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母親に「お母さんって腹黒いよね」と言えた話
人生のビックイベントの一つに母親との関係があると思う。
産まれてきて初めに認識する大人であるが故にその影響はものすごい。子供の頃は従順に母親の言うことを鵜呑みにしたが10歳になる頃にはモリモリと自我が育ちプラス思春期の突入により生意気で反抗的なクソガキが爆誕するのである。私は口が達者過ぎたようで10歳にして「こんなに人を憎たらしいと思ったことはない」と母親に言わせた。
中学生になる頃にはたくさんの他者と関わるようになり周りに大人が増え社会性も身につき始めるため、自分の母親を客観的に見るようになる。私は自身の至らなさを差し置いて、母親の至らなさばかりが目につくようになった。バリバリの思春期真っ只中の高校生、専門学校時代はお決まりの登竜門ともいえる「クソババア」呼びの喧嘩祭りであった。
いま振り返ると本当に酷い。私の母親だけあって母親も母親ではあったが中学生の辺りからお互いの感覚や価値観の違いに戸惑い、他者と比べ、母親をバカにしていたのだと思う。
クソガキも20代になると母親のことを拒絶し大嫌いになる。もう口も聞かないし2人で出かけるなんて皆無状態だった。そこで私は悩みに悩みカウンセラーの資格を取得するのだが、そこで言われる衝撃のひと言がきっかけで変わっていく。
「お母さんのこと大好きなんだね」
もう当時の私にとって、その言葉は衝撃的で、初めに聞いたときは苛立ちしかなかった。だが徐々に時間をかけてその事実を受け入れざるを得なくなる。
20代中盤には母親のことを大好きだということを自覚し嫌々ながら小さな意地を崩し受け入れた。その頃から徐々に母親との関係も修復し、もう今ではテレビにくだらない文句を言いまくる母に「お母さんって腹黒いね」「下衆だね」と言っても別にけんかになるような関係ではなくなった。
この話は母親と仲が戻った自慢をしたいわけではないし、母親を克服しただなんていまだに思っていない。ただただお互いがお互いの思うようにはならないということを知っただけなのだ。
お互いが違う人間だということを受け入れるのに何年も考え悩み長い時間を費やしていたのかと思うと一体何をしているんだとも思う。でも私にとっては必要な遠回りだったと思う。
外面だけはものすごく良いが実は腹黒い母と外面も腹も真っ黒な私の話である。