見出し画像

グライムスの回想 ー体育のためだけに半年通った「母校の多摩キャンパス」ー

※こちらの記事は、追記も含めて「法政大学無差別殴打事件」の前に執筆にとりかかったものとなります。多摩キャンパスを通学される学生の皆様が、一日でも早く平穏な学生生活をお過ごし頂けるよう、卒業生として心から願っております。また、自身は卒業生としての図書館利用の名目で訪れましたので、併せてご留意頂ければ幸いです。

懐かしい光景を見つけてしまった。大学1年の前期に、体育の授業が何故だか必修であったのだが、市ヶ谷の母校には学部生を確保し授業を実施するだけのスペースを有しない…(※ソコでの授業を希望の学生は、夏季休暇に登校を余儀なくされる)ということで、あろうことか…八王子の更なる奥地にまで通学しなければならなかったのである。これが埼玉の片田舎から通学する自身にとっては、身体的にも経済的にも想像以上の負担を強いられることとなったのだが、意外と自身の中で色々と思い出すことも多かったので、今回はそのことについて簡単に触れていきたい。

①実家から通学に2時間半以上を要した「多摩キャンパス」

※わんかっぷ/日本案内様の動画で、学内の様子が紹介されておりますので、ぜひご覧ください。

まず、キャンパスに辿り着く道程だけでも、完全に「小旅行」であった。地元から東武東上線経由で朝霞台駅に向かい、隣接する北朝霞駅にて武蔵野線に乗り換え、西国分寺駅で中央線に乗車し、八王子の1つ先である西八王子駅という、耳慣れないその先へと向かうこととなる。これだけでも2時間ほどかけてたどり着くこととなるのだが、さらに路線バスを乗り継ぎ2~30分ほどの移動を要して、漸く該当の多摩キャンパスに到着する。

下記の動画は母校の学生の方(当時)が、もう1つの最寄り駅である「相原駅」からのアクセスを解説されているが、ご覧の通り…緑地の広がるのどかな風景が広がる僻地である。相原駅ルートの場合は、主に神奈川県からの通学者から利用されているようだが、いずれにせよ最寄り駅から徒歩10分程度の市ヶ谷のキャンパスと比較しても、山地に聳える陸の孤島感は強い。

※法政多摩の大学生様の動画にて、自身も今回初めて利用した「相原駅始発」のバスによるアクセスが紹介されております。ぜひご覧ください。

オリエンテーションの際、集合時間が9時頃であったために…朝5時起きで該当のキャンパスに向かわなければならなかったのだが、武蔵野線の恐るべき通勤ラッシュにも遭遇してしまうわ、乗り過ごし防止のためにロクに車内で睡眠も取ることができないわで、とにかく終日にわたり睡魔との闘いであったことは覚えている(笑)故に、早朝からの授業は余りに辛い…ということで、昼休憩有の時間割(午後3時ごろの終了)を選択したのだが、それも1日は体育の授業のためだけに潰れてしまうので、いずれにせよ随分と負担を強いられる授業体系であることに変わりはない。

②孤独な昼休憩を支えてくれた「体育館近くのベンチ」

多摩キャンパスはとにかく、周辺に食堂や校舎以外の施設が非常に少ないので、時間をやり過ごすのに苦労した記憶しかない(笑)要するに、ぼっち学生には絶望的な試練が課されてしまうのである。勿論、当時は一応話をする程度のクラスメートと時間をやり過ごす機会もあったとはいえ、彼らも彼らなりに自身との人間関係以外に「義理や本音」があったようなので、恐らくその時期の半分ほどは、孤独に昼休憩を過ごしていたと思う。

ベンチで寝ていた(フリも含めて)こともあったし、当時はガラケーを弄る位しか暇つぶしがなかったので、いわゆるパケホーダイをフル活用する形でのネットサーフィンか、山奥故に電波に支障が出てしまった際には、「〇子ゲーム」と呼ばれた「にょろにょろゲーム」で、有り余る時間をやり過ごしていたと思う(笑)

上記は正に同一のシステムを有するゲームではあるが、サンタクロースを主人公としているので、印象的には全く異なる作品となっている。実際には曲線が上下する感じで、その動きがまさしくアレを彷彿としているように見えたことで、暗に不謹慎な名称が与えられていたのだと思うが…故に、名前の由来や出所は未だに不明である(笑)

とはいえ、完全無料でシンプルながら、中々奥の深いゲームではあったので、青春時代の一ページを彩る素晴らしい思い出として、今も自身の記憶の中に深く刻まれている。高校時代には既にリリースされていたので、コッソリ机の下で興じたことも懐かしいが、一方で2~3年辺りになると、学内の愉快な仲間たちとの充実した生活と共に、受験勉強と世界史への飽くなき傾倒という形で、超絶学習真面目系生徒に目覚めてしまったので、そうした余興からは距離を置くような時期もあったのだが、孤独に過ごす時間が増えてしまった大学時代に、悲願の再会を果たしたのである。

ちなみに、繰り返すようではあるが…名前の由来は不明であるのであしからず(笑)

③背中にハートマークを作った「テニスの授業」

少し郷愁に浸ってしまったが話を戻そう。大学での体育の授業自体には、それほど思い入れや思い出を抱いていたわけではないのだろうが、まさか大学の場で体育という「陰キャと呼ばれる人種」にとっては、公開羞恥プレイや新たな学生生活のネガティブキャンペーンでしかないソレを、あんな修行を伴って強要されるとは思わなかったので、大学デビューなんて中々実現しないものだなと、妙に冷笑的な教訓を得ることになった故であろう。

ある意味、学生の社会人デビュー(陰キャの歴史修正)を、大学側が意図的に抑制する意図だったのではと勘ぐってしまう位だ(笑)とはいえ、3時間目となるソフトテニスの時間は、後に卒業後も飲み仲間としても深い関係が続いている親友の1人も参加をしていたこともあり、割とリラックスして臨めたのは、こうした羞恥プレイの中でも唯一の救いでもあった。

その軟式テニスの授業、時間帯や運動量も含めて最も発汗が促されるのだが、あまりに背中の汗が尋常でなかったのだろう…まさにその友人から核心の一言が放たれる。

「しょうげき、背中にハートマークが出来てるよ」

当時の写真が残っていないのは痛恨の極みではあるが、確かに大きなハートマークのような跡が残っていた(笑)割と体を動かすこと自体は嫌いではないので、恐らくテニスの授業内の割とリラックスできる雰囲気が、健康的に体を動かす機会となったのだと思うが、にしても他クラスの女子学生も巻き込んで話題になってしまったのは、何とも複雑な心境ではある…(笑)

テニスを以て授業は終了なのだが、その時点で3時頃を迎えてしまうため、丸一日かけて必須3科目分を履修していたこととなる。もちろん、定期外の経路なので別途の経済的負担も発生したが、それ以上に帰宅の際の長い旅路がしんどかった。当時は音楽に中毒レベルで耳から触れていた関係で、大概はヒップホップかメタルコアを流し修行をやり過ごしてはいたが、よくもまぁあんな距離を、ほぼほぼ欠席せず通い続けていたと思う…。

ところで、多摩キャンパスでの食堂の記憶がない、というより思い出せない。色々食べた気はするし、食べなければ午後まで持たないから食べてはいたのだろうが、何を食べていたのだろうか…(笑)市ヶ谷ではシダックスお手製の唐揚げ丼が思い出深いのに…まぁ、恐らく学生の財布事情に寄り添う、300円のソバかうどんを食べていたのかもしれない。

興味深いのは、周囲には神楽坂や飯田橋といった歓楽街にほど近い市ヶ谷キャンパスとは違い、ほぼほぼ徒歩圏内に周辺施設のない多摩キャンパスでは、学生同士の交流が非常に盛んなのだという。恐らくは相互のキャンパスの印象が、噂程度に広まった位の話なのだろうけれども、確かにあの緑に溢れる穏やかな空間で過ごしてたら、多くの余所者としての学生たちが入り乱れる中で孤独感に苛まれる市ヶ谷キャンパスとは異なり、他人に緩やかに関心を抱けるような穏やかな気持ちにもなるのかもしれないが、いずれにせよ大学内におけるコミュ障は本人の自己責任ではあるのだろうから…。

〇おまけ「懐かしの多摩キャンパスを撮影してきた」

18歳の時に通って以来、実に19年ぶりに足を踏み入れたことになる「多摩キャンパス」。今回は別件で八王子に足を運び、相原駅経由で寄り道がてらに訪問できそうだったので、人生で初めて「相原駅経由」のバスに搭乗し、記憶の整理も含めて郷愁に浸らせて頂くことにした。

多摩キャンパスの玄関口。19年前と何一つ変わらない光景…卒業生には有難い。

こちらが多摩キャンパスに入場した際に、誰もが初めに目にすることとなる光景となる。イギリスに留学した身なので、レンガ壁が妙に懐かしい気持ちにもなるが、流石に19年前の記憶は非常に曖昧だったようで、これほどまでに大きな校舎だったのかと、思わず純粋に感動すら覚えてしまった。

自身は大学内の図書館に入館できる会員証(卒業生も発行可)を所持しているため、学内図書館への訪問を建前に母校を訪れている。基本的に大学内は関係者以外の入館をお断りしている建前ではあるが、余程の政治活動系や何らかの不審な様子が見られなければ、退場を迫られることは稀だと思うので、食堂等を目的に会社員の方や主婦の方も入場されているらしいのだが、一応自身に関しては、建前上「卒業生による図書館の訪問」ということで…(笑)

授業後は、この下り坂を登っていくことになる…授業終了後も続く体育のひととき。

そして、自身が2時間半以上の道程を経て通い続けた「体育館」がこちら。実を言うと、ここまでたどり着くのに結構な坂を2度も越えなければならず、これだけでも相当な運動量であったことを、20年越しに改めて歩きながら思い出すこととなった。敷地内には無料のバス送迎も運行されていたものの、現在ほど本数が多かったか否かは記憶にない。今回は学生の皆様に利用の優先権を考慮しつつ、自身の社会復帰のための体力増強を優先させて、敷地内では一切利用しなかったのだが、こんな距離を毎度毎度歩かされていたのかと、なんだか複雑な心境になった。

写真右側に見えるのは、正に背中にハートマークを創り上げた「テニス」の授業が行われたコートである。ソフトテニスだったこともあり、どちらかといえば有酸素運動をのんびり行う感じで、個人的には非常に有難かった。ちなみに、雨の日は体育館内で筆記の授業となるのだが、この際に初めて「松岡修造」氏の教則ビデオを拝見した際の印象も忘れられない。

世間的には「ソチ五輪を危機的状況に及ぼすほどの熱血漢」の一面も含め、好意的にパロディ化されることの多い、いわば「愛されキャラ」という認識が強い一方、後に錦織圭といった名プレイヤーの礎を築いた、実は物凄い実績を持つ修造氏。講師としても勿論、非常に冷静で的確な説明に終始されていて、如何に優れた指導者であるかを、まさにビデオ教材を通じて認識させて頂くこととなった。

そして、こちらが在学当時大変お世話になったベンチである(笑)

昼休みの際にお世話になったベンチ。本当は久々に、寝転んでみたかったのだが…(笑)

19年越しに眺めるベンチは、既に過去の苦い記憶をフラッシュバックさせるほどの存在ではなかったものの、一方で孤独をどのようにやり過ごすかに四苦八苦した記憶は若干思い出されるようで、何とも不思議な負の記憶の混濁に動揺してしまったが、こうして今も現役に活躍している姿を見られたのは、何か生き別れた親友との再会のようで率直に嬉しかった。まぁ、何の変哲もないベンチを熱心に撮影する姿は、傍から見れば不審者でしかなかっただろうが…(笑)


いいなと思ったら応援しよう!