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印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵(東京富士美術館)

こんな巡回もあるのだな。今年の春六本木の国立新美術館で開催されたのがもう八王子にやってきた。

その時の自分のnote記事を読み返すとあまりお気に召したものではなかったようだ。でもせっかくなので再訪するか。八王子夢美術館との合わせ技でも行けるし。

↑これの後に行ったのだ。

もともと東京富士美術館所蔵作品も展示されていたので里帰りツアーなのかな。で、富士美術館は撮影OKなので六本木でダメだったのも解禁されるのかもしれん。そんな期待を持って。

そしたら案の定!

おおお!これは池田大作先生の御威光だろうか

では写真付きで国立新美術館の記事をリバイズすることにする。

noteの記事を「複製」する機能って初めて使ったよw。


到着までのグダグダ話

ところがここにたどり着くまでこれまたバスで一苦労した。Google先生にまただまされた。八王子夢美術館からの行き方をググると八日町4丁目というバス停から一本で行けるようだ。美術館のすぐお向かいのバス停だな。

しかし待てど暮せどそのバスが来ない。ってかそれらしきバスが素通りしている気がする…。バスのルートを辿って先に歩いていくと同じ名前のバス停が離れたところにもうひとつあった。クソ暑い中、別の方で数十分待っていたよトホホ…。

わかるかー!

到着

後にチラッと見えるのはブールデル《勝利》

ウスターって、ウスターソースと関係あるのかな。

ちょっと調べるとウスター=Worcesterとは、イギリスのウスターシャー州ウスターのことだとか。ウスター美術館はアメリカにあるんだけどな。

アメリカの地名はイギリス由来のものがある(‘’ニュー‘’ ヨークとかね)から当たらずとも遠からずかな?

で、ウースターソースは英語で

Worcestershire sauce

というらしいのでやっぱり関係あるんだ。

それはともかく入場。

トマス・コール
《アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊》1837年

水面に映えるゴンドラ船がきれいな他は、額縁の四隅を意味不明に埋めてるし大した事ない絵じゃんと思ったけど、近付いてみてみたら、細かく川辺で活動してる人々の様子が面白かった。

以下部分拡大

メアリー·カサット
《裸の赤ん坊を抱くレーヌ·ルフェーヴル(母と子)》 1902-03年
*
これ写真撮るの忘れちゃった…。

赤ちゃんのおしりがかわいい👶
横浜でカサットを見たのはもう8年前か。(思い出深いが読み返すと誤字脱字が酷い…)


ギュスターヴ・クールベ
《女と猫》1864年

もうベタベタの使い古されたモチーフ(しかも女性がだいぶ残念)。クールベアニキの当時のアカデミーに対する強烈な皮肉らしい。あの「世界の起源」も「高尚そうな御託並べたって、どうせおまいらが見たいのはつまりこれだろ?」と挑発していたのであれと同じことだな。

念の為ググったらこんな記事が出てきた。誰のお毛々だったとか、んなもん調べるなよ…。

ピエール=オーギュスト・ルノワール
《アラブの女》1882年

オリエンタルなルノアール作品ってたまに見るが、これはゴージャスでなくあっさりと市井のお姉さんを描いてる。これいいな。今回いちばん目に止まった絵かも。こんな絵も描けるんだなって(天下のルノワールさまに向かってお前何様だ?)


ベルト・モリゾ
《テラスにて》1874年

これマネおじさんが筆入れてるよね? マネ作品でよく見る妖怪っぽい顔の表現。
富士美術館所蔵なので前に見たかも知れない。過去ブログ検索してみたが引っかからなかったけど。

🗻🗻🗻

こんな具合に珍しいものがいくつか見れたとはいえ展示作品が少ない。目玉もあまりない。あまり貸出させてくれなかったんじゃないか。予算の関係もあったろうし。富士美術館やら国内で調達したものも少なくない。

↑なんてことを前回新国立美術館開催の記事で書いていたが、見落としていた逸品も少なくなかったようだ。以下は再訪して新たに発見したものたち。

ピエール=オーギュスト・ルノワール
《闘牛士姿の アンブロワーズ・ヴォラール》
1917年

こないだのデ・キリコ展でデ・キリコが自画像でやってた闘牛士コスプレじゃん。本家がやってたのか🐄


ポール・セザンヌ
《「カード遊びをする人々」 のための習作》
1890-92年

この絵を描くのにかなりの試行錯誤をしたそうだ。セザンヌって、ピサロに師事してたのか。知らなかった。なるほどね。色使いは通じるものがあるかも。しかしピサロは死ぬほど退屈な絵だけどセザンヌは似たような色調を使いながら独自の世界を作ってる。

絵の人物、カード遊びはしているが、セザンヌは人を描いてない。リンゴとかの静物画と同じくたまたま人の形を取った美のイデアを追い求めている。服の複雑な配色(意味はわかんないけどここもかなりの試行錯誤があったはず)、テーブルに両肘を突いている男のシルエットはサント・ヴィクトワール山を誰もが連想するだろう。セザンヌの目には人も果物も山も同じように見えたのだろうか。絵の対象物が○△□に見えたように。

6. まだ見ぬ景色を求めて

New Directions and Frontier Lands

企画展の最終章に「トーナリスト」なるものが出てきた。

ドワイト・ウィリアム・トライオン
《秋の入り日》1908-09年
ドワイト・ウィリアム・トライオン
《川、日暮れ》1892年

これらの絵のキャプションで「トーナリスト」という言葉が出てきたのだ。

tonalist ってなに? ググったら馬ばっか出てきた🐎

tonalist paintersでやっとそれらしき説明が出てきた。

うーん、アメリカのバルビゾン派というか、東山魁夷? 侘び寂びの世界じゃなかろうか。

上に載せたこの章の解説のトーナリズムに関する部分を抜粋すると

19世紀末のアメリカでは、風景画に取り組む画家たちが、絵画に情調を導入する方法を模索しました。ハドソン・リヴァー派から発展したと考えられるトーナリズム (色調主義)は、印象派の大胆な色彩と視覚への固執に対し、淡い色彩と目に見えないものの描写を重視してゆきます。

なるほどな。アメリカにも侘び寂びを理解する土壌があったのね。描く対象を敢えてモノとして捉えたセザンヌと対照的にトーナリズムは逆に絵の中に人はいなくても、描いた人と見る人の心情が込められているのか?

前回来た時はまっっったく印象に残っていなかった。やっぱり展覧会は二度足を運ぼう(1回目にしっかり見ろ?)

🗻🗻🗻

実際に見た順序と逆になるが、常設展も相変わらずおもしろかったので、載せておく。

作者不詳(レオナルド・ダ・ヴィンチに基づく)
《タヴォラ・ドーリア》
(アンギアーリの戦いの軍旗争奪場面)
16世紀前半

これ、ここで見逃したのを京都で見たんだったな。詳細は以下ブログで。あの時は撮影不可だった。

あの時もあった再現フィギュアも展示


ブリューゲル(子)
《農民の結婚式》 1630年

この絵については前回来た時おもしろくてブログにあれこれ書いてる。

今見てあらためて気付くのは、登場人物みんな好き勝手にしてるのはシャガールっぽいんだ。

こんなコスチュームもあったんだ。

もっこりおじさん卑猥?

まあブラジャーだって目的は同じだしね。

ジャン=オーギュスト=ドミニク·アングル
《ユピテルとテティス》1807-25年頃

京都の「えき」でこれ見た覚えがある。しかしどうしてアングル先生の裸婦は胴体が異常に長いのだろうか。

インドネシア美術!

まったく想定外で驚いた展示が

インドネシア共和国大使館様
ありがとうございます!
《ガルーダの彫刻》1950年代
作者不詳

ガルーダ様! かっちょいい!🦅

「ぐわし!」とはちょっと違うのか

インドネシアキャラいいよね。あの影絵も最高👤

たしかガルーダはインドの神様だったよな。インドとインドネシアの関係がもひとつよくわからん。また勉強させて頂きます🇮🇩


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