第5回私の代表作展(ホキ美術館)
千葉滞在3日目。前日行く計画だったが千葉市美術館が面白くて長居してしまい一日ずらした。二年ぶりのトケにあるホキ美術館。前泊ホテルより直行であさイチ入り。
うまいこと1時間に一本しかないバスに乗れ(電車に合わせているのだろうけど)開館前に到着。
ここは写真撮影NGなんだけど、Free Wi-Fi完備!とかなってるから絵を見ながらスマホをいじくるのはOKなのか。キャプションにあるQRコードで作品解説も出せるし。
島村信之
《西窓》2013年
配置物への細かい配慮がわかる。窓辺の小物、寝そべったソファから垂れた髪、あんよの指。
《月夜》2015年
裸で月光浴するとなんたらかんたらいう話がまんきつさんのマンガであったような。Amazonで探したらサンプル画像の4枚目に見つけた。
確認したら日光浴だった…(真っ昼間にそんなことしてたのかよ)。
生島浩
《5:55》2010年
今日はここにいるのね。かつて書いたキモ感想が懐かしい。
《月虹》 2012年
たぶん初めて見るかな。5:55のおねえさんよりリラックスしてる感じ。こげ茶色したややレトロな服装でキョロっとした目を横に向けている。このモデルさんもいいな。ちょっと早見優入ってるかも。
野田弘志
《「崇高なるもの」OP.6》2016年
保木さん(初代館長さん)の肖像だよね? 前もあったけどメガネかけてたっけ? 定期的に更新してる?
小尾修
《forme》 2023年
新作かな。壁に向かって腰を90度に折曲げ壁に肘を当てて上半身をまた90度上に反らす中国雑技団もびっくりな拷問的姿勢。モデルさんに訴えられないだろうか(実際にこんなポーズ取らせたかは不明だが)。
天を仰いだ頭から流れ落ちる髪の毛が滝のよう。前も思ったけど水の流れとか意識して描かれるのだろうか。
地下会場へ降りいよいよ今回の特集へ
第5回私の代表作展
これを見に来た。選ばれた実力派画家さん達によるここでしか見れない新作発表会!みたいな感じかな。
HPのメッセージによれば
ひえぇ、これすげえプレッシャーじゃないか。たしかに力作揃い。
会場で展示品に添えられたQRコードで制作者による肉声がスマホで聴ける。要はURLで飛ぶので、その直リンクをここに貼れるんだけど、まずいよね。実際に行かれたし。
作品画像や解説コメント自体は以下サイトで見ることが出来ます。
廣戸絵美《小さな物語》 2023年
長椅子ソファにコーデュロイのズボン履いてぬいぐるみと一緒にちょこんと体育座りしてる2歳くらいの子。かわい〜!萌死にそう〜!! 最初男の子か女の子か迷ったがモデルは息子さんみたい。
特別笑っているわけでもない。「ママ、ずっとこうしてればいいの?」みたいな表情かな。
この絵と関係ないが、こどもといえば、会場の別の絵で(「月夜」だったね)小さなお子さん連れのママさんが「ほら、すごいでしょ、これ絵なんだよ、見てごらん」と抱きかかえて絵のそばに寄せたら「おっぱい!」
次の絵に行っても「おっぱい!」
うむ、君は正しい! おっぱいおっぱい ( ゚∀゚)o彡゜おっぱい!おっぱい! といっしょにやろうかと思ったが出禁になりそうなのでやめておいた。
大畑稔浩《出雲風景―日御碕灯台》2023年
出雲大社の近くの「出雲日御碕灯台」と周辺を描いたもの とのこと。なんだこの光り輝く海は⭐🌊 美しすぎる。
小尾修《鼓動》2023年
作者コメントで「作品のモデルは、コントーションと呼ばれる身体表現をしているパフォーマーの方です」とのこと。あら?さっきのクネクネしてた人もそうだったのかな。
片膝を抱えて椅子に横に座る全裸女性。画中画に石油ストーブの上に乗せられた昔ながらのやかんがあるのはなにか対抗させているのだろうか?🫖 おしりが熱い暗喩?!
諏訪敦 《Utsushiomi》2023年
これも実際にこんなポージングするパフォーマーの方をモデルにしているらしい。デジタル化けしたような縦線はフランシス・ベーコン入ってるかも。時空が歪んでいる。
野田弘志 《「崇高なるもの」OP.9》2023年
さっきと同じモデル? 保木さんかと思ったら作家の加賀乙彦さんだったのね。中に着てるネルシャツはユニクロかな? 似たような柄の持ってる。
緊急企画「写実絵画の今後を考える」
写真との棲み分けに成功した写実画家たち(そうなのか?)…と思ったら、今度は生成AIのCGなんてのが出てきやがった。
今のところどんなに精巧でもまだどこか不気味な部分の残るものになってはいる。
Amazonで「CG ヌード写真集」と検索するとうじゃうじゃ出てくるよ。
ぶっちゃけ、これで興奮できるか?ということ。だが早晩技術の進歩でこのへんは乗り越えられるだろう。でももともとエロアニメや二次コンジャンルってあるし。なにが違うというのか。
写真が出てきた時、廃業に追い込まれるだろうと思われた当時の画家たち。実際そうなったひとは少なくないだろうがそれでも人の手による絵画がなくなることはその後もなかった。
写実画家がどんなに写真みたいな絵を描いてもどこかに現実ではないウソがある。制作者の感情や思想による改変がどこかに込められている。それが絵の価値だろう。
写真でもそれはある程度可能なのだが、どちらかと言えば写真の場合は撮影者が求めるものにピタリあった現実の一瞬をうまく捉えられたかという「運」みたいなものに左右され評価される。
生成AIのCGはどうだろうか? かなりの恣意性が込められて、描画や撮影テクニックがなくても自分が求める現実イメージそっくりの画像を召喚してくれる。写真と絵画のいいとこ取りが出来るといってよい。
どうすんだろ?すべてのクリエイターは機械に淘汰されるのだろうか。
技術革新が起きて旧技術が追いやられる。橋を架けると矢切の渡しが職を失う問題はいつの世にもあった。
ただ考えてみたらSF映画なんかはとっくの昔に生成AIじゃないけどCG駆使した映像表現をしてきている。それで「人間の仕事が奪われる!ひとの尊厳がかが」なんて声はあまり聞こえてこない。知らんけど。
「ジュラシック・パーク」第一作のメイキングビデオを見た時、最初は模型のアニメであの恐竜を作ろうとしたらしい。ところがスピルバーグがCGですんげーのが出来るらしいぞってな情報を得て、急遽全面それに変更となった。
それまでの模型アニメ職人さんは同然クビになると思いきや、結局CGを設計するのに恐竜の生態や関節の動きなんかを計算に入れないと作りようがないため、残ってその技術指導を行ったとかなんとか。
そんな風に生き残るのが理想なんだろうか。ただ、それももう二十年以上前の話。今でもその職人さんは仕事があるのか? とっくにコンピューターにノウハウをすべて学習されてお払い箱になってたりするのだろうか。こうした問題まだまだ考え続けていかねばならない。
🐈🐈🐈
バーミヤンで、猫ちゃんロボットが運んできたチャーハンと餃子をかきこみ無人のセルフレジで支払いを済ませながら そ ん な こ と を 考 え た 。
…とこの記事を締めようと思ったら、無人レジはなくて有人だった。まだ人間は必要とされているようだ。
なんかAmazonサイトの埋め込みがうまくいかないんだけど…