生成AI時代における人間の仕事とは
生成AIの発展によって、今後「残る仕事」と「消える仕事」があると言われる。
<残る仕事>
創造性や芸術性を必要とする仕事
a. アート、音楽、デザインなど、独自の感性や想像力を必要とする仕事
b. 映画監督、作家、漫画家、建築家など
人間関係や共感を必要とする仕事
a. カウンセリング、セラピスト、ソーシャルワーカーなど、対人支援を行う仕事
b. 教師、看護師、介護士など、人間関係の構築が重要な仕事
高度な専門知識と判断力を必要とする仕事
a. 医師、弁護士、研究者など、専門的な知識と判断が求められる仕事
b. 経営コンサルタント、戦略アナリストなど、複雑な意思決定を伴う仕事
手作業や職人技が求められる仕事
a. 工芸品の製作、伝統工芸など、手作業でしか成し得ない仕事
b. 高級レストランのシェフ、カスタムメイドの職人など
倫理や価値判断が求められる仕事
a. 裁判官、倫理委員会のメンバー、宗教指導者など
b. 政治家、公共政策の立案者など、社会的な価値判断を行う仕事
AIやテクノロジーの開発とメンテナンス
a. ソフトウェアエンジニア、データサイエンティスト、AI研究者など
b. サイバーセキュリティの専門家、ITインフラの管理者など
<無くなる仕事>
単純作業や繰り返し作業が多い仕事
a. 工場のライン作業、製品の検査・組み立てなどのマニュアル作業
b. データ入力、書類の整理、電話オペレーターなどの事務作業
パターン認識や大量のデータ処理を必要とする仕事
a. 診断書の初期レビュー、法律文書のチェック、財務分析の一部など
b. 交通管制、物流の最適化、顧客サービスのチャットボット対応など
ルーティン化されたホワイトカラーの仕事
a. 会計、税務申告、給与計算などの経理業務
b. 一般的な法務業務や契約書の作成、購買管理など
標準化された生産やサービス提供の仕事
a. マクドナルドの店員、コールセンターのエージェントなど
b. 自動車運転、宅配サービス、倉庫作業など
情報収集や整理を主とする仕事
a. ニュース記事の要約、リサーチアシスタントなど
b. 図書館の司書、簡単な翻訳業務など
私なりに、生成AIの発展がもたらすこうした「残る仕事」と「消える仕事」の変化を一言で表すと、こうなる。
これまでは「何をやるか」が大事だったのが、これからは「誰がやるか」が大事になる、ということだ。
過去には、特定の仕事やタスクそのものが重要視されていた。仕事においては「何をやるか」、つまり具体的なタスクや業務の内容に重きが置かれ、それを効率的に、正確にこなすことが評価されていた。しかし、生成AIが進展する中で、こうしたタスクの多くはAIによって自動化され、効率性や正確性が標準化されるようになる。この結果、タスクの中身そのものの重要性は相対的に低下していく。
一方で、生成AIが登場しても残る仕事には、人間らしさや独自性が求められるものが多い。特定の人物が持つ個性、創造性、共感力、価値観が重要視されるようになる。つまり、「誰がやるか」という仕事を行うその人の経験、視点、スキル、さらには人間関係や信頼性が、仕事の価値を決定づける要素として一層重視される時代となる。
例えば、アートやデザイン、クリエイティブな仕事においては、AIがどれだけ優れた作品を生み出すことができても、特定のアーティストやデザイナーが創る作品には、その人物固有のバックグラウンドやストーリーが付随し、ファンや顧客にとってはそれが重要な価値を持つ。また、医療や教育、カウンセリングなど、人と人とのつながりが重視される仕事でも、「誰がやるか」がその仕事の質を大きく左右することになる。
もちろん、ビジネスの現場においてもだ。顧客は単なる商品やサービス以上に、提供者との関係性や体験を重視するようになっていく。例えば、同じ商品を販売していても、販売者の対応や人柄によって顧客満足度は大きく変わる。「誰が」サービスを提供するかがブランド価値を左右する要素となる。パーソナライズされた体験こそが、ビジネスの中心になる。
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仕事が「残る」か「消える」かよりももっと問題は根深い。
技術の進歩は、私たちの社会に絶え間ない変化をもたらし続けている。その中でも、生成AIの登場は、単なる技術革新にとどまらず、私たち人間が何者であり、これからどのように生きるべきかという根本的な問いを突きつけている。AIが多くの仕事を効率的にこなすようになり、仕事が「残る」か「消える」かといった議論が世間で交わされているが、私はこの問題をもっと深く掘り下げて考える必要があると感じている。
ここで、哲学者ハイデガーの技術論に目を向けたい。ハイデガーは、技術が単なる道具以上のものであり、人間の存在のあり方に深く影響を与えると考えた。彼の技術論では、技術が世界や人間を「資源化」し、効率と生産性を追求する中で、人間の存在が道具や資源のように扱われる危険性が指摘されている。生成AIの進展によって、人間の仕事や役割が効率性の観点からのみ評価されるようになると、私たちの存在意義が技術に飲み込まれてしまう可能性があるのだ。
仕事がAIに代替されるのではないかという懸念は、根底にある人間の存在意義への不安を反映しているのではないか。つまり、私たちは技術に振り回される存在なのか、それとも技術を超えて自らの価値を見出す存在なのか。ここで重要になってくるのは、私たちが自らをどう定義し、どのように他者と関わるかという視点である。私たちは、単に仕事をこなすための機械的存在ではなく、共感やつながりを通じて生きる存在だ。そして、そのつながりがどのように形成されるかが、これからの時代における私たちの役割を決定づける。
ここで私は、自分がどのような「仲間の範囲」を大切にして生きていきたいのか、という問いを提起したい。生成AIの技術が進展する世界において、私たちがどのような人々とつながり、その中で何を共有するかは、単なる仕事の選択以上に重要な意味を持つ。私たちが日々の生活や仕事の中で築いている人間関係こそが、私たちの存在を支える基盤であり、それはAIには決して代替できないものである。
アートやスポーツ、そして職人の技といった具体的な例を見てみると、この考えがさらに明確になってくる。アート作品において、私たちが価値を見出すのは、単に作品そのものではなく、それを生み出した作家とのつながりである。人間は、作品を通じて作家の思想や人生に触れ、その背後にあるストーリーに共感する。これが、AIがいくら高度な作品を生成しても、そこに人間的な価値を完全に見出せない理由である。つまり、私たちが何を仲間と感じ、共感できるかは、人間としての本質に深く関わっているのだ。
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