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「ココが変だよ!!遥かなるエルドラド」 現代に影響を与えたエルドラド伝説。創作物のフィクション要素を正しく理解して楽しむということ。歴史を学習について。

あいさつ

 こんにちは、Noteではお久しぶりです。

 今回は遥かなるエルドラドのフィクション要素と歴史をテーマに語っていきたいと思います。今まで私が様々な文献や経験から得た学びを込めた結果、自筆&引用部分合わせて28000文字弱の長文になってしまいましたが、この記事を読んでくださった方が遥かなるエルドラドを別の視点で見れるよう、情報を提供できればと思い執筆いたしました。

 本記事の構成は以下となっております。

  1. 第1部 歴史の旅に出る前の準備 用語の説明

  2. 第2部 本題「ココが変だよ遥かなるエルドラド」

  3. 第3部 フィクションはフィクションだと理解して楽しむ事が出来ないと創作物を楽しむのは難しい

  4. 第4部 史実から見た時のエルドラド伝説と、歴史からの学び
     「エルドラド伝説が産業革命に繋がった」

 本記事では、少女歌劇レヴュースタァライトのスピンオフコンテンツ『遥かなるエルドラド』について取り上げます。この作品は大航海時代をテーマに作成された物語です。

 この物語はフィクションであり、公式記録、専門家の分析、関係者の証言を基に構成していません。


⚫︎タグ検索で来られた方へ
 大航海時代やコロンブスのタグ検索で来られた方につきましては、本記事の第4部にエルドラド伝説の普遍的な学習にも使えるよう記事も載せております、「スタァライト知らないよ」という方も、良ければ第4部だけでも見ていって頂ければ幸いです。



第1部
 歴史の旅に出る前に用語の理解を進めましょう

 用語解説①:そもそも大航海時代って何? 大航海時代という言葉の定義を知る

まずはこの歴史の旅に出かける前に言葉の定義をおさらいしましょう

 そもそも「大航海時代」と言う言葉は日本でだけ使われており、1963年に東京大学名誉教授「増田義郎」氏(文化人類学者)によって命名された言葉です。

「大航海時代」の名称は、1963年岩波書店にて「大航海時代叢書」を企画していた際、それまでの「地理上の発見」、「大発見時代」(Age of Discovery / Age of Exploration)といったヨーロッパ人の立場からの見方による名称に対し、新しい視角を持ちたいとの希求から、増田義郎により命名された。増田は、大航海時代の時間的範囲について、議論があると前置きした上で、具体的な始まりと終わりの年を提案している。増田によれば、大航海時代の始まりは、1415年におけるポルトガルのセウタ攻略。終わりの年は、三十年戦争が終結し、ロシア人の探検家セミョン・デジニョフがチュクチ半島のデジニョフ岬に到達した1648年である。

Wikipediaより

 では、英語圏では何と言われているかと言うと、多分決まった定義は無い気がします…、ただ、本記事を書く上でも最も参考になった、ボイス・ペンローズ氏の書籍のタイトルに倣い「Travel and Discovery in the Renessance (1420-1620)」が、諸外国でも通じる言葉ではないかと思われます。

大航海時代を経て、世界は大きく広がった(AIによる生成画像)

 用語解説②:そもそも「エルドラド」ってどういう意味?

 スペイン語で「金ピカ人間、黄金の人」Wikipediaでは以下のように書かれていますね。
エルドラドという言葉が、いつ そして なぜ流行ったのかは、第2部に記載しております。

エル・ドラード(西:El Dorado)とは、南アメリカに伝わる黄金郷(おうごんきょう)にまつわる伝説である。転じて、黄金郷自体や理想郷を指す言葉としても使用される。大航海時代のヨーロッパ、特にスペイン人の間で広まり、新大陸進出の動機の一つとなった。

Wikipedia 「エルドラード」リンク先


第2部
 本題 「ココが変だよ遥かなるエルドラド」

 ここからが本番です。遥かなるエルドラドに散りばめられているフィクション要素の説明と、実際の歴史、すなわち「史実」ではどうだったのかについて、今私が分かっている範囲で解説いたします。
 本文に入る前に下記の諸注意をお読み下さい。

諸注意です(AIによる生成画像)

 ・コロンブスの西回り航路出港と新大陸発見は「大航海時代の夜明け」では無い

 2024年6月9日に神戸で行われた朗読劇「遥かなるエルドラド」のアフタートークで、脚本家の樋口達人氏は遥かなる「エルドラドのストーリーは「再生賛美曲」のフレーズ「夜明け前」から着想を得た」という趣旨の発言をされたとのことです。(私は現地で参加していませんが、タイムライン上にそう言った書込みをされている方々の情報によります)。樋口氏の作品は創造的で魅力的ですが、歴史的事実の正確性については改善の余地があります。 

 ご本人が直接「コロンブスの西周り航路への出発が大航海時代の夜明け」という趣旨の発言を直接された訳ではございませんが、観客にそういった認識を与える発言ではないかと思います。ここで示された歴史認識にはいくつかの不整合があるため、この場を借りて解説いたします。
 具体的な例を挙げると、「大航海時代の夜明けは、エンリケ航海王子がアフリカ沿岸を探索し始めた14世紀前半に始まったと考えられます。これは、コロンブスの航海よりも50年以上前の出来事です。

コロンブスの西回り航路開拓と夜明けのシーンを背景に男性が立っている図
(AIによる生成画像)

 折角なのでChatGPT(モデル:4o)にも大航海時代の夜明けについて聞いてみましょう
⚫︎ プロンプト「大航海時代の夜明けとも言える歴史の一幕はなんだと思いますか?」

ChatGPT4oからの応答も参考に。
 〜〜 生成AIの応答 〜〜
 大航海時代の夜明けとされる歴史の一幕を一つに絞るのは難しいですが、多くの歴史学者は以下の出来事のいずれかをその始まりと考えています。

 エンリケ航海王子の支援とポルトガルの探検活動(1415年以降)
ポルトガルのエンリケ航海王子(インファンテ・ドン・エンリケ)が支援したアフリカ西海岸の探検活動は、大航海時代の夜明けの一つと見なされます。彼の支援により、ポルトガルはアフリカ沿岸を探検し、最終的には喜望峰の発見へと繋がりました。これにより、インド洋への航路が開かれ、ヨーロッパとアジア間の直接的な海上貿易が可能になりました。

 バルトロメウ・ディアスの喜望峰到達(1488年)
バルトロメウ・ディアスが1488年にアフリカ南端の喜望峰に到達したことは、インド洋への航路を発見するための重要なステップであり、大航海時代の幕開けとされることがあります。この発見により、ヨーロッパとアジア間の新たな貿易ルートが開かれる道筋がつけられました。

 クリストファー・コロンブスの新大陸発見(1492年)
クリストファー・コロンブスが1492年に大西洋を横断し、現在のバハマ諸島に到達したことも、大航海時代の象徴的な始まりとされています。コロンブスの航海は、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の発見として、後の植民地化と新大陸の資源探索の幕開けを意味しました。

 これらの出来事は、大航海時代の始まりを象徴する重要な瞬間として広く認識されています。それぞれが、ヨーロッパの探索と拡大の歴史において重要な役割を果たしました。
 〜〜 ココまで 〜〜

ChatGPTからの回答

⚫︎ 昭明係による補足
 コロンブスが西回り航路をスペイン王室に提案したのも、バルトロメウ・ディアスが希望峰からインド洋に抜ける航路を見つけられたのが発端。
 ディアス「これでイスラム圏の影響受けずに直接東方と貿易できるぜやったー!」
 ポルトガル「わーい!」
 で、スペインもポルトガルと同様海洋によってインドに向かう必要があったけど、アフリカ沿岸航路はポルトガルが押さえてたので新航路が必要だった。だから
 コロンブス「西回りで回りましょー。」という流れですね。

 ちなみに、希望峰に至るまでも「世界の果て」への挑戦が続きます。コレだけで記事一本書けるくらいの…。 ただ、僕ら日本人の今の価値観からすると「希望峰って奴隷を大量にヨーロッパに送ったネガティブな場所でしょ? 何でそんなポジティブな名前ついてるの?」 って思いますが、これ、ヨーロッパ側から見た時の名付けなんだなぁと、この辺りの歴史を知って思った次第…
 (余談ですが、ChatGPTに「希望峰発見したシーンを描いて!」ってお願いしたら「コンテンツポリシー違反なので生成出来ません!」って言われて画像生成出来なかった。多分奴隷問題があるからな気がする… ヤック!キャンセルカルチャー!)

 ・カルメンシータのスープの隠し味にトマトが入っていたけど、トマトが食卓に上がったのはもっと近代

 トマトはコロンブスの新大陸発見後に、南米大陸からヨーロッパにやってきたというのが史実になります。
 (ファンサービスなんですよね…そう信じてますよ…?)。一部の人は気づいているのは知ってますが、フィクションに基づいたファンサービスだと気づかずに「劇スとの関連性に気になる!」と言うような感想を述べている人たちを何人かタイムラインで観測しました。 
 隠し味のトマトはフィクションなので遊び心として楽しみましょう。 なお、スペインの人達がいつ頃からトマトを食べ始めたかは現在調査中であり、ここは後々アップデート予定です(ちなみに、自分は12月の3回目の公演あたりでなんか変なことに気づいていました…)

トマトがスペインに登場するのは多様な説があるが早くても1592年
(AIによる生成画像)

 当時の様々な文献で、トマトはどう扱われていたのだろうか。1592年、スペインのアランフェス王立植物園の園芸家だったグレゴリオ・デ・ロス・リオス司祭は、園内の植物のうち新世界が原産のもの16種を書き出している。その中にはトマトもありリオスは「ポマテ」と呼んでいた。

クラリッサ・ハイマン,「食の図書館」トマトの歴史, 原書房, 2019, p.31

 これは脚本家さんの頭の中にしか答えがないのですが、もしも素でトマトを出していたらと考えると、違いますよね…? バナナについても調査中です。

 ・「エルドラド」ってコロンブスの新大陸発見後に流行った言葉なので、作品内でコロンブスの新大陸発見前に使われている違和感。

 タイトルにもなっている「エルドラド」。この言葉がスペイン人(を始め、多くのヨーロッパ人)達を新大陸へと向かわせました。ですが、この「黄金郷エルドラド」を目指すためには「新大陸発見」が必要十分条件であり、今回の作品ではこの辺りの順番がごっちゃになってしまっています。
 史実としてのエルドラドが如何にしてヨーロッパに伝わったかについては、ペンシルヴァニア歴史学会会長かつ英国王立地理学会特別会員のボイス・ペンローズ氏の著作物「Travel AND Discovery In The Renaissance 1420-1620」で黄金郷にまつわる伝説は1530年頃にスペイン人達の耳に達していたと記されています。コロンブスによる新大陸発見が1492年の為、そのあたりを踏まえると、アレハンドロ達が当たり前のようにエルドラドという言葉を使っているのを見ると、若干の違和感がありますね。

 ペンローズ氏の書籍には以下のように書かれています
(簡単にまとめると、新大陸発見後「偽りにまみれた黄金の噂を信じて出かけていった」という旨のことが書かれています。)

《黄金郷》にも幾許(いくばく)かの根拠らしきものはあって(中略)この伝説は長年インディアン達の間に流布していたもので、1530年頃スペイン人の耳に達したものと思われる。これは本質的には歴史的事実であって、...(中略)
「……グァタビタの酋長(チーフ)が独立していた頃、彼は毎年厳粛な犠牲供養の儀礼を行っていたが……これが《黄金郷 エル・ドラード》信仰の起源であった……定められた当日、酋長はテレピン油を軀(からだ)に塗りつけ、砂金の中で転がる。こうした鍍金(メッキ)され金ピカになった酋長は貴族連に取巻かれて丸木船に乗り込み、一方、大変な数の民衆は楽器を(中略)。船が湖心に達すると酋長は黄金、翠玉(エメラルド)その他の貴重な献物を湖中に沈め、それから水に飛び込んで沐浴する。」(中略)
 伝説の運搬者達の法螺は輪をかけて行った。《黄金の男》は土民の酋長から(中略)インディアンの部族は幻想的なマノアの都市と化し、その街路は《黄金の舗石(しきいし)》で敷き詰められることになった…

ボイス・ペンローズ著/荒尾克己 [訳],大航海時代 旅と発見の二世紀, ちくま学芸文庫, 2020, p236-237
現実には存在しなかった「エルドラド」の伝説を好き勝手に妄想して海へ出た人々
 (AIによる生成画像)

 現代の価値観に当てはめると、上の絵に描かれた500年前の人達を愚かと言えるかも知れません。しかし、今のようなインターネットも無い時代でそれを評価するのは果たして出来るのか?と私は思います。
 金言だと思っていた言葉、もしかしてこれになってませんか?

 ・ファッション(服装)の設定が時代に合っていない。

 華恋ちゃん達の衣装がナポレオン時代に近い近代的な軍服に基づくファッションになっています。
 具体的な例をあげると、日本語では肩章と言われる「エポーレット」や、スタァライトではお馴染み上掛け(フランス語では「プリス」)を、1490年代に着ているのは、知っているとかなり違和感…。
 これらのファッションがヨーロッパで使われるのはもう少し先のお話です。ファンサービスなのは理解した上で、楽しみましょう。
 この辺りの衣装の歴史や意味も今度別の機会に記事化しようと思いますまたそこで語らせて下さい。
 折角なので、華恋ちゃん達のレヴュー衣装パーツの歴史もこの場を借りて簡単に紹介いたします。

遥かなるエルドラド公式のキャラデザより、
大航海時代には無かったファンションの華恋
これはスタァライトなので、そう思って楽しみましょう。

プリスについて
 1692年には一部がフランス軍に入って(中略)彼らはドルマンの上に、当初はオオカミなどの毛皮のマントを羽織った。ポーランド騎兵と同じく、一定の防御性を狙ったものだが、やがてドルマンとほとんど同じデザインの上着をもう一枚作り、毛皮で裏打ちした上で、マントのように左肩に引っかける、という奇妙な着こなしをするようになる。これは(中略)この上に羽織る上着はプリス(Pelisse)という。

辻元よしふみ, 図説 戦争と軍服の歴史,河出書房新社, 2021, p.45-46

エポーレットについて
 ナポレオン本人がアルコレの戦いから(中略)フランス共和国の第一執政になって独裁者となった1799年末から、帝位に就く1804年までの間は(中略)ナポレオンは軍人だけでなく、ありとあらゆる職位の人に制服を定め、大臣、知事、官吏、学生にまで軍服風の制服を導入(中略)。面白いことにナポレオンが皇帝になると(中略)擲弾歩兵連隊の制服か、同じく親衛隊に属する猟奇兵連隊の制服しか着なくなってしまう。(中略)。擲弾兵連隊の軍服は青色に赤いカフスが付いており、(中略)肩に金色の正肩章エポレットを着けるが、…

辻元よしふみ, 図説 戦争と軍服の歴史,河出書房新社, 2021, p.63-64
みんな可愛い衣装だけど、「1490年前後」という背景だと、やっぱり衣装に違和感が

 ・サンタ・マリア号のような船に描いてある十字架がバッテンに。

 劇場版からで、宗教的背景もあるので、ある意味で仕方ないですが、アメリカ大陸発見後のスペインはカトリック教徒の国土回復運動(コンキスタドール)として、新世界(アメリカ)にキリスト教を拡めることを目的に活動していました。その為赤い十字架をマストに描いていました。ですが、赤い十字架はコロンブスはじめとする、諸問題を思い起こさせるような内容でもあるため、コレについては致し方ないと思います。(本項目については参考文献調査中です)

後ろに見える帆船の「帆」に描かれている赤いバッテンですね。

 ただ、「スペイン帝国の可能性も?」と、協力者のとんけさんから指摘を頂いており、もしそうなら、フィクションじゃなくて「狙って」なのかも知れません。(Wikipedia スペイン帝国についての記事
 1点補足すると、実は当時の船のデザインってあまり資料が残っておらず創作に近いものもあるとのことです。 以下、ボイス氏の書籍「大航海時代」からの引用です

 十五世紀・十六世紀に関する海洋考古学の抱える問題は、それが文書にせよ絵画にせよ、当時の正確な証拠が全くといってよい程に欠けているという点に著しい特徴を持っている。
当時の紋章、彫版、絵画によって推論する図像学なるものは滅多に当てになるものではなく、一方、有力な証拠がないために、近年になって造られた幾多の模型ーー例えばコロンブスの船(サンタ・マリア)のそれーーは、到底ルネッサンス(中略)結局当時の船そのものに似たところはほとんどないのである。

ボイス・ペンローズ著/荒尾克己 [訳],大航海時代 旅と発見の二世紀, ちくま学芸文庫, 2020, p.555-556

 ・ツッコミどころで言えばリヴァイアサンのシーンは、コレがモチーフ?(フィクションかというと微妙ですが...)

 朗読劇で某ラヒ⚪︎ュタの「竜の巣」みたいなシーンと似てた「リヴァイアサン」のシーン。ジブラルタル海峡を抜けた後、南の海でと言うことでしたが、おそらくコレはカナリア諸島近海かと感じました。
 エンリケ航海王子がエアンネスに命じて超えさせた、ボジャドール岬より先の世界の果てをモチーフにしてると理解しました、ですが西の海が越えにくいという課題は既にエンリケ航海王子が制覇済みではありますが。 
 ここも折角なので、エンリケ航海王子が当時世界の果てと言われていたボジャドール岬を越えた

エンリケ航海王子が1434年に超えたの世界の果てボジャドール岬。
エンリケ自身はポルトガル本国にいたが、
此処を越えてから希望峰に至る航海で、世界が大きく拡がった。

エンリケ王子が1433年に最も老練な船長の1人ジル・ユアンネスをこの未知の世界へ送り込んだ時、彼は付き纏う恐怖を覚えてカナリア群島以遠には踏み込めなかった。翌年王子は彼に2度目の挑戦を命じ、エアンネスは再び試みて今度は成功した。

ボイス・ペンローズ著/荒尾克己 [訳],大航海時代 旅と発見の二世紀, ちくま学芸文庫, 2020, p093

 第2部 副題 ①
 ここから先は予想ですが、8月に出るコンソールゲームで入りそうなフィクション要素を勝手に妄想…

 ・近代式灯台が出てくる

 遥かなるエルドラドのオープニングムービーで近代灯台がチラ見してる。
 もしかしたら、夜の航海シーンで「灯台の光が見えたぞ」みたいなことを言うのかも…
灯台については、私の人生のサブテーマである「光」にも触れる所なので、少し語ります。

このような近代式灯台の登場は18世紀後半の産業革命まで待つ必要があります。

 この灯台の歴史を語る上で欠かせないのは「フランス人、オーギュスタン・フレネル」。近代灯台を輝かせていたフレネルレンズを発明した偉人です。僕ら日本人が頭にちょんまげ乗せてのんびり暮らしてた時代、即ち1820年(ペリー来航の35年前)、血の滲むような努力の末 大発明「フレネルレンズ」を作り上げました。もちろんこれはプロトタイプであり、量産化には30年近くかかるのですが...。
 近代灯台の登場により、それまで非常に危険と言われていた夜の海の安全性が非常に向上しました。

フレネルレンズ搭載の灯台はかなり沖からも岸を把握出来、海の安全に繋がりました。
ちょっと大袈裟な絵になってしまいましたが、当時からすると画期的でした(AIによる生成画像)

 灯台自体はフレネルレンズより前からありましたが光が届く距離はわずかで、座礁する船が後を絶ちませんでした。
 以下の引用は、フランスで行われたフレネルレンズの公開実験の記録です。フレネルレンズを使った方式と反射鏡方式の戦いが描かれています

 公開実験は1821年4月13日、金曜日に行われた(中略)。フレネルの新レンズと、ライバルとなる2つの反射鏡がパリ天文台の側面に設置されている。見物人がパリの反対側の端、モンマルトルの丘の上につめかけた(中略)。反射鏡の納入者ルノワールとボルディエ=マルセルも出席していた。(中略)フレネルが開発した新レンズは、ライバル2人の顔色をなからしめたのである。今や反射鏡は用無しだと思われた。

テレサ・レヴィット著/ 岡田好恵[訳] ,灯台の光はなぜ遠くまで届くのか,講談社ブルーバックス, 2015, p.80-81

 フレネルレンズと言えば劇場版スタァライトの「狩りのレヴュー」の最初のシーンで、星積みの塔が横に半分に割れて、映写機が出てくる時にチラッと見えるレンズです。
 こいつは凄いんですよ…放たれた光のロスを極力無くせるよう、光の波の性質を活かして拡散する光を逃さず「集光」するんですよ…。これを搭載した近代灯台は50海里先でも光を見ることができるという…

引用元、公益社団法人 燈光会 「11. レンズのはたらき」より、 リンク先

 ちなみに、フレネルレンズ自体の特性を考えると、狩のレビューの映写機の描写も実はフィクションだと言うのが分かります。 それだけで記事書けてしまうので、ここでは一旦割愛です。

 ・懐中時計が出てくる??

 さも当たり前のように懐中時計(ハリソンの作ったようなH4)を船の上で使ってるシーンが描かれる?

1761年に発明された、海の上でもほとんど狂わない時計 「ハリソン H4」
詳しくはコチラ、SEIKOさんのページ

 華恋の扮するアレハンドロが手に持った海中時計見て「何キロ(何海里)進んだ」みたいなことを言う…?(流石にコレは…どうでしょ〜?)本記事の最後におまけで時計についても触れますが、大航海時代と時計の歴史は紐づいていてそれだけで、ヨーロッパの科学技術の熱き人達も語れてしまうのですが、そこは時計に詳しい山田五郎さんにお任せします。

 ・世界地図を出してしまう

 絶対無いと願いたいですが、もしもコンソールゲームで北米大陸を含む世界地図が出てきたら流石にフィクションだとしても、かなりアウト側の間違いになります。
 アメリカ大陸もカバーされた「大陸の輪郭がなんとなく見えてきた」世界地図が出来るのは1570年頃ですが、海上も含めて経度が制定された年。つまり世界のポジションゼロであるグリニッジ基準の子午線が引かれたのは、1884年となります。 グリニッジにまつわる話は一つ上に記載したH4との深い関わりがあります。
 コロンブスが信じていた地図は以下のマルテルス図に基づいています。

引用元 ナショナルジオグラフィックHPより

 コロンブスは中国やインドをまとめてインドだと思っていたようでした。それくらいイメージが分かりにくいというのもあったようです。
 もし万が一世界地図などが出たら、物語においてどのように整合をとるのか等は期待にもなる箇所ではありますが…

 この地図出版史上の革命はアブラハム・オルテリウスによって成就されることになる。一五二七年にドイツ人の両親からアントワープで生れたオルテリウスは、その世渡りをまず地図の彩色工として始めた。後に彼は地図商人となり、それによって現存する地図や地図文献に関する造詣を深めて行った。鑑定家としての天賦の資質は間もなく当時の地図帳の短所に彼の眼を開かせ、この世紀の中頃まで流布していたこれらの地図帳の限界や知点から免れた(地図帳)を製作する決意を固めさせた。その成果が彼の割期的な「世界の舞台』TheatrumOrbis Terrarmで、1570年にアントワープで発行されたこの地図帳は一六二四年までに四〇版を重ね、ラテン語、オランダ語、ドイツ語、フランス語、スペインそして英語による諸版も作られた上に、その間ずっと各版とも絶え間なく追補されて行った。それは正に時代の特価であった自由な探究の精神をそのまま具体化し表現した、新然一頭地抜く(ルネッサンスの地図帳)であった。

ボイス・ペンローズ著/荒尾克己 [訳],大航海時代 旅と発見の二世紀, ちくま学芸文庫, 2020, p.534-535
1570年にオルテリウスによって描かれた “TheatrumOrbis Terrarm”
一見良さげですが、まだこの時代「経度」 の発見に至っておらず、海の広さなどが変ですし、あちこちおかしいところが多いです。 引用元wikipedia

 恐ろしいのは、上記のオルテリウス地図の初版発行は、コロンブスが新大陸を発見した1492年から、たったの80年後の1570年。地球のスケール感をつかんでしまった当時の欧州の人たちの精神の凄さ(良くも悪くも)を知った時は、私としても非常に驚きでした。
 織田信長が1580年前後にイエズス会の宣教師から地球儀もらってるらしいので、合点がいきますね。(何度も書きますが経度は正確じゃなかった地図です)

信長っぽい人と地球儀の図 (AIによる生成画像)

 ・アイテム「宝の地図」が出てくる

 いろいろ調べてて自分も驚いたのが、大航海時代モノにおける重要アイテム「宝の地図」が好んで使われるようになったのは、小説「宝島」が元ネタだったという。
 とは言うものの、死海文書という古文書には金銀の探し方が載っていたらしく。もしも、この設定をうまく使って、サルバトーレが古文書解読してて「エルドラドに向かうぜー」っていう展開になっていたら、それはそれで面白いな〜って思います。

宝島と言って筆者が1番最初に思い浮かべた景色。 私、T-Squareの中でも和泉宏隆さんの曲ものすごく好きなので、宝島といえばユーフォの京都駅の演奏ですよね。 もちろん、1番好きな曲はOmens of Loveです。©️京都アニメーション

 そもそも宝の地図などという作り話が世に広まったのは、1883年にロバート・ルイス・スティーヴンソンが書いた小説「宝島」[佐々木直次郎訳、岩波書店、1949年]のせいだろう。
 ただし、宝の地図は一度も存在したことがないというわけではない。実際、死海文書に含まれる「銅の巻物」(そう呼ばれるのは、それが羊皮紙やパピルス紙に書かれているのではなく、銅板に刻まれているため)は、紀元一世紀にさかのぼる古文書で、そこには隠された莫大な量の金銀の探し方についての指示が記されているという。しかし、その指示はあまり明確ではなく、財宝は今も発見されていない。

レベッカ・ゾラック、マイケル・W・フィリップス・ジュニア共著/ 高尾菜つこ[訳] , 図説 金の文化史, 原書房, 2016, 24p

第2部 副題 ②
 逆に、遥かなるエルドラドでやらなそうだけど、この記事をここまで読んで下さった方々に是非とも知って欲しい。当時の「航海術」を支えた偉大なる「ツール」

 ・天文学による航海術、偉大なツール「アストロラーべ」

 今のようなGPSなんていう便利なツールも無ければ、そもそも世界地図なんてのも無かった時代です (地図はありましたが、北米大陸の描かれた地図が出来るのが1570年頃で、コロンブスとアメリゴヴェスブッチの新大陸発見から更に80年弱かかります)。 それにも関わらずコロンブスのアメリカ大陸発見における航海では、スペインを出航後北緯28°付近をほぼピッタリ西進した。そのコロンブスの航海を支えていたのが「アストロラーべ」
 カッコいい名前!

コロンブスはその航海術を使って大西洋横断を成し遂げました。
ただし、コロンブス自身は、インド(インド洋)の何処かの島に着いたと勘違いしました。
これが新大陸だと分かるのは、アメリゴヴェスブッチの発見まで待つ必要があります。


 コロンブスがアストロラーべを使って航海していたという証拠は以下の文献で語られています。

 コロンブスの時代から17世紀末までの、航海に関する著名な著述家のほとんどが、アストロラーべを航海に最も必要な計器として記述しており、その作成方法の説明を頻繁に示した。それらの著述から、簡易型のアストロラーべが海上で広く使用されたようであり、(中略)。『コロンブスの(航海)ジャーナル』の1493年2月3日(日曜日)に以下の記述が見える。
 「セントヴィンセント岬沖を通っているとき、北極星が非常に高く見えた。提督は波による横揺れに妨げられて、アストロラーべでも四分儀でも高度を測定出来なかった。」

J・B・ヒューソン 著/杉崎昭生 [訳], 交易と冒険を支えた 航海術の歴史 , 2007, p.82-82
アストロラーべ
18世紀に六分儀が発明されるまでは航海における主要な測定機器であった。
(画像の出展Wikipedia)  カッコいい…欲しい…

 確かにコロンブスは残酷な行為など最近やたらセンシティブなワードにはされていますが、この「天文学に基づく航海術」と「本当に西に向かえばインドに到着できる!」と信じて進んだ挑戦の心は評価出来ると思います。もちろん、原住民に残酷なことをしてしまったのも正しく捉える必要がありますが、ここでは割愛します。

 補足すると、「史実で新大陸を目指して向かったコロンブス」っていう考えは、現代の価値観つまり「アメリカ大陸があるのを知っている状態」で歴史を観測しているので、歴史の旅に出る時の妨げになってしまう恐れがありますので注意しましょう。

 ・アストロラーべを(小道具として)遥かなるエルドラドに出して欲しい理由について

 何故この天文学による航海術をエルドラドで描いて欲しいかというと、アレハンドロがサルバトーレに天文学を教わってるシーンやって欲しいんですよ。
 少年時代に以下のような感じで↓

夜、サルバトーレが星を眺めているシーン。手には金色に輝く装飾品があった。
 アレハンドロ「サルバトーレ…それはなんだい?」
 サルバトーレ「全く、アストロラーべも知らないのかい?アレハンドロ。そんなんじゃ、あの何の道しるべも無い大海原で道を見失ってしまうぞ」
 アレハンドロ「ごめん、是非とも教えてくれ」
 サルバトーレ「いいか、こうやって星を掴むんだ、あの夜空に輝く星を掴むことで……」

 それからアレハンドロは猛勉強するんです、大海原を超える為に、天文学と航海術を学んで遥かなるエルドラドにたどり着くために。
 アストロラーべって夜に輝く様々な星から進むべき道を判断する為に使うツールです。語源については以下の通り。

リンク先のコトバンクは有料会員にならないと見られない(泣)
でもGoogle検索で欲しい部分だけ貰えました(嬉)

 このツールまさにスタァライトっぽいじゃ無いですか。朗読劇で全然触れられなかったけど、大航海時代初期って昼は太陽の運行に沿って自身達のいる緯度を測って(当時経度は見つかってません)。夜は夜で星を読んで緯度を測って。 そういう冒険の時代だったんですよ。 ペンローズ氏の大航海時代の本読んでる時、こういう創意工夫で過去の人たちは大海原を渡ったんだって思った時、私凄く感動したんですよ。

 で、更に創作ですが、アレハンドロはコロンブスの航海を支えた人物になるという二次創作が出来る、遥かなるエルドラドの後にサンタマリア号乗るけど、アレハンドロはコロンブスのお気に入りだったから、ヨーロッパに帰れるっていうお話作れると。
 ただし、コロンブスが帰投するにあたって誤ってポルトガルに着いちゃうっていう史実があるんですが、そこでアレハンドロはコロンブスがスペインに帰るための交換条件でポルトガルに残る事になっちゃって、コロンブスの歴史には残らなかったっていう物語が作れるぞ!と。
 二次創作にも繋がるし、仮に公式がやらなきゃ、私がそのあたり二次創作したいくらいですから…!

 樋口さん脚本の中でアレハンドロを最後にサンタ・マリア号に載せて、ぶっちゃけコロそうとしてるじゃ無いですか、あれは個人的に許せんのですよ。だってアレハンドロ可哀想じゃん!いくら親父さんが酷い人だったとしても、アレハンドロ可哀想だと私は思っているので…
 12月の舞台終わった後、あの脚本の残酷さに気づいた自分は、なんて酷いこと出来るんだ!って思いましたし、中にはタイムライン見てると「アレハンドロが乗る船にマリア様の名前がついてるなんて素敵!」と書いてる人達見て「いや、樋口さん。あんなにも可哀想な目に遭ったアレハンドロにトドメ刺そうとしてるけど良いのかよ?!」って思ってもいました。正直この記事を書く理由の一つにここを語りたいと言うのもありました…

西インド諸島でサンタ・マリア号座礁後、コロンブスは随伴艦に移乗しましたが、
他の乗組員は西インド諸島に取り残されたと言われています(AIによる生成画像)

 取り残された乗組員がどうなったかについては、敢えて本記事では触れません。

 ↑昨年の1回目公演後に書いた記事も合わせてどうぞ。


第3部 
 フィクションはフィクションだと理解して楽しむ事が出来ないと、創作物を楽しむのは難しい

 リドリースコット監督から私と歴史学者への反論、「そんなに史実が好きなら、ドキュメンタリー見ろ」

 今回の記事作成にあたり、同じような議論って世界中であるんじゃ無いかと思いました。
という訳で、再度ChatGPTに聞いてみたところ、映画ナポレオンでも同様に「この映画嘘じゃねーか!」と議論が巻き起こっているとか。
 どうやらナポレオンがピラミッドを砲撃したシーンが史実と異なるという事で、一部の方が大批判してるらしい…

 リドリー・スコットの映画における歴史的な正確性について、特に彼の最新作「ナポレオン」に関する発言は多くの議論を呼んでいます。彼はこの映画での歴史的な不正確さについての批判に対し、事実を知りたい人にはドキュメンタリーを観るように勧めました。また、彼は自身の創造的な選択を擁護し、映画はドラマチックで解釈的な性質を持つものであることを強調しています

 スコットの発言は、映画の物語性と歴史的な正確性の役割についての広範な議論を浮き彫りにしています。ドキュメンタリーは事実の提示に焦点を当てていますが、歴史ドラマはしばしば物語や感情的な影響を高めるために自由な解釈を行います。スコットの立場は、正確な歴史的事実を求める視聴者にはドキュメンタリーを見ることを推奨するものであり、彼の映画が解釈と創造の産物であることを示唆しています。

詳細な議論については、以下の記事を参照してください:
- [Euronews](https://www.euronews.com)
- [The Nation](https://www.thenation.com)

ChatGPTからの回答

 リドリー監督の一言「史実が知りたい奴はドキュメンタリー見てろ!」コレを知って、私は創作物のフィクション部分を理解してエンタメを楽しむことが大切だと理解しました。

ナポレオンのピラミッド砲撃シーンは歴史家からの批判が多かった模様です
(AIによる生成画像)

 私にとっての「遥かなるエルドラド」の評価 

正直、感謝してます。

 というのも、12月の朗読劇を観て私はすぐに以下の本を買いました。

当時のポスト あの何も知らなかった頃に帰りたい…帰りたくない?

 歴史初心者の私には非常に難しい本で、知らない単語だらけ…なんですか!?プレスタージョンって!!?、しかも参考文献リスト含めて700ページ弱の超大作。実はこの記事執筆時点で、後半のエルドラド伝説以降は読めていないです…
 私はこの本で大航海時代の夜明けを少し知り、コロンブスが出かける以前からヨーロッパ地方にあった様々な出来事。 そして、ヴァスコダ・ガマがインド洋航路を達成し、ポルトガル&スペインの宣教師が、赤い十字架を携えてマスケット銃つまり火縄銃(まどか☆マギカのマミさんのメインウェポンのアレですね)を日本に伝来させ、戦国時代が終わり僕ら日本人は江戸時代という停滞の時代に突入していく…

 同時に、もう一つ
「どうして、僕ら日本人には大航海時代が無かったんだろう…。自分たちから外の世界に打って出る事が無かったんだろう…」
 という事を考えるきっかけになりました。そのあたりは今度記事化したいです。

もしも日本にも大航海時代があったら…?(AIによる生成画像)

 私が好きな歴史は、日本史の中でも神話の古代史(古事記/日本書紀)と明治維新だけが物語として好きで、それ以外にはあまり興味がなく、ましてや世界史は高校時代に非常につまらない授業を受けて嫌いになっていました。
 しかし、遥かなるエルドラドを起爆剤に、いざ大航海時代の歴史の旅をして、この「発見の時代」の出来事が今でも私たちの生活に様々な影響を及ぼしているというのを知ることができ、史実と合わせることで非常に多くの学びを得ることが出来ました。

⚫︎歴史をテーマに扱った作品として見たエルドラドは正直微妙…

 ファンサービスを意識するあまりなのか、それとも、樋口氏およびスタァライト構成チームの調査もしくは整合性の調整不足からか、本記事で取り上げたような史実とフィクション要素に無理が発生してしまい、史実を取り入れた歴史物語としては非常に中途半端な内容となってしったと思います。
 私が一番無理を感じたのは、エルドラドが新大陸発見前からあたかも南米を目指しているような描写をしていて、自分なりに歴史を勉強した辺りからなんか変だぞ?と思っていました。
 具体的にはサルバトーレが船を奪った後、南米方面に向かっているような描写(リヴァイアサンのシーンに繋がるアレ)が、歴史を知った後、なんか腑に落ちない…というのが正直な感想です。何かその変な部分をうまくすり抜ける回避策を入れておいて欲しかったなぁ…と。
 これが、ファンを待望させていた壮大な舞台なの…?と言うのが私の正直な感想です。
 また、日本を代表するカンパニー新国立第一歌劇団の得意の公演ということですが、樋口脚本と同じような出来だと、正直海外勢に笑われてしまうのでは?とも思ってしまう…しかも、コロンブスっていうセンシティブな話題にも触れるし…

 いっそのことサルバトーレがプロペラの付いた船で空を飛ぶくらいぶっ飛んでた方が見てる側も「あーこれはフィクションなんだな」と思えたような気も…?実際2023年の11末の何も知らなかった自分は、そういうファンタジーものを期待してました。(余計なお世話なのは承知です。)

空飛ぶんだよな!サルバトーレが!」 
ってこう言う意味だと思ってました。
大航海中世ファンタジーを勝手に期待していた自分…(AIによる生成画像)


 何故、このような脚本になったかを、勝手ながら一応肯定的に想像すると、恐らく、大海原に漕ぎ出すコロンブスや大航海時代のヨーロッパ勢の熱き意思(ネイティブアメリカンやアフリカ大陸の方々、そして、のんびり暮らしてた我々日本人にとってはいい迷惑ですが)と舞台少女達の卒業後の人生を重ね合わせて。(同時に「Discovery!」の歌詞【 新しい大陸を見つけた冒険者みたいに 】にも重ね合わせて)ストーリーを描きたかったのでは?と推察しました。
 ただファンの人たちの評価を見ると、多くのファン、いわゆる舞台創造科の方は満足されているような旨をタイムラインから推察できます、アフトでの樋口氏の脚本作成にあたる上での発言や彼本人が「すごく勉強した」というご発言を称賛している声もタイムラインから観測出来ており、ビジネスとしては成功なのかも知れません。しかし、この物語に真摯に向き合おうとして大航海時代をちゃんと勉強して、より一層楽しもうと思った私としては、大航海時代というテーマ性に満ちた世界を舞台として扱いながら、コロンブスの新大陸発見時期だけにしか焦点を当ててるだけのような主旨のご発言だったのを含め、私としては物足りなかったです。

大航海時代の探検心と女子高生を重ねたイメージボード。
「Discovery!」の歌詞【 新しい大陸を見つけた冒険者みたいに 】から発想
キャラクターは適当に描いてもらったので、九九組オマージュなどは出来ないです。
(AIによる生成画像)


 8月発売のコンソールゲームでもっとフィクション要素が入るのかも知れませんが、歴史を楽しむ作品ではなく「キャラクター達がわちゃわちゃ楽しい劇をしている」と緩く見るのが良いのかも知れません。

 何と言っても、いわゆるエンタメですからね。

 その上でこの記事読んで腹落ちして貰った皆様が、コンソールゲームも含めフィクションをフィクションだと理解して楽しんで貰えればと思います。

 でも、ゲーム内では自分が望んでいるような、星を掴む「アストロラーべ」のエピソードなどが有ったら、良いなぁと思う次第です。。。死海文書も。


第4部
 史実から見た時のエルドラド伝説も知ってみよう
 「エルドラド伝説が産業革命に繋がった」

 さて、コレだけですと「ここ変だよ」という批判だけの内容で終わってしまうので、せっかくなので大航海時代から学べる歴史も簡単にまとめてみました。

 史実から見た時のエルドラド伝説が、今の私たち人類の世界や生活にどのように繋がっているか知る事で、今の時代を別の角度からも見えるための知識として役立たせて頂ければ幸いです。

南米大陸の何処かに、黄金で まみれた 世界があった
という噂があった…  (AIによる生成画像)
コロンブスの新大陸発見以降、黄金郷伝説の噂を聞きつけた人達
(スペインを初めとするヨーロッパの人たち)は
エルドラド(黄金マン) と黄金都市を夢見て海を渡ります(AIによる生成画像)
しかし、そんな黄金郷なんか存在する訳も無く、多くの探検家は幻の黄金郷を求めて一人また一人と…(AIによる生成画像)
そして、1614年、ポルトガルの航海長ペロ・フェルナンデス・デ・キロスの冒険を
最後にエルドラド探求が終わります(あっけないです) (AIによる生成画像)
しかし、諦めなかったポルトガル人達によって、17世紀末、遂にブラジル(ミナス・ジュラエス地方)で金の鉱脈を見つけます。 そう、形は違えどエルドラドはあったのです!! 
おめでとーーー!ポルトガル!? (AIによる生成画像)
そうもうまくいかない訳で…
既にポルトガルはイギリスの経済的属国でした…せっかく見つけた金は
…イギリスに流れてしまいました。 (AIによる生成画像)
ポルトガルを経由しながら大量の金がイギリスに流れていきます。
この金は大航海時代初期、16世紀にスペインがアメリカ大陸から得た量を遥かに凌ぐ量でした。(AIによる生成画像)
そして・・・ 得られた多くの富を基に、大英帝国は産業革命を成していきます。
イギリスが世界の覇権を掴むための時代へ向かっていきます……!!!! (AIによる生成画像)

 わずかの例外を除けば、黄金郷の探究は、みな幻の追跡に終わった。そして、ほんとうの意味での黄金郷の発見は17世紀末、ブラジルで実現した。ミナス・ジュラエス地方に優良な金鉱脈が発見され、未曾有のゴールド・ラッシュがおこったのである。(中略)
 もちろんこの金は、はじめはポルトガルに送られたのだが、18世紀はじめ、メシュイン条約によって、ポルトガルは新興イギリス帝国の経済的属国になっていた。したがって、結局のところエル・ドラードの金の大部分を獲得したのはイギリス人であった。(中略)
 1649年、(中略)ヨーロッパの金融の中心がアムステルダムからロンドンに移った背景には、このような事情があったのである。

増田義郎, 黄金郷に憑かれた人々, NHKブックス, 1989, p.215-216

 産業革命が1733年頃からなので、他にも様々な因果関係があるとは思いますが、「エルドラード伝説で最後に笑ったのはイギリス」だと知った時は驚きました。
 歴史ってホントスケールが大きくて、何々時代とかで区切って考えると重要なポイントを見逃す危険性があるのを実感しました。
 エルドラドはある意味で存在したというのが、エルドラド伝説の面白さだったと思います。 ラピュタも本当にあったんだ。

 エルドラドが起爆剤となった産業革命の巨大な波は、黄金の国ジパングも呑み込んだ

 しかし、ここで終わらないのが歴史の妙。 エルドラド伝説を起因とするとスペイン/ポルトガルの没落と大英帝国の台頭の歴史を、私たち日本人は他人事のようには語れないというお話をします。 
 大航海時代といえば、黄金の国ジパングの物語もありますね(マルコ・ポーロの東方見聞録)。そう、あれは夢物語ではなかったんです、日本も幕末まで非常に多くの「金」を所有していました。ジパングという言葉自体は神聖性の象徴のように思えますが実際に日本にも多くの金がありました。
 しかし開国後、法外な為替レートで諸外国と取引せざるを得なかった日本の金はどんどんと海外に流出しました。
 大航海時代の南米やポルトガルと似たようなことが起こっていた訳ですね。

歴史家、井沢元彦の調査によれば、幕末開国した日本の「金」は欧米列強に流出した
動画へのリンク

 詳細な内容は是非上記の動画を見てもらえればと思いますが、日本の金は欧米列強にどんどん流出しました

日本の金が海外に流出するイメージ (AIによる生成画像)

 余談ですが、昭明係の「明」は明治時代から来ているという訳で、開国後の日本、つまり明治の話をほんのちょっとします。

 金は失われましたが、一応、幕末から明治にかけて日本は近代化に成功しました。明治時代に富国強兵という激しい筋トレをすることで日本は筋肉ムキムキマッチョマンになりました。しかしその激しすぎる筋トレの結果、日本は長い歴史の中で築いてきた日本の良いところも無くしていきました。
 このあたりの日本の明治から今に至るまでの近代史は今後も自分が研究したいと考えてるところです。いずれ別の記事にまとめたいと思います。 

明治時代、近代化によって日本は筋肉ムキムキマッチョマンになった。(変態にはなっていませんが)それは同時に日本の良さが失われていくのでした。(AIによる生成画像)

 豆知識) 流れ星の贈り物 宇宙(そら)からやってきた金

46億年前の地球誕生から2億年後、金は流れ星にのってやってきました(AIによる生成画像)

 そもそも、なんで僕たちは金という物質をありがたく思うんだろう…?
そう思った時、「金の文化史」という本をポチっていました。 非常に深く金を研究されていたその本でも、残念ながらなぜ私たちが「金」にこんなにも惹かれるのかの理由は載っていませんでした。
 しかしながら金の文化史序章にて、金は地球のコアが膨大な圧力で作り出したものでは無く、どこかの星が超新星爆発を起こして生じた中性子星がぶつかって生まれ、その金を含む隕石が地球にやってきたという趣旨の話が書かれていました。

 金は恒星内部の核融合では生成されない。現代の科学によれば、地球上に存在する金は、寿命を迎えた恒星(超新星爆発によって生じた中性子星)の衝突によって作られたとされている。

レベッカ・ゾラック、マイケル・W・フィリップス・ジュニア共著/ 高尾菜つこ[訳] , 図説 金の文化史, 原書房, 2016, 6p

補足資料も、どうぞ「EirthSky, Did meteorites bombard Earth with gold?」

プリス(上掛け)を留める金色ボタンの「星」のマークは、金が流れ星の贈り物って意味?
(偶然だよ、きっと)

 中性子星同士の衝突「キロノヴァ」が「金」の生成過程っていう説も

ディスカバリーチャンネルへのリンク
参考文献が2016年で、この現象が観測されたのが2017年… 科学は日進月歩ですね

 豆知識) 永遠の命の探究と賢者の石、そして火薬が歴史に登場した

 金にまつわるもう一つのお話。
 それは火薬の歴史と黄金の関係。黄金を不老不死の象徴の一つとして捉え、銅や鉄を「黄金に変える賢者の石」そして不老不死の薬の探究が「火薬」を生み出し、人間は世界を良くも悪くも変えました。
 戦争利用も然り、ロケットなどの宇宙開発も然り…火薬は文字通り歴史に化学反応を起こり、歴史の流れは一気に加速しました。

 紀元前1世紀ころ、不老不死の霊薬の開発と黄金のつくりだす方法の探究がひとつになった。さびたり腐食したりする「卑」金属は、死すべき運命の人間だと考えられた。卑金属を不滅の黄金に変える「賢者の石」は、人体もどうように変化させられると(中略)。人工の黄金の薬が不老不死の霊薬の器になった。(中略)不老不死をもたらしそうな混合物の調査を行うたび、(中略)考えうるかぎりあらゆる奇妙で驚くべき混合物を試しているうち、まったくの偶然に、人類史上の爆発物ーー火薬を発見した

クライヴ・ポンディング著/ 伊藤 綺[訳], 世界を変えた 火薬の歴史, 2013, 原書房, 26p

 火薬はヨーロッパでは銃火器の進化に繋がりました。遥かなるエルドラドはグラナダ陥落の少し前のお話ですが、火薬の歴史の本によると、こういった火器の使用がスペインを勝利に導き、国土回復運動(レコンキスタ)を成し遂げます。
 レコンキスタを成し遂げたスペインはついにコロンブスを西回り航路に派遣し、偶然の産物として新大陸を発見し、大航海時代も加速していきます。(繰り返しますが、ネイティブアメリカンや、我々日本人からしたら迷惑千万ですが...)

遥かなるエルドラドバックストーリー、火薬がグラナダを堕とした (AIによる生成画像)
※ こんな立派な砲では無いです、念の為。詳しくは「火薬の歴史」を読んでね!

エピローグ
 この記事の意義とは?自己分析を踏まえて。

 面倒臭い & 白ける。書いた人、二次元コンテンツ楽しめてるの?批判ばかりじゃない?

 この記事を読んで、私のことをこう思った人も居るかも知れません。

 「ウルトラマンが戦っている真下には、大勢の人が踏み潰されているいるんだ!そんな作品で楽しむとは何事だ!」と言って、ウルトラマンが戦っているシーンを楽しんでいる人達を叱り、場を白けさせる面倒臭い存在だと。
「(遥かなるエルドラドや、脚本家の樋口様のことを)何も分かってない!ブロックしてやる!」と(椎名立希さんのように)思う方もいるかも知れません。 
 (余談ですが、私は千早愛音に実業家に求められるわがまま精神を感じたため、愛音好きです。あの我儘さはアノンTOKYOを世界企業に出来ます。Forbesが推す日本人に選ばれるのも遠くないでしょう。)

©️ブシロード


 話を戻して、
 私自身、フィクション要素を列挙して、ここが違う!ここが違う!と書くだけでは、そうなってしまうと思っていましたし、現にこれまで何度もそういう態度をとっていたことがありました。
 そんな中、もっと建設的に考えるにはどうすれば良いんだ?と思いました。その結果。
「創作物のフィクション要素を正しく理解して楽しむ姿勢が大切」
 という結論に、やっと達することが出来ました。

 また、何故自分は今回の出来事。そんなに思うところがあったのか、自分を動かしたこの思いの根底って何なんだ?という、自分を見つめ直す為の良い題材にもなりました。
 もし良ければ、今の私のモチベーションと、大学時代の私の体験にお付き合い下さい。次のパラグラフは個人語りです。 

 執筆にあたってのモチベーション
 大学時代の私の体験より

 では、私が何故今回の記事を作成するに至ったかも語らせてください。
自分語りセクションなので、「興味ないね(某金髪ツンツンヘアーのソルジャー風に)」と言う方は次のセクションにご移動ください。

 私は大学では情報・通信工学科で主に波動などを学んでいました。

当時一番私の中で熱かったのは東方シリーズ。なので巫女さんを持ってます。
見た目は全然違いますが自分のイメージ感をAIに描いてもらいました。
秋葉も近かったのでほぼ毎週行ってましたね
(AIによる生成画像)

 文系/理系という括りで言えば理系の人間で、歴史は専門外です。しかし、10代の頃に親の影響で「お〜い龍馬」で読んで坂本龍馬の人生や幕末を知った気になったり、中学校時代に太平洋戦争をテーマにしたいわゆる「架空戦記もの」でほんの少し歴史を知った気になってました。
 その後、高校では一応進学校に進みましたが、クラスでの勉強にあまりついていけなかった私は世界史の「ただ年表を覚えるだけの授業」で世界史が嫌いになりました。ローマ五賢帝ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、…あと誰?覚えたところで…
 ですが、歴史全般が全く嫌いになった訳ではなく、アニメで言えば神無月の巫女や東方projectなどを通して、日本の神社や神話などに興味を持ち始めてはいました。

 そして私は東京の理系の大学に進学しました。最初の半年間くらいは慣れない学生生活をしながら過ごしていた時、國學院大学に進学していた友人からこう言った誘いを受けました
「歴史サークルで日本史学ばないか?」
 折角の友人の誘いだったので、私は学外の活動に参加することにしました。
 歴史と触れ合う上での大切な考え方を、私が学んだのはこの時でした。

 歴史サークルでの1日は以下のような流れになっています

  1. 休日(日曜/祝日など)何人かで教室に集まり、歴史のレジュメを全員で輪読

  2. 学んだ歴史にちなんだ所へ実際に赴き、目や耳で体験し、学習&調査

  3. 最後に感想会を行い(レストランなどで打ち上げも兼ねて)、それぞれの学びを共有

 その日のテーマは「乃木希典」について知ろう。 という事で、私たちは早稲田に集まり、日露戦争で活躍した乃木希典についての資料を輪読しました。
 その後、乃木希典を祀っている「乃木神社」に参拝後、乃木邸などの見学を行いました。

東京の一角にある「乃木神社」、当時乃木大将が住んでいた住居も敷地内に併設

 乃木神社見学終了後、近所のファミレスに移動し、それぞれ今日の学びなどを共有しました。私が感想を述べる順番が回ってきました。
 具体的に私が何を言ったかはあまり覚えていませんが、以下のような事を言ったように思います。
 「きっと、乃木大将もこういう事を行ったのは、こういう思いだったんだと思います。」
 この「こういう事」や「こういう思い」と言うのを聞いた歴史サークル長のS先輩は、私にこう言いました。
 「昭明係くん、君の言ったそれは事実かい? 事実ならば、今日の最初に読んだレジュメや、神社境内にそういう資料はあったかい? 僕はそういった記述を見たことが無い教えてほしい。」
 私は返答できませんでした。私の感想は事実に基づかない、勝手な想像で乃木大将を評価した内容でした。 しかし私の反応を見たS先輩は私に以下のアドバイスを下さいました。

 「歴史を評価するときは事実に基づいて対応しないといけない。 事実に基づかない創作を事実のように語り、その創作に基づいて当時の人たちを評価するという君の行為は、失礼であり冒涜である。 想像のお話を自身の中に留めるのであれば良いが、それを、さも事実のように口から発するのは、僕は良くない行為だと考えている。だから、コレから昭明係くんが歴史を学ぼうとした時は、ちゃんと出典を明らかにしながら対応すると良い。」

歴史サークルの S先輩の言葉

 S先輩は熱い魂を持った大学生で、ただの大学生に留まらず、世の中を良くしたいと考えているような人でした。 その後も私は友人やS先輩達と、可能な範囲で色んな歴史を学ばせて頂きました。
 学生時代の経験は今でも私の1パーツとして深く心に刻まれています。

大学外の歴史サークルのS先輩が、
大学生の頃の私に「歴史との触れ合い方」を指導して下さったシーンのイメージ
(AIによる生成画像)

 もちろん当時からは私もアップデートしており「仮説」を立てながらの推論も重要だと言うのは理解しています。本記事も当時のS先輩の教えも尊重しつつ、なるべく文献に基づいた展開とさせて頂きました。

 歴史を知ることは情報リテラシーの底上げかも知れない

 本項執筆前から、Youtube上でも様々な先輩方から色んなことを学びました。例えば、
岡田斗司夫氏は誤った認識からは歪んだ結論しか出てこないと話されています。

2006年の自身の講演会で語る岡田斗司夫氏(出展元動画

 上記の画像は2006年に岡田氏が「オタクは死んだ」という今の時代を予見してアップされた動画の一幕で、上記の発言の内容が岡田氏の講演のテーマでは無いですが、「オタク」という言葉の総決算に近いことを分析している動画として、私はそこそこ共感出来ました。

 また、歴史を学ぶということについて、歴史家の磯田道史先生も以下のように語られています。

日本史研究者、磯田道史氏。 
忍者が好きすぎて忍者研究やってる忍者オタク、まさに忍者オタクの鏡
歴史を知らずに世の中を歩く事について触れられています(動画ページへのリンク

おわりに

 『遥かなるエルドラド』はフィクションであって、史実に基づかない表現/演出が多数含まれています。それ自体は決して悪いことではありません。しかし、私はこの作品に触れているスタァライトファンの方々を観察すると、あたかも歴史の事実のように誤認され拡散されている例を何件か目撃しました。界隈では有名かつ影響力のある人達から発せられる「史実」という言葉がタイムライン上を飛び交い、それらがリポストされて行く現状。そして誤用されているのを何度も見てきました。

 私は彼らに直接「それは史実じゃないよ」と語りかけることをしませんでしたが、自身のタイムラインで「ちょっと変だよ」というのは投げかけてきました。しかし、圧倒的言葉たらずの中で、ただただ煙たがられているような雰囲気だけを感じていました。気づけば私の発言はもう誰の目にも留まらないようになっていったと。
 正直なことを言うと、12月の朗読劇初回からこの半年間、自分だけが、遥かなるエルドラドシップの不具合箇所を評価し、自分だけが知っておけば良いと思っていました。ファンの皆様はそういう部分には興味があまり無いわけだし。

 しかしながら、神戸公演のアフタートークで脚本の樋口氏が誤った歴史観に基づく発言をされ、何人かが樋口氏を手放しで称賛している「さすが樋口さんだ!物凄い勉強したんだ!史実に基づいた凄い作品だ!」というような状態を見て、私自身嫌われてもいいから事実の発信をしようと思い執筆に至りました。

 同時に、リドリースコット監督の言葉を受けて、改めて創作物に触れる上での大切な何かが文書化できると思いこの記事作成に至りました。

 私がこの記事を通して皆様にお伝えしたかったのは、この物語の何がフィクションであるのかを明確化することで、正しい歴史認識を持って『遥かなるエルドラド』というコンテンツを楽しむ一助になればという思いです。もしかしたら揚げ足取りになってしまったかも知れません。
 ですが、せっかくスタァライトでこんなにも面白い時代を取り上げたスピンオフ物語が出来たのですから、せっかくなので教育に活かせるような内容が書ければと思いました。
 歴史を知ると言うのは大きな武器です。第4部で説明したような史実から見た時のエルドラド伝説のように、ポルトガルが努力の末得た金を後からやってきたイギリスに取られるような事にならないように。そして過去大量に持っていた金を欧米列強に取られてしまった幕末日本のようにならないために。これからの時代の海を泳いでいくための泳ぎ方は先人たちが残してくれている。そんな気がします。

 また、本記事作成にあたりChatGPT with DALL-Eは挿絵の作成から、思考の壁打ち、そして、リドリー監督などの事例や、黄金の隕石の英語記事の検索など幅広く手助け頂きました。これらのツールが非常に強力であると言うのを再認識した次第です。

 最後に、私自身アニメコンテンツの考察というのはあまり好きでも無ければ得意でも無い行為です。ただそれは、アニメの中を深掘るというのが苦手だということ。 どうやら自分はアニメの外堀を深掘りするのが好きなようで、そういった変な趣向から 他の見方を提供できたのであれば幸いです。
 本記事執筆にあたり、私を支えてくださった友人のとんけ氏、寝坊氏、おくとん氏、そして家族。並びに、一番参考にさせて頂いた本「大航海時代」を執筆されたボイス氏そして各方面の先生方に、この場を借りてお礼をさせて頂ければと思います。

 長くなりましたが、ここまで読んでいただいて誠にありがとうございました。
 是非、この記事の共感頂けた方は、オタクコンテンツを起爆剤に勉強につなげて頂ければと思います。

◻︎参考文献

 リスト化しようと思いましたが、写真で掲載いたします。

スタァライト好きな方には「戦争と軍服の歴史」オススメです。内容が濃いので読むの大変ですが。。。
他にも直接取り上げませんでしたが他の本も非常に参考になりました。

補講

 おまけ①) 大航海時代が時計を進化させた

この記事を執筆しながら山田五郎氏のチャンネルのこの動画も見ていました。

動画へのリンクはこちら

 大航海時代を語る上で欠かせない時計の歴史ですね。
私自身も、12月の遥かなるエルドラドの公演を観る為に東京行きの列車の中で「グリニッジタイム」という本を読んでいて、経度問題と時計の歴史について学んでいましたが、ここまで濃い内容で解説いただいていたのは驚きでしたし、初めて知る内容も多かったです。

 この動画では、動画の裏テーマで「イギリスって国は(今で言うと)ゲームチェンジャーみたいな人が出てくる面白い国」と評価されてます。

舞台#4で華恋が「ここが世界のポジションゼロ」と言っていたグリニッジ天文台。
何故ここが世界のポジションゼロなのか、経度の時代とは?を知る上で重要。
コロンブスがなぜアメリカ大陸をインドと間違えてしまったかの理由も
そして何故大英帝国が強かったかも。全ては繋がっています。

 余談ですが、イギリスといえば、神楽ひかりと大場ななが同棲しているという設定にされている国ですね。ひかまひが好きな私としては苦手な見解ですが。
 私もイギリスについてはもっと勉強したいと思っているので、もしもこの記事を見られた方でイギリス史に詳しい方などいらっしゃいましたら、是非友達になりたいです。
 一緒に歴史の勉強をしましょう!

 なぜイギリスはゲームチェンジャーを生み出しやすいか、そう言うことを知るのも今後、この大変な弱肉強食社会で生き残るための方法を学ぶ一途になればと思っています。

 おまけ②)フィクションを楽しむ為にやっぱり学びが大切だよね

 もう一つ何故何故分析をしましょう。 何故、このフィクションに気が付かず脚本家樋口氏やレヴュースタァライト大本営の言う事を鵜呑みに信じて感動している人が何人も居るんだろう? …クイズやトンチを解くのは大好きらしいけど、
 → それはこれらの時代をちゃんと学べていないから
  → 何故学べないのか、その答えの1つは下にありました。

国際社会と比較し、日本人は社会人で学ぶ人が減っているというデータ

 このグラフは、日本における企業の人材投資と個人の学習状況を国際比較したものです。

左側のグラフ
企業の人材投資(OJT以外)
 アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、イギリスと比較した場合、日本の企業の人材投資は著しく低いことを示しています。特に2010-2014年のデータで顕著です。

右側のグラフ
社外学習・自己啓発「何も行っていない」人の割合
 - 日本は52.6%と非常に高く、他国と比べても突出しています。これに対し、他の国は20%以下の割合が多く見られます。

企業の人材投資不足
 - 日本の企業は他国に比べて人材投資が非常に少ない。これが従業員のスキル向上や学習意欲の低下に繋がっている可能性があります。

個人の学習不足
 - 社外学習や自己啓発を行っていない日本人の割合が高いことは、企業の投資不足とも関連している可能性があります。個人が自発的に学ぶ環境が整っていないことが原因かもしれません。

このデータは、日本の教育や企業文化における学習意欲の低下を示唆しており、これが情報リテラシーの低下や文学作品の品質にも影響を与える可能性があります。
私自身も、去年の10月14日の投稿あたりから、再度勉強に戻ったと思っていますが、確かに社会人になって本を読む学びから…随分遠ざかってしまっていたなぁ…と。

学ぶ人が減っている人が減っている、と語る小林氏

Pivot リスキリングブームの落とし穴 2024年6月10日公開 動画へのリンク

 この動画では、学びのコミュニティの形成の重要性について語られています。私としては一緒に学べる人を募集中です。

 おまけ③)日本がこれから生きていくのには歴史を学んでうまく利用しましょうって話。

 この記事執筆中(2024. 6月2週目頃)、某ミュージックビデオが炎上して、大航海時代がトレンドワードになった際「発見された日本人」というのがバズってましたが、最近日本はまた「発見」され始めているらしいです。
 大航海時代の鉄砲伝来や、幕末の開国、戦後そしてクールジャパン、こういった時代を通して、これまで日本に興味が無かったような人達が徐々に日本を「発見」し始めているという。 そう言った発見した人達が日本を楽しむように成りつつあるという…。失われた30年を取り戻す為のツールに日本の歴史を上手にコンテンツとして売り出せれば。まだまだ高いポテンシャルがありそう…
Japan Brand Image Researchへの記事はこちら。

Japan Brand Reserachの主な執筆者の佐宗邦威氏。
このインタビューの動画へのリンクはこちら

 おまけ④)生成AIを使いこなすには審美眼が必要

 自分の中にある「コレが正しいはずだ」というバイアスをはずして「リアル」なものにも触れ続けて審美眼を磨くこと。それができない人は、今後AIの発展によって訪れるデジタルネイチャーの世界では、真偽の不明からストレスを感じてしまうかもしれません。

Livedoor News つくば大学助教授 落合陽一氏のインタビューより(引用元

 この記事とは少しズレた内容にはなってしまいますが、本質的には溢れている情報から、正しそうなものをちゃんと選べるようになろうね。という事だと思います。 正しい情報にアクセス出来るよう、何だかんだで勉強が重要ですね。

 アフタートーク:歴史勉強しながら得られた気付き

歴史を舞台にした漫画やコンテンツって、調べるほど整合取るのが難しくなって
作るの難しいだろうなって思いました。
(AIによる生成画像)

 学校で歴史を学ぶ時「いつ、誰が、何した」「いつ、なにが起こった」「結果、どうなった」くらいしか教わらない。
 しかしながら、この記事でも紹介したように、航海術のようなノウハウ/知識、アストロラーべのような道具、金とか火薬などの小物。エルドラドという大舞台。今回は取り上げられませんでしたが「帆船」とか。 それら大道具/小道具にもバックボーンとなる物語が多数あり、様々な歴史の事象に並行してやってきたりする…学生の頃から少し見える世界が広がって得られた気づきのような。
 エンリケやコロンブスのような大スターも出てくる。スポットライトを浴びる人には脇役も居れば、全く浴びない人もいる。
 今の時代も同じで、この記事を書いてる僕も読んでいる貴方もきっとどっちなのかしら?でも今の時代は情報通信技術の発展によりバズることもあれば、情報の巨大な流れに乗ってあっという間に消え去っていく。
 そういう登場人物やさまざまな道具も折り合いをつけて、1つの作品としてまとめ上げるのって、本当に難しいと思います。もしかしたら遥かなるエルドラドの脚本を書かれた樋口氏もこういうジレンマと争いながらやったのかも知れないと思うと、歴史を舞台にした作品を作るのって本当に大変なんだと思います。
 実は昨年から色んな歴史、小物などに至るまでちょこちょこ読んでいるのですが、お絵描きよりもそっちが楽しいと言う状態ではあります。
 という事で、今後しばらくは、自分の好きな事をやれればと思っている次第ですので、こう言ったものを残していければと思います。引き続き宜しくお願いします。

 ここまでお読み頂き誠にありがとうございました。

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