1秒前まで、何があるかわからないのが人生。
最初から、行けるイベントも会える時間も決まっているのだ。
大事なのは会った回数じゃない。推しから吸収したものの濃さだ。私はそれを今回学んだ。
それで言えば今回のミュージカル「ヴァグラント」は、晴一さんの出演は無いものの、晴一さんの頭の中を直接覗き込んでいるかのような気持ちにさせるような「濃い」時間だった。
話を戻そう。ヴァグラント前述の通り「ヴァグラント」ではなく「新藤晴一」というタイトルに変えても良いほどの、濃縮還元されてない晴一さんの剥き出しの才能を感じる作品だった。
セリフ、芝居、役者、舞台セット、構成。全てを合わせて一つの「曲」のようなミュージカルだった。
始まった瞬間から、晴一さんが何故この時代を舞台にしたのかわかったような気がした。
私の少し後ろにある席で同じように観劇している彼の表情を見たいとすら思った。私たちのリアクションが彼の中でどこまで「思惑通り」なのか知りたかった。
というのも「変化」に対するエネルギーを表現するにあたり「何かを変えたい」と願う人々の思いが観客を熱くして、晴一さん自身書きたかった思いだったんじゃないかと私は思った。
それにあたり、当時事故が多く危険な仕事なのに賃金は低く、子供の教育もロクに与えられなかった炭鉱の街を舞台にして、米騒動と掛け合わせたのはなるほど。と思った。
このミュージカルの「熱さ」は「変えたい」のエネルギーからくる。佐之助はそこに人の正体を見出そうとしてる。やがてヤマの人々の持つ「変えたい」トキ子の持つ「強くなりたい」佐之助の持つ「人を通して自分を知りたい」という感情が複雑に絡んでいく。
始まった瞬間から冷静さを失い、涙が止まらなかった。踊り、歌、演技、衣装、セット、人々の細部にまで「呼吸」があった。晴一さんがミュージカルを好きな理由がわかったような気がした。
踊り子が踊り、目の眩むような色彩が視界を埋め尽くす。この瞬間から、私の世界は「ヴァグラント」の中に没入する。
晴一さんがこの舞台を作るまで努力と失敗と成功を何度も繰り返し、周りの人々を巻き込んで信頼させて「この人になら」と板垣さんが思うまで突き詰めたこの「生き物」みたいなステージ。
ああ、晴一さん。夢を叶えたんだね。やっぱり、晴一さんは世界一凄いね。ほら、桃風が舞ってる。佐之助が熱をこっちにも届けてくれる。政則がモヤモヤしてる。会長が威厳を振り翳してる。炭鉱夫達が熱く講義してる。
綺麗だ。綺麗事ではない世界の、美しいエネルギーだ。
涙を何度も拭いながら、しっかりと最初の祝い歌を見届けた。そして私はびっくりした。
「え、桃風と佐之助歌い終わってもはけないの?」
舞台の端でも、キャラ達は演技をしていた。
そして晴一さんがラジオで言っていたさゆりさんの言葉を思い出した。
『人の気持ちは四小節で動いてない』
なるほど。こういうことか。そりゃあ、自分達が終わったからって、式典の途中に帰らんよな。区切りを付けるのがマレビトの仕事。区切りを付けられたかどうか、見届けなきゃね。ものすごく納得した。
出だしから一気に世界観に引き込まれた。上辺だけの対応で人々を納得させようとする会長。懸命に根本を変えようとする譲治。目の前の楽にありつく炭鉱夫たち。どこか甘い、「おぼっちゃま」の政則。
佐之助の抱える胸の痛み、桃風がペアの理由、全てに細かく理由が設定されている。
ヤマの人々も、日中働いて夜は酒を飲んで、奥さんに怒られて。奥さんは女だてらに子供育てて男と同じように稼いで。
ヤマの人たちに感情移入が止まらない。うんうん、飲んでばっかの男はムカつくよね。子供に勉強させてあげたいよね。貧乏が遺伝するなんて、絶対に嫌だよね。子供には、子供の望む人生があるものね。
なんて強くて愛くるしいキャラ達だろう。観客の私たちも含めて「ヤマ」の一部なように思えた。それくらい、一瞬でこの空間にヤマの人々に命が吹き込まれる。
桃風が物語に「香り」で艶を足す。晴一さんの曲みたいな展開だ。艶があって、熱がある。チサちゃんが、マレビトの優しさを引き出す。佐之助に感情移入させる導入として、とても重要な役割を果たす。松と香が、重大な伏線を張る。
メインの動きをしてる演者たちの傍でも、人々が生きていて「暮らして」いる。
それもあって、それぞれのキャラクターに息が吹き込まれて別々の魅力がある。2.5次元ミュージカルにハマる人の気持ちがわかった。この舞台の上で、キャラクターたちは「生きてそこにいる」のだ。
掃いて捨てるような扱いの炭鉱夫たち、触れれば不幸になる疫病神として扱われるマレビトたち。「迷信だ」と言い切り、彼らに一人の人間として向き合う譲治。その賢さと聡明さに心が動く佐之助。
佐之助が「人」と心を通わせる為に重要なシーンだった。佐之助に人々が触れる。「マレビトに触れると寿命が縮む」この言葉が伏線のような気がした。触れた人の中から、もしかして誰か…?と考えた。
彼らの変化に自分も混ざりたい、自分の探している答えが、ここでなら見つかるかもしれない。そう考えて掟を破りどこまでも深入りする佐之助と、大胆不敵なように見えて繊細な心を持ち合わせている桃風。桃風、めっちゃ重要。
そして物語の端々で入る「笑いどころ」やアケミの登場ら政則の恋心。
これぞ新藤晴一だ。本来ジョーク好きな普通のご陽気おじさんなのだ。一生人の恋バナイジってるタイプの。
泥臭い炭鉱夫たちの話に「男女」の艶が足される。その艶の中にも重大な伏線が張られていく。
目が離せない。これだけ艶めかしく、一癖ありそうなアケミだが作中ずっといい女なのだ。正しさと優しさを持ち合わせ、強さも弱さも見せる。時折見せる影のある表情が、私を署長に仕立て上げる。こんな人、好きにならないわけがない。私だって「ル・ラパン」に通い詰めたいしなんなら働きたい。
うさ耳ダンスを誰よりもキレキレに踊ってアケミちゃんに褒められたい
個人的な気持ちが入ってしまった。てか平岡祐太でっかくね?巨神兵?
当時本当に事故の多かった炭鉱労働。事故の日とトキ子の両親が死んだ日は同じ?なんかみんな10年前に囚われて生きてるのね。
トキ子は一度ムラを出たのに、また戻って来たのか。
そして第一の理不尽。強制労働。話聞けよ政則。人の話を聞く余裕も器もない政則により、佐之助達は炭鉱でしばらく働くことになる。
この時の「ザンバラムハラ」だっけ?ものすごく印象的で、私は歌の中でこれが1番印象に残った。頭の中でずーーーーっとののかちゃんと凌大くんが歌ってる。
そしてこの後の「炭鉱の歌」
この歌は炭鉱学習のテーマソングにしてもいいくらいの完成度だった。
凄い。坑内の熱、過酷な労働、地獄の方が、ここよりマシ。粉塵で死んだ父。苦しい、息ができない。リアルな苦しさが、こちらに伝わってくる。この理不尽さが、晴一さん。
そして「おふねのえんとつ」
めっちゃ自語りだが、私は悩んだ時いつも行く海がある。別に綺麗な海でもなく、何か特別な海じゃない。浜も濃いグレーで綺麗じゃないし、海もくすんだブルー。
ただ、遥か彼方まで水平線が続いている。水面に太陽が反射して、光が揺らめいている。遠くで船が一隻、汽笛を鳴らす。
私も、連れてって。どこか遠くて、誰も知らない場所に。ここではないどこかに、私も乗せて渡って欲しい。
何度そう思ったかわからない
この歌であの日々を、私は思い出した。
時代も、環境も違えど、人々は悩めばどこか遠くの、今と違う景色を求める。その場所に何があっても、知らないよりは知りたいし、今に囚われて生きるよりいいと思ってしまうのだ。
過酷な中でも、米騒動を通して懸命に自分達の待遇を変えようする女性たち、1人だけ真実を知り、秘密を抱えて見守る桃風。エネルギーは常に前に向いている。
トキ子のエネルギーだけが、過去に向けている。前に進めるために、政則も佐之助も奮闘するが、悪いことは続く。
会長へのヘイトを貯め、最後の暴動に向けるために、必要なシーンが訪れる。チサは絶対に死ぬと思った。ここで死ぬことで、エネルギーを最大限引き出すと思っていた。
でも死ななかった。言い方あんまりよくないし、合ってるかわかんないけど、晴一さんは「親」なんだなと思った
時の尾を書いてた頃の晴一さんなら、間違いなく殺してたと思う。
まぁここはたぶんそういうとこじゃなくて母の死に際の言葉に対し、トキ子に疑問を持たせるための場面だが。チサが死んでいたら、炭鉱夫たちは会長を殺していたかもしれない。
いやいや、なんで政則をボコすんだよ!政則別に悪くないだろ!政則は負担を和らげる為に頑張ってるじゃないか!なんでそんな袋にするんだよ!悪いのは政則の父ちゃんだろ!坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってか?政則は確かに甘いし、反抗もできないけど、ヤマのみんなのために必死だった。
そしてここからは、佐之助の快進撃だった。
ヤマの人々のためにボッコボコにされる佐之助。ボッコボコにする政則とトキ子。ここで人々は佐之助にちょっとだけ、心を動かさる。
そして会長の横暴は続き、人々はより暴動に向けて気持ちを高めていく。
署長、暴動は死刑だとどうして全員に伝えない!!譲治も!!と思いながら見ていたが、ここで働きながら苦しむのは死ぬのも生きるのも同じなのかな。と少し思ったりもした。
ここで前半の松と香の伏線が回収される。佐之助がトキ子に言った「なんか聞いたことあるんだよな」も回収される。
あ、復讐しないんだ。ここも意外だった。時の尾を書いた時の晴一さんなら迷わずぶっ◯して健三郎の骨を墓石にするくらいの事はしそうだけどな。
そして暴動が開始され、政則と譲治、トキ子が走り出す。
裏でチマチマ動いてた佐之助が、ここで大活躍する。中立な立場で見守る桃風がいいアクセントだ。桃風も、どうなるか自分の目で確かめたかったんだろう。
政則がダイナマイトを持って、会長と心中しようとするシーンはとても良かった。追い詰められれば、腹を括れるんだなと思った。そして歌の中にあった譲治の「お前を守りたい」という台詞。本音が垣間見えて、胸がギュッとなった。譲治とトキ子は直接絡むシーンがほとんど無い。政則とトキ子はあるけど。2人ともそれどころじゃ無い感じ。
でも根底にある心は譲治も政則もたぶん同じだ。譲治の性格的に、炭鉱夫の自分とじゃ幸せになれないと思ってそう。
借金は帳消しされ、労働条件も改善することが約束される。
「苦しい時代を生きる事になる」
政則の言葉が、私の中に残る。
私は自身の住んでいる場所が長崎県で、長崎県にも炭鉱で栄えた島「軍艦島」がある為、炭鉱の文化について学習したことがある。
炭鉱文化は、廃れていく。
晴一さんも恐らくそれは知っている
エネルギー革命や戦争の影響により、より安価で大量生産の可能な石油に資源が移り変わってゆく。それが原因で、炭鉱は面影も残さず廃れてゆく。苦しい時代は、明けることなく終わりを迎える。
100年後の今は、跡形も無い。
あれだけ命をかけて政則やトキ子、譲治が守った山もいずれは閉山してしまう。
復讐は果たせないまま
自分の正体もわからず、人が怖いまま
失うレールは敷かれたまま
これは本当に、ハッピーエンドなんだろうか。
花火を見ながら、踊る群衆。告白する政則を、見守る温かい目。どこか遠く感じる。
人々は、熱を持つ。
佐之助に、お礼を言うトキ子。手を振るヤマの人々と、佐之助。
時代は変わる。どんな時代でも、人々は熱を持つ。美しかった。生きるとは、痛みであり、苦しみであり、絆であると感じた。
ハッピーじゃない時代が待ってるとしても、人々は希望を求めて熱を持ち、生きるのだ。
ハッピーな未来じゃないとしても、人々は前に進むしか無いのだ。「嘘でも前に」誰の言葉だったっけ。胸に掲げて生きてきたつもりだったのに、いつの間にか立ち止まっていた自分にもう一度この言葉が刺さった。
晴一さんの言葉だ。
この人の言葉は、何度でも刺さる。
あれから何日かが経過した。生きてればいい事も悪い事もやっぱりあって、私もそれなりに傷ついたり落ち込んだりを繰り返している。
そんな時ふと、背中に触れる手がある。目を閉じると、祝い唄が聞こえてくる。
電車のホーム、トイレ、職場、部屋、お風呂、夢の中
佐之助と桃風が舞い、こちらを見ている
進め、進めと
明日を指差す
ヴァグラントは続く。佐之助と桃風と同じ
ように私たちもまた、旅人なのだ。