
祝・新作発表記念 ー首都高バトルの思い出を振り返ってみるー Part.17 「首都高バトル掲示板」
恥ずかしながら、以前「首都高バトル0 ドレスアップコンテスト」に関する動画を配信して下さった「BBB」さんが、関連する複数のWebページへのリンクを、正に下記の動画の概要欄に掲載して下さっていたことを、今更ながら認知させて頂いたので…(汗)その有難きWebアーカイブに触れつつ、自身のネットデビューのきっかけとなった「首都高バトル掲示板」について、今現在も記憶に残る範囲内で、改めて緩やかに振り返らせて頂きたい。
そして、改めてBBB様には「衝撃のホワイトドッグ」も含め、首都高バトルへの果てなき記憶を呼び覚ましてくださったことに、心から感謝の意を申し上げさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。
ちなみに、以前にも自身が「掲示板」に関して記事にさせて頂いたので、そちらも併せてご一読頂ければ幸いです。思考の回復前に執筆したため、所々に乱雑な箇所もあるかもですが…(笑)
ということで、まずは当時開設されていた「首都高バトル0」のページから振り返っていきたい。
①昔の「首都高バトル公式ページ」を覗いてみた
(※下記に掲載のページはWebアーカイブのため、アクセスは自己責任の下で頂ければと思います。尚、作品自体の詳細については、下記のatwiki様のページをご参照ください)
https://web.archive.org/web/20070126002156/http://www.genki.co.jp/games/szero/
我が脳内からはすっぽりと抜け落ちていたのだが、「0」発売時点においても「タイムアタックコンテスト」が開催されていたようだ。自身も恐らく参加したのかもしれないが、具体的にどのような催しであったかは、残念ながら当時のWebアーカイブを眺めても、どうにも思い出すことが出来ずもどかしい。ただ、恐らくこの大会での反省点が活かされた結果、「01」での認証コードが実現し、より公平で効率的な大会運営が実現したのだろう。
そして、「INFO」のバナーを選択すると、例の「首都高バトル・ドレスアップコンテスト」に関連するページも、奇跡的に残存していた。所々に参加作品の画像の欠損こそ生じてはいるが、関連する諸々の詳細は幸いにも保存されていたので、次回以降の記事で改めて触れさせて頂きたい。
一通り当時の思い出に浸らせては頂いたので、ここからは自身の若年期の人格形成の面でも本当にお世話になり、儚い青春を彩ってくれた「首都高バトル掲示板」について触れさせていただきたい。
②「首都高バトル掲示板」について
「発信する側」としての自身のネットデビューは、「首都高バトル0」の発売年である2001年の夏頃であったはずである。1990年に創業の元気株式会社は、ユーザー同士の交流、スタッフの皆様からの直接的な情報発信、そして両者による意見交換、及び相互交流をも実現させる魔法のツールである「掲示板」を、恐らくは他社に先駆け開設していた。
実際には類似の情報媒体…例えば、文字を介した伝達手段の先駆けともいえる、パソコン通信やチャットといったものは既に運用されていた上に、ゲーム機を介しての仮想言論空間を時代に先駆けて実現したのは、恐らく「ドリームキャスト」であったことを考察するに、掲示板の開設自体は特段革新的でなかったのかもしれない。ただ、ネットの広大な世界を全く存知ない当時の自身にとっては、画面上で不特定他者と交流できる掲示板というシステム自体が、非常に画期的で面白そうなコミュニケーションの手段に思えたので、一目見た時点で強い憧れを抱いたのは覚えている。
当時はインターネットの利用率が低かったことも含め、実際に掲示板自体がどの程度「作品の売上と社の認知」に貢献していたかは不明だが、それでも今日のSNSの雛型ともいえる情報媒体を、時代に先駆けて導入された元気株式会社様の姿勢には、やはり先見の明を感じると共に、個人的にもネット社会へのデビューの機会を間接的に頂けたので、今でも本当に有難く感じている。自身にとっては、まさに首都高バトル掲示板こそ、インターネットにおける自己発信のルーツなのである。
③首都高バトル掲示板内の「ネチケット」
ところで、不特定多数の書き込みが飛び交う首都高バトル掲示板では、年齢を問わず利用者が順守しなければならない、基本的なマナー(当時はネチケットと呼ばれていた)が暗に複数存在していた。以下は自身が思い出せる範囲で書き連ねた、運営側からのものも含めたルールリストである。
①相手方の年齢に関係なく敬語を用いる
②ユーザー同士の交流等、スレッドを私物化しない
③質問の際、既出か否かを検索してから記入する
④自己紹介の場にしない(※質問を交えながらは可)
明確な規定の有無は別として、こうしたルールへの遵守が、年齢を問わず求められていたが、13歳の自身にとっては中々に厳しくも感じられたので、当初は閲覧程度の利用に留まってはいたものの…そこは当時は貴重な存在であった「自動車に関わる知人・友人」を求めていたこともあり、世間知らずの未成年ながらに、初めて「発信」の世界に飛び込んでみることにした。
④中学生、掲示板に初めて書き込みをしてみた
まずは、類似の質問の有無を上下左右隈なく確認し、その既出でない質問を建前にしながら、自己紹介も簡潔に交える文章を作成する。新参者であれば相応の挨拶は勿論、中学生であっても大人の読者を想定しながら、敬語を用いなければならない。単に質問を目的とした投稿でも問題はないが、いずれにせよ挨拶と丁寧な文面は必須であった。
何より、初登場時の印象を大きく左右するのは「ハンドルネーム」である。これは首都高バトルの「通り名」に該当するのだろうが、どうせなら簡潔で印象的な名前が好ましいだろうとは、中学生の自身でも感じるところであった。そこで、たまたま何かのきっかけで記憶していた、首都高バトル0のライバル「衝撃のジョー」の一部分を拝借し、新参者な上に世間知らずの未成年として、大人の皆様に何卒お手柔らかな対応を頂きたい意思を交えつつ、同世代のクルマ好きの皆様にも、近しい世代の人物であることを暗に伝えたかったので、
「衝撃の13歳」
という、後に首都高バトル01において、大いにご迷惑をおかけすることとなった「衝撃のホワイトドッグ」の元ネタともなり、あのヒップホップアーティスト「DABO」氏をも、10数年前のMixi上で「衝撃的な名前!」とご驚愕頂いた、衝撃的なハンドルネームが完成した。このハンドルネームは後に「$hougeki」に改名する形となるが、今でも自身と交流頂いている皆様からは「衝撃さん」と呼んで頂いており、息の長く愛着の強いHNとして、今も変わらず重宝させて頂いている。
一方、初投稿時の詳細については、流石に20年以上前の話なので…率直に言えば、全く記憶に残っていない(笑)登場車両に関連する質問なのか、どこぞのエリアの攻略法であったか、要は自己紹介の「建前」に過ぎなかったはずだ。いずれにせよ、自己紹介は穏当に完了できたことで、首都高バトル掲示板へのデビューを果たすことが出来たのである。。
⑤首都高バトル掲示板内の「トラブル」
首都高バトル掲示板は、未成年も含め大人の礼節を求められる社交場であったから、基本的には穏やかな仮想空間であったが、何しろ不特定多数の参加が実現する故に、トラブルが暫し発生することもあった。ユーザー間でのスレッドの私物化もさることながら、当時は「荒らし」と呼ばれた迷惑ユーザーは特に、快適な利用を著しく損ねる非常に厄介な存在として、運営側のスタッフの皆様にとっても、恐らく相当な頭痛の種であっただろう。
そうした負の側面も確かに発生したものの、自身は首都高バトル掲示板を通じ、本当に多種多様なユーザーの皆様との素晴らしい交流の機会を頂けた上に、大人の世界に必要な礼節や姿勢を、中坊ながらに有難くも学ばせて頂いたので、改めて本当に運営して下さった当時のスタッフの皆様には、今も感謝の気持ちを抱き続けている。そして、その掲示板でお声がけいただき、後にホームページを通じての交流等も含め、当時大変お世話になった「ミストラルさん」のホームページに触れながら、今回の記事を締めくくりたい。
⑥「ミストラル俱楽部へようこそ」へ再訪問
※Webアーカイブとなりますので、アクセスはご自身のご判断の上でお願いいたします。また、ご紹介の際のスクリーンショットなどは控えさせて頂いております。自身の拙い文章でしか、HPに関してお伝え出来ないのは心苦しいですが、ご了承いただければ幸いです。
BBBさんのYouTube動画の概要欄には、ミストラルさんが実際に運営されていたホームページのURLも掲載されており、改めて眺めさせて頂けるだなんて思わなかったので、本当に胸がいっぱいになってしまった。残念ながら、ページを彩る壁紙やバナーといった要素は消滅してしまっているものの、どことなく当時の記憶が蘇ってくるようで、どこか懐かしく暖かい気持ちに包み込まれるようだ。
ページ内の「pou師匠の作品」及び「pou師匠の走り」という項目は、自身のHPにも数多訪ねて下さった凄腕プレイヤー「pou」さんのために、当時ミストラルさんが公開されていたページである。01では「pou@MSR」というハンドルネームを持つ「中嶋虎之助」として出演されており、師弟関係を象徴する鮮烈な登場シーンは非常に印象的であった。何より、当時お二方が懇意にされていた様子が画面越しに蘇ってくるようで…。