「ココが変だよ!!遥かなるエルドラド」 現代に影響を与えたエルドラド伝説。創作物のフィクション要素を正しく理解して楽しむということ。歴史を学習について。
あいさつ
こんにちは、Noteではお久しぶりです。
今回は遥かなるエルドラドのフィクション要素と歴史をテーマに語っていきたいと思います。今まで私が様々な文献や経験から得た学びを込めた結果、自筆&引用部分合わせて28000文字弱の長文になってしまいましたが、この記事を読んでくださった方が遥かなるエルドラドを別の視点で見れるよう、情報を提供できればと思い執筆いたしました。
本記事の構成は以下となっております。
第1部 歴史の旅に出る前の準備 用語の説明
第2部 本題「ココが変だよ遥かなるエルドラド」
第3部 フィクションはフィクションだと理解して楽しむ事が出来ないと創作物を楽しむのは難しい
第4部 史実から見た時のエルドラド伝説と、歴史からの学び
「エルドラド伝説が産業革命に繋がった」
本記事では、少女歌劇レヴュースタァライトのスピンオフコンテンツ『遥かなるエルドラド』について取り上げます。この作品は大航海時代をテーマに作成された物語です。
この物語はフィクションであり、公式記録、専門家の分析、関係者の証言を基に構成していません。
⚫︎タグ検索で来られた方へ
大航海時代やコロンブスのタグ検索で来られた方につきましては、本記事の第4部にエルドラド伝説の普遍的な学習にも使えるよう記事も載せております、「スタァライト知らないよ」という方も、良ければ第4部だけでも見ていって頂ければ幸いです。
第1部
歴史の旅に出る前に用語の理解を進めましょう
用語解説①:そもそも大航海時代って何? 大航海時代という言葉の定義を知る
まずはこの歴史の旅に出かける前に言葉の定義をおさらいしましょう
そもそも「大航海時代」と言う言葉は日本でだけ使われており、1963年に東京大学名誉教授「増田義郎」氏(文化人類学者)によって命名された言葉です。
では、英語圏では何と言われているかと言うと、多分決まった定義は無い気がします…、ただ、本記事を書く上でも最も参考になった、ボイス・ペンローズ氏の書籍のタイトルに倣い「Travel and Discovery in the Renessance (1420-1620)」が、諸外国でも通じる言葉ではないかと思われます。
用語解説②:そもそも「エルドラド」ってどういう意味?
スペイン語で「金ピカ人間、黄金の人」Wikipediaでは以下のように書かれていますね。
エルドラドという言葉が、いつ そして なぜ流行ったのかは、第2部に記載しております。
第2部
本題 「ココが変だよ遥かなるエルドラド」
ここからが本番です。遥かなるエルドラドに散りばめられているフィクション要素の説明と、実際の歴史、すなわち「史実」ではどうだったのかについて、今私が分かっている範囲で解説いたします。
本文に入る前に下記の諸注意をお読み下さい。
・コロンブスの西回り航路出港と新大陸発見は「大航海時代の夜明け」では無い
2024年6月9日に神戸で行われた朗読劇「遥かなるエルドラド」のアフタートークで、脚本家の樋口達人氏は遥かなる「エルドラドのストーリーは「再生賛美曲」のフレーズ「夜明け前」から着想を得た」という趣旨の発言をされたとのことです。(私は現地で参加していませんが、タイムライン上にそう言った書込みをされている方々の情報によります)。樋口氏の作品は創造的で魅力的ですが、歴史的事実の正確性については改善の余地があります。
ご本人が直接「コロンブスの西周り航路への出発が大航海時代の夜明け」という趣旨の発言を直接された訳ではございませんが、観客にそういった認識を与える発言ではないかと思います。ここで示された歴史認識にはいくつかの不整合があるため、この場を借りて解説いたします。
具体的な例を挙げると、「大航海時代の夜明けは、エンリケ航海王子がアフリカ沿岸を探索し始めた14世紀前半に始まったと考えられます。これは、コロンブスの航海よりも50年以上前の出来事です。
折角なのでChatGPT(モデル:4o)にも大航海時代の夜明けについて聞いてみましょう
⚫︎ プロンプト「大航海時代の夜明けとも言える歴史の一幕はなんだと思いますか?」
⚫︎ 昭明係による補足
コロンブスが西回り航路をスペイン王室に提案したのも、バルトロメウ・ディアスが希望峰からインド洋に抜ける航路を見つけられたのが発端。
ディアス「これでイスラム圏の影響受けずに直接東方と貿易できるぜやったー!」
ポルトガル「わーい!」
で、スペインもポルトガルと同様海洋によってインドに向かう必要があったけど、アフリカ沿岸航路はポルトガルが押さえてたので新航路が必要だった。だから
コロンブス「西回りで回りましょー。」という流れですね。
ちなみに、希望峰に至るまでも「世界の果て」への挑戦が続きます。コレだけで記事一本書けるくらいの…。 ただ、僕ら日本人の今の価値観からすると「希望峰って奴隷を大量にヨーロッパに送ったネガティブな場所でしょ? 何でそんなポジティブな名前ついてるの?」 って思いますが、これ、ヨーロッパ側から見た時の名付けなんだなぁと、この辺りの歴史を知って思った次第…
(余談ですが、ChatGPTに「希望峰発見したシーンを描いて!」ってお願いしたら「コンテンツポリシー違反なので生成出来ません!」って言われて画像生成出来なかった。多分奴隷問題があるからな気がする… ヤック!キャンセルカルチャー!)
・カルメンシータのスープの隠し味にトマトが入っていたけど、トマトが食卓に上がったのはもっと近代
トマトはコロンブスの新大陸発見後に、南米大陸からヨーロッパにやってきたというのが史実になります。
(ファンサービスなんですよね…そう信じてますよ…?)。一部の人は気づいているのは知ってますが、フィクションに基づいたファンサービスだと気づかずに「劇スとの関連性に気になる!」と言うような感想を述べている人たちを何人かタイムラインで観測しました。
隠し味のトマトはフィクションなので遊び心として楽しみましょう。 なお、スペインの人達がいつ頃からトマトを食べ始めたかは現在調査中であり、ここは後々アップデート予定です(ちなみに、自分は12月の3回目の公演あたりでなんか変なことに気づいていました…)
これは脚本家さんの頭の中にしか答えがないのですが、もしも素でトマトを出していたらと考えると、違いますよね…? バナナについても調査中です。
・「エルドラド」ってコロンブスの新大陸発見後に流行った言葉なので、作品内でコロンブスの新大陸発見前に使われている違和感。
タイトルにもなっている「エルドラド」。この言葉がスペイン人(を始め、多くのヨーロッパ人)達を新大陸へと向かわせました。ですが、この「黄金郷エルドラド」を目指すためには「新大陸発見」が必要十分条件であり、今回の作品ではこの辺りの順番がごっちゃになってしまっています。
史実としてのエルドラドが如何にしてヨーロッパに伝わったかについては、ペンシルヴァニア歴史学会会長かつ英国王立地理学会特別会員のボイス・ペンローズ氏の著作物「Travel AND Discovery In The Renaissance 1420-1620」で黄金郷にまつわる伝説は1530年頃にスペイン人達の耳に達していたと記されています。コロンブスによる新大陸発見が1492年の為、そのあたりを踏まえると、アレハンドロ達が当たり前のようにエルドラドという言葉を使っているのを見ると、若干の違和感がありますね。
ペンローズ氏の書籍には以下のように書かれています
(簡単にまとめると、新大陸発見後「偽りにまみれた黄金の噂を信じて出かけていった」という旨のことが書かれています。)
現代の価値観に当てはめると、上の絵に描かれた500年前の人達を愚かと言えるかも知れません。しかし、今のようなインターネットも無い時代でそれを評価するのは果たして出来るのか?と私は思います。
金言だと思っていた言葉、もしかしてこれになってませんか?
・ファッション(服装)の設定が時代に合っていない。
華恋ちゃん達の衣装がナポレオン時代に近い近代的な軍服に基づくファッションになっています。
具体的な例をあげると、日本語では肩章と言われる「エポーレット」や、スタァライトではお馴染み上掛け(フランス語では「プリス」)を、1490年代に着ているのは、知っているとかなり違和感…。
これらのファッションがヨーロッパで使われるのはもう少し先のお話です。ファンサービスなのは理解した上で、楽しみましょう。
この辺りの衣装の歴史や意味も今度別の機会に記事化しようと思いますまたそこで語らせて下さい。
折角なので、華恋ちゃん達のレヴュー衣装パーツの歴史もこの場を借りて簡単に紹介いたします。
・サンタ・マリア号のような船に描いてある十字架がバッテンに。
劇場版からで、宗教的背景もあるので、ある意味で仕方ないですが、アメリカ大陸発見後のスペインはカトリック教徒の国土回復運動(コンキスタドール)として、新世界(アメリカ)にキリスト教を拡めることを目的に活動していました。その為赤い十字架をマストに描いていました。ですが、赤い十字架はコロンブスはじめとする、諸問題を思い起こさせるような内容でもあるため、コレについては致し方ないと思います。(本項目については参考文献調査中です)
ただ、「スペイン帝国の可能性も?」と、協力者のとんけさんから指摘を頂いており、もしそうなら、フィクションじゃなくて「狙って」なのかも知れません。(Wikipedia スペイン帝国についての記事)
1点補足すると、実は当時の船のデザインってあまり資料が残っておらず創作に近いものもあるとのことです。 以下、ボイス氏の書籍「大航海時代」からの引用です
・ツッコミどころで言えばリヴァイアサンのシーンは、コレがモチーフ?(フィクションかというと微妙ですが...)
朗読劇で某ラヒ⚪︎ュタの「竜の巣」みたいなシーンと似てた「リヴァイアサン」のシーン。ジブラルタル海峡を抜けた後、南の海でと言うことでしたが、おそらくコレはカナリア諸島近海かと感じました。
エンリケ航海王子がエアンネスに命じて超えさせた、ボジャドール岬より先の世界の果てをモチーフにしてると理解しました、ですが西の海が越えにくいという課題は既にエンリケ航海王子が制覇済みではありますが。
ここも折角なので、エンリケ航海王子が当時世界の果てと言われていたボジャドール岬を越えた
第2部 副題 ①
ここから先は予想ですが、8月に出るコンソールゲームで入りそうなフィクション要素を勝手に妄想…
・近代式灯台が出てくる
遥かなるエルドラドのオープニングムービーで近代灯台がチラ見してる。
もしかしたら、夜の航海シーンで「灯台の光が見えたぞ」みたいなことを言うのかも…
灯台については、私の人生のサブテーマである「光」にも触れる所なので、少し語ります。
この灯台の歴史を語る上で欠かせないのは「フランス人、オーギュスタン・フレネル」。近代灯台を輝かせていたフレネルレンズを発明した偉人です。僕ら日本人が頭にちょんまげ乗せてのんびり暮らしてた時代、即ち1820年(ペリー来航の35年前)、血の滲むような努力の末 大発明「フレネルレンズ」を作り上げました。もちろんこれはプロトタイプであり、量産化には30年近くかかるのですが...。
近代灯台の登場により、それまで非常に危険と言われていた夜の海の安全性が非常に向上しました。
灯台自体はフレネルレンズより前からありましたが光が届く距離はわずかで、座礁する船が後を絶ちませんでした。
以下の引用は、フランスで行われたフレネルレンズの公開実験の記録です。フレネルレンズを使った方式と反射鏡方式の戦いが描かれています
フレネルレンズと言えば劇場版スタァライトの「狩りのレヴュー」の最初のシーンで、星積みの塔が横に半分に割れて、映写機が出てくる時にチラッと見えるレンズです。
こいつは凄いんですよ…放たれた光のロスを極力無くせるよう、光の波の性質を活かして拡散する光を逃さず「集光」するんですよ…。これを搭載した近代灯台は50海里先でも光を見ることができるという…
・懐中時計が出てくる??
さも当たり前のように懐中時計(ハリソンの作ったようなH4)を船の上で使ってるシーンが描かれる?
華恋の扮するアレハンドロが手に持った海中時計見て「何キロ(何海里)進んだ」みたいなことを言う…?(流石にコレは…どうでしょ〜?)本記事の最後におまけで時計についても触れますが、大航海時代と時計の歴史は紐づいていてそれだけで、ヨーロッパの科学技術の熱き人達も語れてしまうのですが、そこは時計に詳しい山田五郎さんにお任せします。
・世界地図を出してしまう
絶対無いと願いたいですが、もしもコンソールゲームで北米大陸を含む世界地図が出てきたら流石にフィクションだとしても、かなりアウト側の間違いになります。
アメリカ大陸もカバーされた「大陸の輪郭がなんとなく見えてきた」世界地図が出来るのは1570年頃ですが、海上も含めて経度が制定された年。つまり世界のポジションゼロであるグリニッジ基準の子午線が引かれたのは、1884年となります。 グリニッジにまつわる話は一つ上に記載したH4との深い関わりがあります。
コロンブスが信じていた地図は以下のマルテルス図に基づいています。
コロンブスは中国やインドをまとめてインドだと思っていたようでした。それくらいイメージが分かりにくいというのもあったようです。
もし万が一世界地図などが出たら、物語においてどのように整合をとるのか等は期待にもなる箇所ではありますが…
恐ろしいのは、上記のオルテリウス地図の初版発行は、コロンブスが新大陸を発見した1492年から、たったの80年後の1570年。地球のスケール感をつかんでしまった当時の欧州の人たちの精神の凄さ(良くも悪くも)を知った時は、私としても非常に驚きでした。
織田信長が1580年前後にイエズス会の宣教師から地球儀もらってるらしいので、合点がいきますね。(何度も書きますが経度は正確じゃなかった地図です)
・アイテム「宝の地図」が出てくる
いろいろ調べてて自分も驚いたのが、大航海時代モノにおける重要アイテム「宝の地図」が好んで使われるようになったのは、小説「宝島」が元ネタだったという。
とは言うものの、死海文書という古文書には金銀の探し方が載っていたらしく。もしも、この設定をうまく使って、サルバトーレが古文書解読してて「エルドラドに向かうぜー」っていう展開になっていたら、それはそれで面白いな〜って思います。
第2部 副題 ②
逆に、遥かなるエルドラドでやらなそうだけど、この記事をここまで読んで下さった方々に是非とも知って欲しい。当時の「航海術」を支えた偉大なる「ツール」
・天文学による航海術、偉大なツール「アストロラーべ」
今のようなGPSなんていう便利なツールも無ければ、そもそも世界地図なんてのも無かった時代です (地図はありましたが、北米大陸の描かれた地図が出来るのが1570年頃で、コロンブスとアメリゴヴェスブッチの新大陸発見から更に80年弱かかります)。 それにも関わらずコロンブスのアメリカ大陸発見における航海では、スペインを出航後北緯28°付近をほぼピッタリ西進した。そのコロンブスの航海を支えていたのが「アストロラーべ」
カッコいい名前!
コロンブスがアストロラーべを使って航海していたという証拠は以下の文献で語られています。
確かにコロンブスは残酷な行為など最近やたらセンシティブなワードにはされていますが、この「天文学に基づく航海術」と「本当に西に向かえばインドに到着できる!」と信じて進んだ挑戦の心は評価出来ると思います。もちろん、原住民に残酷なことをしてしまったのも正しく捉える必要がありますが、ここでは割愛します。
補足すると、「史実で新大陸を目指して向かったコロンブス」っていう考えは、現代の価値観つまり「アメリカ大陸があるのを知っている状態」で歴史を観測しているので、歴史の旅に出る時の妨げになってしまう恐れがありますので注意しましょう。
・アストロラーべを(小道具として)遥かなるエルドラドに出して欲しい理由について
何故この天文学による航海術をエルドラドで描いて欲しいかというと、アレハンドロがサルバトーレに天文学を教わってるシーンやって欲しいんですよ。
少年時代に以下のような感じで↓
夜、サルバトーレが星を眺めているシーン。手には金色に輝く装飾品があった。
アレハンドロ「サルバトーレ…それはなんだい?」
サルバトーレ「全く、アストロラーべも知らないのかい?アレハンドロ。そんなんじゃ、あの何の道しるべも無い大海原で道を見失ってしまうぞ」
アレハンドロ「ごめん、是非とも教えてくれ」
サルバトーレ「いいか、こうやって星を掴むんだ、あの夜空に輝く星を掴むことで……」
それからアレハンドロは猛勉強するんです、大海原を超える為に、天文学と航海術を学んで遥かなるエルドラドにたどり着くために。
アストロラーべって夜に輝く様々な星から進むべき道を判断する為に使うツールです。語源については以下の通り。
このツールまさにスタァライトっぽいじゃ無いですか。朗読劇で全然触れられなかったけど、大航海時代初期って昼は太陽の運行に沿って自身達のいる緯度を測って(当時経度は見つかってません)。夜は夜で星を読んで緯度を測って。 そういう冒険の時代だったんですよ。 ペンローズ氏の大航海時代の本読んでる時、こういう創意工夫で過去の人たちは大海原を渡ったんだって思った時、私凄く感動したんですよ。
で、更に創作ですが、アレハンドロはコロンブスの航海を支えた人物になるという二次創作が出来る、遥かなるエルドラドの後にサンタマリア号乗るけど、アレハンドロはコロンブスのお気に入りだったから、ヨーロッパに帰れるっていうお話作れると。
ただし、コロンブスが帰投するにあたって誤ってポルトガルに着いちゃうっていう史実があるんですが、そこでアレハンドロはコロンブスがスペインに帰るための交換条件でポルトガルに残る事になっちゃって、コロンブスの歴史には残らなかったっていう物語が作れるぞ!と。
二次創作にも繋がるし、仮に公式がやらなきゃ、私がそのあたり二次創作したいくらいですから…!
樋口さん脚本の中でアレハンドロを最後にサンタ・マリア号に載せて、ぶっちゃけコロそうとしてるじゃ無いですか、あれは個人的に許せんのですよ。だってアレハンドロ可哀想じゃん!いくら親父さんが酷い人だったとしても、アレハンドロ可哀想だと私は思っているので…
12月の舞台終わった後、あの脚本の残酷さに気づいた自分は、なんて酷いこと出来るんだ!って思いましたし、中にはタイムライン見てると「アレハンドロが乗る船にマリア様の名前がついてるなんて素敵!」と書いてる人達見て「いや、樋口さん。あんなにも可哀想な目に遭ったアレハンドロにトドメ刺そうとしてるけど良いのかよ?!」って思ってもいました。正直この記事を書く理由の一つにここを語りたいと言うのもありました…
取り残された乗組員がどうなったかについては、敢えて本記事では触れません。
↑昨年の1回目公演後に書いた記事も合わせてどうぞ。
第3部
フィクションはフィクションだと理解して楽しむ事が出来ないと、創作物を楽しむのは難しい
リドリースコット監督から私と歴史学者への反論、「そんなに史実が好きなら、ドキュメンタリー見ろ」
今回の記事作成にあたり、同じような議論って世界中であるんじゃ無いかと思いました。
という訳で、再度ChatGPTに聞いてみたところ、映画ナポレオンでも同様に「この映画嘘じゃねーか!」と議論が巻き起こっているとか。
どうやらナポレオンがピラミッドを砲撃したシーンが史実と異なるという事で、一部の方が大批判してるらしい…
リドリー監督の一言「史実が知りたい奴はドキュメンタリー見てろ!」コレを知って、私は創作物のフィクション部分を理解してエンタメを楽しむことが大切だと理解しました。
私にとっての「遥かなるエルドラド」の評価
正直、感謝してます。
というのも、12月の朗読劇を観て私はすぐに以下の本を買いました。
歴史初心者の私には非常に難しい本で、知らない単語だらけ…なんですか!?プレスタージョンって!!?、しかも参考文献リスト含めて700ページ弱の超大作。実はこの記事執筆時点で、後半のエルドラド伝説以降は読めていないです…
私はこの本で大航海時代の夜明けを少し知り、コロンブスが出かける以前からヨーロッパ地方にあった様々な出来事。 そして、ヴァスコダ・ガマがインド洋航路を達成し、ポルトガル&スペインの宣教師が、赤い十字架を携えてマスケット銃つまり火縄銃(まどか☆マギカのマミさんのメインウェポンのアレですね)を日本に伝来させ、戦国時代が終わり僕ら日本人は江戸時代という停滞の時代に突入していく…
同時に、もう一つ
「どうして、僕ら日本人には大航海時代が無かったんだろう…。自分たちから外の世界に打って出る事が無かったんだろう…」
という事を考えるきっかけになりました。そのあたりは今度記事化したいです。
私が好きな歴史は、日本史の中でも神話の古代史(古事記/日本書紀)と明治維新だけが物語として好きで、それ以外にはあまり興味がなく、ましてや世界史は高校時代に非常につまらない授業を受けて嫌いになっていました。
しかし、遥かなるエルドラドを起爆剤に、いざ大航海時代の歴史の旅をして、この「発見の時代」の出来事が今でも私たちの生活に様々な影響を及ぼしているというのを知ることができ、史実と合わせることで非常に多くの学びを得ることが出来ました。
⚫︎歴史をテーマに扱った作品として見たエルドラドは正直微妙…
ファンサービスを意識するあまりなのか、それとも、樋口氏およびスタァライト構成チームの調査もしくは整合性の調整不足からか、本記事で取り上げたような史実とフィクション要素に無理が発生してしまい、史実を取り入れた歴史物語としては非常に中途半端な内容となってしったと思います。
私が一番無理を感じたのは、エルドラドが新大陸発見前からあたかも南米を目指しているような描写をしていて、自分なりに歴史を勉強した辺りからなんか変だぞ?と思っていました。
具体的にはサルバトーレが船を奪った後、南米方面に向かっているような描写(リヴァイアサンのシーンに繋がるアレ)が、歴史を知った後、なんか腑に落ちない…というのが正直な感想です。何かその変な部分をうまくすり抜ける回避策を入れておいて欲しかったなぁ…と。
これが、ファンを待望させていた壮大な舞台なの…?と言うのが私の正直な感想です。
また、日本を代表するカンパニー新国立第一歌劇団の得意の公演ということですが、樋口脚本と同じような出来だと、正直海外勢に笑われてしまうのでは?とも思ってしまう…しかも、コロンブスっていうセンシティブな話題にも触れるし…
いっそのことサルバトーレがプロペラの付いた船で空を飛ぶくらいぶっ飛んでた方が見てる側も「あーこれはフィクションなんだな」と思えたような気も…?実際2023年の11末の何も知らなかった自分は、そういうファンタジーものを期待してました。(余計なお世話なのは承知です。)
何故、このような脚本になったかを、勝手ながら一応肯定的に想像すると、恐らく、大海原に漕ぎ出すコロンブスや大航海時代のヨーロッパ勢の熱き意思(ネイティブアメリカンやアフリカ大陸の方々、そして、のんびり暮らしてた我々日本人にとってはいい迷惑ですが)と舞台少女達の卒業後の人生を重ね合わせて。(同時に「Discovery!」の歌詞【 新しい大陸を見つけた冒険者みたいに 】にも重ね合わせて)ストーリーを描きたかったのでは?と推察しました。
ただファンの人たちの評価を見ると、多くのファン、いわゆる舞台創造科の方は満足されているような旨をタイムラインから推察できます、アフトでの樋口氏の脚本作成にあたる上での発言や彼本人が「すごく勉強した」というご発言を称賛している声もタイムラインから観測出来ており、ビジネスとしては成功なのかも知れません。しかし、この物語に真摯に向き合おうとして大航海時代をちゃんと勉強して、より一層楽しもうと思った私としては、大航海時代というテーマ性に満ちた世界を舞台として扱いながら、コロンブスの新大陸発見時期だけにしか焦点を当ててるだけのような主旨のご発言だったのを含め、私としては物足りなかったです。
8月発売のコンソールゲームでもっとフィクション要素が入るのかも知れませんが、歴史を楽しむ作品ではなく「キャラクター達がわちゃわちゃ楽しい劇をしている」と緩く見るのが良いのかも知れません。
何と言っても、いわゆるエンタメですからね。
その上でこの記事読んで腹落ちして貰った皆様が、コンソールゲームも含めフィクションをフィクションだと理解して楽しんで貰えればと思います。
でも、ゲーム内では自分が望んでいるような、星を掴む「アストロラーべ」のエピソードなどが有ったら、良いなぁと思う次第です。。。死海文書も。
第4部
史実から見た時のエルドラド伝説も知ってみよう
「エルドラド伝説が産業革命に繋がった」
さて、コレだけですと「ここ変だよ」という批判だけの内容で終わってしまうので、せっかくなので大航海時代から学べる歴史も簡単にまとめてみました。
史実から見た時のエルドラド伝説が、今の私たち人類の世界や生活にどのように繋がっているか知る事で、今の時代を別の角度からも見えるための知識として役立たせて頂ければ幸いです。
産業革命が1733年頃からなので、他にも様々な因果関係があるとは思いますが、「エルドラード伝説で最後に笑ったのはイギリス」だと知った時は驚きました。
歴史ってホントスケールが大きくて、何々時代とかで区切って考えると重要なポイントを見逃す危険性があるのを実感しました。
エルドラドはある意味で存在したというのが、エルドラド伝説の面白さだったと思います。 ラピュタも本当にあったんだ。
エルドラドが起爆剤となった産業革命の巨大な波は、黄金の国ジパングも呑み込んだ
しかし、ここで終わらないのが歴史の妙。 エルドラド伝説を起因とするとスペイン/ポルトガルの没落と大英帝国の台頭の歴史を、私たち日本人は他人事のようには語れないというお話をします。
大航海時代といえば、黄金の国ジパングの物語もありますね(マルコ・ポーロの東方見聞録)。そう、あれは夢物語ではなかったんです、日本も幕末まで非常に多くの「金」を所有していました。ジパングという言葉自体は神聖性の象徴のように思えますが実際に日本にも多くの金がありました。
しかし開国後、法外な為替レートで諸外国と取引せざるを得なかった日本の金はどんどんと海外に流出しました。
大航海時代の南米やポルトガルと似たようなことが起こっていた訳ですね。
詳細な内容は是非上記の動画を見てもらえればと思いますが、日本の金は欧米列強にどんどん流出しました
余談ですが、昭明係の「明」は明治時代から来ているという訳で、開国後の日本、つまり明治の話をほんのちょっとします。
金は失われましたが、一応、幕末から明治にかけて日本は近代化に成功しました。明治時代に富国強兵という激しい筋トレをすることで日本は筋肉ムキムキマッチョマンになりました。しかしその激しすぎる筋トレの結果、日本は長い歴史の中で築いてきた日本の良いところも無くしていきました。
このあたりの日本の明治から今に至るまでの近代史は今後も自分が研究したいと考えてるところです。いずれ別の記事にまとめたいと思います。
豆知識) 流れ星の贈り物 宇宙(そら)からやってきた金
そもそも、なんで僕たちは金という物質をありがたく思うんだろう…?
そう思った時、「金の文化史」という本をポチっていました。 非常に深く金を研究されていたその本でも、残念ながらなぜ私たちが「金」にこんなにも惹かれるのかの理由は載っていませんでした。
しかしながら金の文化史序章にて、金は地球のコアが膨大な圧力で作り出したものでは無く、どこかの星が超新星爆発を起こして生じた中性子星がぶつかって生まれ、その金を含む隕石が地球にやってきたという趣旨の話が書かれていました。
補足資料も、どうぞ「EirthSky, Did meteorites bombard Earth with gold?」
中性子星同士の衝突「キロノヴァ」が「金」の生成過程っていう説も
豆知識) 永遠の命の探究と賢者の石、そして火薬が歴史に登場した
金にまつわるもう一つのお話。
それは火薬の歴史と黄金の関係。黄金を不老不死の象徴の一つとして捉え、銅や鉄を「黄金に変える賢者の石」そして不老不死の薬の探究が「火薬」を生み出し、人間は世界を良くも悪くも変えました。
戦争利用も然り、ロケットなどの宇宙開発も然り…火薬は文字通り歴史に化学反応を起こり、歴史の流れは一気に加速しました。
火薬はヨーロッパでは銃火器の進化に繋がりました。遥かなるエルドラドはグラナダ陥落の少し前のお話ですが、火薬の歴史の本によると、こういった火器の使用がスペインを勝利に導き、国土回復運動(レコンキスタ)を成し遂げます。
レコンキスタを成し遂げたスペインはついにコロンブスを西回り航路に派遣し、偶然の産物として新大陸を発見し、大航海時代も加速していきます。(繰り返しますが、ネイティブアメリカンや、我々日本人からしたら迷惑千万ですが...)
エピローグ
この記事の意義とは?自己分析を踏まえて。
面倒臭い & 白ける。書いた人、二次元コンテンツ楽しめてるの?批判ばかりじゃない?
この記事を読んで、私のことをこう思った人も居るかも知れません。
「ウルトラマンが戦っている真下には、大勢の人が踏み潰されているいるんだ!そんな作品で楽しむとは何事だ!」と言って、ウルトラマンが戦っているシーンを楽しんでいる人達を叱り、場を白けさせる面倒臭い存在だと。
「(遥かなるエルドラドや、脚本家の樋口様のことを)何も分かってない!ブロックしてやる!」と(椎名立希さんのように)思う方もいるかも知れません。
(余談ですが、私は千早愛音に実業家に求められるわがまま精神を感じたため、愛音好きです。あの我儘さはアノンTOKYOを世界企業に出来ます。Forbesが推す日本人に選ばれるのも遠くないでしょう。)
話を戻して、
私自身、フィクション要素を列挙して、ここが違う!ここが違う!と書くだけでは、そうなってしまうと思っていましたし、現にこれまで何度もそういう態度をとっていたことがありました。
そんな中、もっと建設的に考えるにはどうすれば良いんだ?と思いました。その結果。
「創作物のフィクション要素を正しく理解して楽しむ姿勢が大切」
という結論に、やっと達することが出来ました。
また、何故自分は今回の出来事。そんなに思うところがあったのか、自分を動かしたこの思いの根底って何なんだ?という、自分を見つめ直す為の良い題材にもなりました。
もし良ければ、今の私のモチベーションと、大学時代の私の体験にお付き合い下さい。次のパラグラフは個人語りです。
執筆にあたってのモチベーション
大学時代の私の体験より
では、私が何故今回の記事を作成するに至ったかも語らせてください。
自分語りセクションなので、「興味ないね(某金髪ツンツンヘアーのソルジャー風に)」と言う方は次のセクションにご移動ください。
私は大学では情報・通信工学科で主に波動などを学んでいました。
文系/理系という括りで言えば理系の人間で、歴史は専門外です。しかし、10代の頃に親の影響で「お〜い龍馬」で読んで坂本龍馬の人生や幕末を知った気になったり、中学校時代に太平洋戦争をテーマにしたいわゆる「架空戦記もの」でほんの少し歴史を知った気になってました。
その後、高校では一応進学校に進みましたが、クラスでの勉強にあまりついていけなかった私は世界史の「ただ年表を覚えるだけの授業」で世界史が嫌いになりました。ローマ五賢帝ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、…あと誰?覚えたところで…
ですが、歴史全般が全く嫌いになった訳ではなく、アニメで言えば神無月の巫女や東方projectなどを通して、日本の神社や神話などに興味を持ち始めてはいました。
そして私は東京の理系の大学に進学しました。最初の半年間くらいは慣れない学生生活をしながら過ごしていた時、國學院大学に進学していた友人からこう言った誘いを受けました
「歴史サークルで日本史学ばないか?」
折角の友人の誘いだったので、私は学外の活動に参加することにしました。
歴史と触れ合う上での大切な考え方を、私が学んだのはこの時でした。
歴史サークルでの1日は以下のような流れになっています
休日(日曜/祝日など)何人かで教室に集まり、歴史のレジュメを全員で輪読
学んだ歴史にちなんだ所へ実際に赴き、目や耳で体験し、学習&調査
最後に感想会を行い(レストランなどで打ち上げも兼ねて)、それぞれの学びを共有
その日のテーマは「乃木希典」について知ろう。 という事で、私たちは早稲田に集まり、日露戦争で活躍した乃木希典についての資料を輪読しました。
その後、乃木希典を祀っている「乃木神社」に参拝後、乃木邸などの見学を行いました。
乃木神社見学終了後、近所のファミレスに移動し、それぞれ今日の学びなどを共有しました。私が感想を述べる順番が回ってきました。
具体的に私が何を言ったかはあまり覚えていませんが、以下のような事を言ったように思います。
「きっと、乃木大将もこういう事を行ったのは、こういう思いだったんだと思います。」
この「こういう事」や「こういう思い」と言うのを聞いた歴史サークル長のS先輩は、私にこう言いました。
「昭明係くん、君の言ったそれは事実かい? 事実ならば、今日の最初に読んだレジュメや、神社境内にそういう資料はあったかい? 僕はそういった記述を見たことが無い教えてほしい。」
私は返答できませんでした。私の感想は事実に基づかない、勝手な想像で乃木大将を評価した内容でした。 しかし私の反応を見たS先輩は私に以下のアドバイスを下さいました。
S先輩は熱い魂を持った大学生で、ただの大学生に留まらず、世の中を良くしたいと考えているような人でした。 その後も私は友人やS先輩達と、可能な範囲で色んな歴史を学ばせて頂きました。
学生時代の経験は今でも私の1パーツとして深く心に刻まれています。
もちろん当時からは私もアップデートしており「仮説」を立てながらの推論も重要だと言うのは理解しています。本記事も当時のS先輩の教えも尊重しつつ、なるべく文献に基づいた展開とさせて頂きました。
歴史を知ることは情報リテラシーの底上げかも知れない
本項執筆前から、Youtube上でも様々な先輩方から色んなことを学びました。例えば、
岡田斗司夫氏は誤った認識からは歪んだ結論しか出てこないと話されています。
上記の画像は2006年に岡田氏が「オタクは死んだ」という今の時代を予見してアップされた動画の一幕で、上記の発言の内容が岡田氏の講演のテーマでは無いですが、「オタク」という言葉の総決算に近いことを分析している動画として、私はそこそこ共感出来ました。
また、歴史を学ぶということについて、歴史家の磯田道史先生も以下のように語られています。
おわりに
『遥かなるエルドラド』はフィクションであって、史実に基づかない表現/演出が多数含まれています。それ自体は決して悪いことではありません。しかし、私はこの作品に触れているスタァライトファンの方々を観察すると、あたかも歴史の事実のように誤認され拡散されている例を何件か目撃しました。界隈では有名かつ影響力のある人達から発せられる「史実」という言葉がタイムライン上を飛び交い、それらがリポストされて行く現状。そして誤用されているのを何度も見てきました。
私は彼らに直接「それは史実じゃないよ」と語りかけることをしませんでしたが、自身のタイムラインで「ちょっと変だよ」というのは投げかけてきました。しかし、圧倒的言葉たらずの中で、ただただ煙たがられているような雰囲気だけを感じていました。気づけば私の発言はもう誰の目にも留まらないようになっていったと。
正直なことを言うと、12月の朗読劇初回からこの半年間、自分だけが、遥かなるエルドラドシップの不具合箇所を評価し、自分だけが知っておけば良いと思っていました。ファンの皆様はそういう部分には興味があまり無いわけだし。
しかしながら、神戸公演のアフタートークで脚本の樋口氏が誤った歴史観に基づく発言をされ、何人かが樋口氏を手放しで称賛している「さすが樋口さんだ!物凄い勉強したんだ!史実に基づいた凄い作品だ!」というような状態を見て、私自身嫌われてもいいから事実の発信をしようと思い執筆に至りました。
同時に、リドリースコット監督の言葉を受けて、改めて創作物に触れる上での大切な何かが文書化できると思いこの記事作成に至りました。
私がこの記事を通して皆様にお伝えしたかったのは、この物語の何がフィクションであるのかを明確化することで、正しい歴史認識を持って『遥かなるエルドラド』というコンテンツを楽しむ一助になればという思いです。もしかしたら揚げ足取りになってしまったかも知れません。
ですが、せっかくスタァライトでこんなにも面白い時代を取り上げたスピンオフ物語が出来たのですから、せっかくなので教育に活かせるような内容が書ければと思いました。
歴史を知ると言うのは大きな武器です。第4部で説明したような史実から見た時のエルドラド伝説のように、ポルトガルが努力の末得た金を後からやってきたイギリスに取られるような事にならないように。そして過去大量に持っていた金を欧米列強に取られてしまった幕末日本のようにならないために。これからの時代の海を泳いでいくための泳ぎ方は先人たちが残してくれている。そんな気がします。
また、本記事作成にあたりChatGPT with DALL-Eは挿絵の作成から、思考の壁打ち、そして、リドリー監督などの事例や、黄金の隕石の英語記事の検索など幅広く手助け頂きました。これらのツールが非常に強力であると言うのを再認識した次第です。
最後に、私自身アニメコンテンツの考察というのはあまり好きでも無ければ得意でも無い行為です。ただそれは、アニメの中を深掘るというのが苦手だということ。 どうやら自分はアニメの外堀を深掘りするのが好きなようで、そういった変な趣向から 他の見方を提供できたのであれば幸いです。
本記事執筆にあたり、私を支えてくださった友人のとんけ氏、寝坊氏、おくとん氏、そして家族。並びに、一番参考にさせて頂いた本「大航海時代」を執筆されたボイス氏そして各方面の先生方に、この場を借りてお礼をさせて頂ければと思います。
長くなりましたが、ここまで読んでいただいて誠にありがとうございました。
是非、この記事の共感頂けた方は、オタクコンテンツを起爆剤に勉強につなげて頂ければと思います。
◻︎参考文献
リスト化しようと思いましたが、写真で掲載いたします。
補講
おまけ①) 大航海時代が時計を進化させた
この記事を執筆しながら山田五郎氏のチャンネルのこの動画も見ていました。
大航海時代を語る上で欠かせない時計の歴史ですね。
私自身も、12月の遥かなるエルドラドの公演を観る為に東京行きの列車の中で「グリニッジタイム」という本を読んでいて、経度問題と時計の歴史について学んでいましたが、ここまで濃い内容で解説いただいていたのは驚きでしたし、初めて知る内容も多かったです。
この動画では、動画の裏テーマで「イギリスって国は(今で言うと)ゲームチェンジャーみたいな人が出てくる面白い国」と評価されてます。
余談ですが、イギリスといえば、神楽ひかりと大場ななが同棲しているという設定にされている国ですね。ひかまひが好きな私としては苦手な見解ですが。
私もイギリスについてはもっと勉強したいと思っているので、もしもこの記事を見られた方でイギリス史に詳しい方などいらっしゃいましたら、是非友達になりたいです。
一緒に歴史の勉強をしましょう!
なぜイギリスはゲームチェンジャーを生み出しやすいか、そう言うことを知るのも今後、この大変な弱肉強食社会で生き残るための方法を学ぶ一途になればと思っています。
おまけ②)フィクションを楽しむ為にやっぱり学びが大切だよね
もう一つ何故何故分析をしましょう。 何故、このフィクションに気が付かず脚本家樋口氏やレヴュースタァライト大本営の言う事を鵜呑みに信じて感動している人が何人も居るんだろう? …クイズやトンチを解くのは大好きらしいけど、
→ それはこれらの時代をちゃんと学べていないから
→ 何故学べないのか、その答えの1つは下にありました。
このグラフは、日本における企業の人材投資と個人の学習状況を国際比較したものです。
左側のグラフ
企業の人材投資(OJT以外)
アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、イギリスと比較した場合、日本の企業の人材投資は著しく低いことを示しています。特に2010-2014年のデータで顕著です。
右側のグラフ
社外学習・自己啓発「何も行っていない」人の割合
- 日本は52.6%と非常に高く、他国と比べても突出しています。これに対し、他の国は20%以下の割合が多く見られます。
企業の人材投資不足
- 日本の企業は他国に比べて人材投資が非常に少ない。これが従業員のスキル向上や学習意欲の低下に繋がっている可能性があります。
個人の学習不足
- 社外学習や自己啓発を行っていない日本人の割合が高いことは、企業の投資不足とも関連している可能性があります。個人が自発的に学ぶ環境が整っていないことが原因かもしれません。
このデータは、日本の教育や企業文化における学習意欲の低下を示唆しており、これが情報リテラシーの低下や文学作品の品質にも影響を与える可能性があります。
私自身も、去年の10月14日の投稿あたりから、再度勉強に戻ったと思っていますが、確かに社会人になって本を読む学びから…随分遠ざかってしまっていたなぁ…と。
この動画では、学びのコミュニティの形成の重要性について語られています。私としては一緒に学べる人を募集中です。
おまけ③)日本がこれから生きていくのには歴史を学んでうまく利用しましょうって話。
この記事執筆中(2024. 6月2週目頃)、某ミュージックビデオが炎上して、大航海時代がトレンドワードになった際「発見された日本人」というのがバズってましたが、最近日本はまた「発見」され始めているらしいです。
大航海時代の鉄砲伝来や、幕末の開国、戦後そしてクールジャパン、こういった時代を通して、これまで日本に興味が無かったような人達が徐々に日本を「発見」し始めているという。 そう言った発見した人達が日本を楽しむように成りつつあるという…。失われた30年を取り戻す為のツールに日本の歴史を上手にコンテンツとして売り出せれば。まだまだ高いポテンシャルがありそう…
Japan Brand Image Researchへの記事はこちら。
おまけ④)生成AIを使いこなすには審美眼が必要
この記事とは少しズレた内容にはなってしまいますが、本質的には溢れている情報から、正しそうなものをちゃんと選べるようになろうね。という事だと思います。 正しい情報にアクセス出来るよう、何だかんだで勉強が重要ですね。
アフタートーク:歴史勉強しながら得られた気付き
学校で歴史を学ぶ時「いつ、誰が、何した」「いつ、なにが起こった」「結果、どうなった」くらいしか教わらない。
しかしながら、この記事でも紹介したように、航海術のようなノウハウ/知識、アストロラーべのような道具、金とか火薬などの小物。エルドラドという大舞台。今回は取り上げられませんでしたが「帆船」とか。 それら大道具/小道具にもバックボーンとなる物語が多数あり、様々な歴史の事象に並行してやってきたりする…学生の頃から少し見える世界が広がって得られた気づきのような。
エンリケやコロンブスのような大スターも出てくる。スポットライトを浴びる人には脇役も居れば、全く浴びない人もいる。
今の時代も同じで、この記事を書いてる僕も読んでいる貴方もきっとどっちなのかしら?でも今の時代は情報通信技術の発展によりバズることもあれば、情報の巨大な流れに乗ってあっという間に消え去っていく。
そういう登場人物やさまざまな道具も折り合いをつけて、1つの作品としてまとめ上げるのって、本当に難しいと思います。もしかしたら遥かなるエルドラドの脚本を書かれた樋口氏もこういうジレンマと争いながらやったのかも知れないと思うと、歴史を舞台にした作品を作るのって本当に大変なんだと思います。
実は昨年から色んな歴史、小物などに至るまでちょこちょこ読んでいるのですが、お絵描きよりもそっちが楽しいと言う状態ではあります。
という事で、今後しばらくは、自分の好きな事をやれればと思っている次第ですので、こう言ったものを残していければと思います。引き続き宜しくお願いします。
ここまでお読み頂き誠にありがとうございました。
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