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修証義を読む⑤

こんばんは!
今回のバーチャル坐禅会は「『修証義』を読む⑤」
『修証義』の第一章の最後の節を読んでいきたいと思います。

これまでの続きとなっております。前回までの内容が気になる方は、これまでの記事を参考にしてください。

第5節 善悪業報の中でどういきるか?

まさに知るべきである。私たちの命というものは、二つも三つもあるわけではない。その貴重な命を大切にするために、私たちは自分の行いについて深く考えるべきです。身勝手に自分の行いが悪いことではなく、さらにその業も自分には返ってこないとと思っていたとしても、自分の業が自分に返ってこないことはないのです。

私たちの命というものは2つも3つもあるわけないです。たった1つしかありません。

大切な命、大切な人生を生きていくためにも、自分自身の行いというものに向き合っていかないといけません。

人間って自分勝手な生き物です。自分の行いが悪いことだと思っていくて、さらにはそれが自分に返ってくるわけないと思っていたとしても、悪い業というものは必ず自分に返ってきます。

だからこそ、自分の行いについて深く考えるべきです。

善悪とは?

これまでの『修証義』の第一章では、善悪業報が主なテーマになっていたと思います。皆さんからも善悪について様々な質問やご意見を伺い、いろいろ勉強させていただきました。

善悪とは?っていうのってとっても難しいことで、正直答えなんてものはそれぞれだと思います。
難しいですね

七仏通戒偈

仏教は悟りの宗教です。自分自身の修行によって、悟り苦しみから解放されます。
自分自身を清らかのするものが善になり、逆に自分を苦しめる行為というものが悪になります。
自他ともに安楽をもたらす行為というものを仏教ではめざしています。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

戒律

また、「戒律」というものもあります。
いいことや悪いことの判断って難しいです。そんな時の為にやってはいけない10のこと(十重禁戒)というものもあります。

四摂法

四摂法という4つの修行があります。だれでもできる4つの善業です。
相手の立場になり、相手のことを思っての行為が善業になります。

善業とは

今までの坐禅会で皆さんからいただいた質問の答えになっていないかもしれませんが、清らかな心というものが善だと思います。

しかし、その清らかな心というものは自分自身の中にあります。
自分自身と向き合うのが仏教です。自分自身の心の心と向き合い苦しみを脱する宗教です。
先ほど坐禅を体験していただきました。

自分自身と向き合い、善い行いに意識をして一日一日を大切にしていただけたらと思います。


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