「衝撃の〇〇歳」の思い出を振り返る Part.1
「衝撃の〇〇歳」は13歳から始まる。当時はインターネットも現在と比較してアンダーグラウンドな世界で、本当に一部の熱心なパソコンユーザーの方が、ひっそりと同じ趣味を持つお仲間たちと、ひっそりと交流を楽しむような空間が点在するような世界であったと思う。2ちゃんねるも存在はしていたし、幾つかのトラブルこそ目の当たりにしてきたが、今と比較しても圧倒的に緩やかな空気感が漂っていたと思うし、そういう時期にネットの世界に飛び込むことが出来たのは、本当に幸いであったと感じている。
ところで、衝撃の〇〇際という名前の由来はどのようなものか。それについては、20年越しに(一部の熱狂的なゲームファンの皆様より)多くの注目を集めることになった「衝撃のホワイトドッグ」に関する記事にて紹介はしているが、改めてこちらでも説明させて頂きたいと思う。
衝撃の13歳というインターネット上のハンドルネームは、「首都高バトル0」というゲームのキャラクターより一部を拝借したものである。ゲーム内に登場する「Queen's Paradise」という、
「女にモテるが運転は下手なメンバーと、女にモテないが運転はぴか一なメンバーが交錯する」チームのリーダーの通り名(=キャラ名)が「衝撃のジョー」という名前で、
特にチームに対する思い入れや愛情はなかったのだが、設定車種がホンダ・シビック系統で固められていたことから、なんとなく「衝撃の」というフレーズが「13歳」を強調するのに最適だと、当時の中学生の自分が感じたのかは不明だが、そうしたルーツを持った名前であることは確かである。
ちなみに、昨今ではジャンルを超えて人気を誇る舐達麻も、元ネタは「なめだるま親方」という風俗ライターの方のソレらしく、たまたまイベントのチラシの際にクルーの名前を求められたところ、雑誌で見つけたソレを偶然にも引用するに至ったのだそう…結果的には、彼らのライフスタイルを表すクルー名として機能こそしているようには思えるので、運命的な出会いと言えばそうなのかもしれないが、そう麻を舐める達人…(笑)
余談はさておき、そういう経緯で生まれた「衝撃の13歳」というハンドルネームでデビューしたのは、まさに引用先である「首都高バトル」関連の掲示板だった。逆に言うなら、この掲示板でデビューを果たすために、衝撃の13歳という名前が生まれたと言っても過言ではない。この掲示板では本当に様々な出会いと今でも活きている「大人の世界で生きるための学び」があったのだが、それについては別の記事でまとめてあるので、そちらもご参照頂ければ幸いである。
現在と比較しても、閉じられた世界の中で大人が多かった時代なので、国語を通じての礼儀作法や敬語に関しては、割と厳しい世界だったように思えるし、それは中学生であっても例外ではなかったのだが、それ故に大人になっても礼儀の面では多くのことが活かされていると思うので、個人的には感謝していたりもする。何より、同年代のファンの方々との交友も画面越しに実現してしまったのは、本当に13歳の自分にとっては喜び以外の何物でもなく、この時期は学校帰りにパソコンの画面に張り付く日々が繰り返されていた。
衝撃の13歳は、首都高バトルのドレスアップコンテストが開催された翌月辺りに「衝撃の14歳」にレベルアップを果たすことになる(笑)
上記の動画は、まさしく「衝撃のホワイトドッグ」が爆誕するきっかけとなった「首都高バトル0 ドレスアップコンテスト」について 、YouTubeでご活躍のBBBさんが纏めてくださった動画なのだが(本当に感謝しております!皆様も、ぜひご覧ください!)この時期になると掲示板も含めすっかりネット住民としての慣れも生まれはじめ、自身でホームページも立ち上げるほどに活動を活発化させてゆく。
上記は紛れもなく、「衝撃のホームページ」として立ち上げた自身のウェブページである。立ち上げ当初はより簡素なデザインではあったものの、(プロバイダーや提供会社から貸借する形で)掲示板や日記も設置し、割と高頻度で更新も行っていた。掲示板でのエピソードは別の機会に話させて頂きたいが、この時は本当に様々なユーザーの方々と交流させて頂いていた。勿論、自身も親交のあるネッ友の方々が運営するホームページや掲示板に頻繁に遊びに行かせて頂いていたのだが、例の「衝撃のホワイトドッグ」の流れで、まさしくその流れで拘留させて頂いていた皆さまとの再会を果たすことになり、20年越しに感無量の心境に至ったのは本当に忘れられない。
ホームページビルダーという制作ソフトには、当時本当に大変お世話になった。マウスのドラッグ1つでデザインを変更できたので、HTMLやらなにやらが全く分からない自分でも、簡単に一通りのホームページらしいものを創り上げることが出来た。今ではブログ等を立ち上げるほうが効率もいいのかもしれないが、そういう時代の楽しみを中学生ながらに体験できたのも本当に有難かったと思う。