私が「衝撃のホワイトドッグ」です。~首都高バトルに明け暮れた青春~
偶然なのか必然なのか、自らの青春時代を一気にフラッシュバックしてしまう動画を見つけてしまった。しかもその動画の中で、自らが中学〇年生の時に考案したキャラクターが、約20年の時を経て「みんなのトラウマ」として紹介されていたのだ…。
上記の「びびび/ BBB(以下「びびび」)」さんの首都高バトル01のライバル(敵キャラ)解説動画にて、自らが当時の元気株式会社にプロフィール一式の設定の原案を送付した「衝撃のホワイトドッグ」を紹介して下さっていて、それだけでも大変ありがたいのだけど…まさか19年前に何気なく応募したキャラが、20年の時を経て、「みんなのトラウマ」という裏ネームがついているほど、多くのゲーマーの方にとってのトラウマであったことを今更知ることになるとは思わなくて…(笑)
ということで、今回はどのように「衝撃のホワイトドッグ」という
「小型車に載る訳のない直6ツインターボエンジンを積んだ、悪魔的な速さで多くのユーザーの皆様を苦しめた歪なヴィッツ」
を操る「みんなのトラウマ」が爆誕してしまったのか、も含めて…色々自身の中で残る記憶の範囲で書き連ねていきたいと思う。ちなみに、衝撃のホワイトドッグのプロフィールは以下に「Rivals」様がツイートして下さっていましたので、直リンクを引用する形で掲載させて頂きます。
てか、今見ると中二病丸出しで結構恥ずかしい…(笑)説明文については、恐らくご担当のスタッフの方の修正や改訂は行われているのだけれど、基本的な詳細は継承されていたので、非常に感激したのもよく覚えている…というか、プロってマジですげぇなぁと。
①「衝撃のホワイトドッグ」誕生の経緯
首都高バトルシリーズを手掛ける元気株式会社は、恐らくほかのゲームメーカーに先駆けて、ユーザーや社員との交流を実現する「掲示板(現在のSNS)」をいち早く開設するなど、インターネットを活用したプロモーションを積極的に行っていた企業なのだが、「首都高バトル0」の発売から暫く経過した後、主に掲示板に出没するファンの方々からのリクエストが非常に多かった企画として…公式ホームページ上で「カスタムカーコンテスト」を実現させてしまった。しかもその企画の目玉特典として
「次作へのライバルとしての登場権」
が参加者全員に贈与されることになり、まさに「衝撃のホワイトドッグ」爆誕のきっかけとなる。当時は13歳(後のびびびさんの動画で発覚…!)で中学2年生だったのだが、自身がプロフィールを作成するライバル…まさしく、自分の分身が円盤の中に収録されるゲームの世界で、半永久的…かは分からないけど、ほぼ未来永劫にわたり存在し続けることになるなんて、本当に夢のような話でもあったので、世間知らずの中坊ながらに感極まったのは非常に覚えているし、本当に元気様には多くのファンの方に粋な計らいをして頂いたと、大人になった今も感謝の念を抱き続けている。
「衝撃のホワイトドッグ」、この通り名はかつて自分が用いていたハンドルネーム「衝撃の〇〇歳(〇〇は当時の年齢)」から引用したもので、「ホワイトドッグ」の名前の由来は…多分、米国のラッパーのスヌープドッグからなのか、あるいは中二病的に「イケてる」って感じのノリで引用したはずで、まぁ大して深い意味はなかったはず…ただ、今見ると、
「職業:ラッパー」だの
「衝撃的に全国制覇!」だの
「フラッシュニンジャ」だの
若気の至りにしては世間知らず丸出しの赤面でしかない文言も多くて、ある意味非現実的すぎる感じは、黒歴史なのかもしれない…(笑)ちなみに、「大川龍哉」というのは勿論偽名で、特にこだわりもなくつけた名前だと思う…もちろん、大川興業の大川総裁とも何ら関係はありません…大川総裁は好きだけど(笑)
でも、「ホワイト」というフレーズには拘りがあって…「設定希望車」が「ホンダ・シビックタイプR」であった故に、タイプRシリーズの象徴である「チャンピオンシップホワイト」を纏ったシビックに乗り、首都高を颯爽と凱旋するアメリカ帰りの元ストリートレーサー…というイメージに拘った経緯は非常に覚えている。もちろん元ストリートレーサーという設定は、思いっきり映画「ワイルドスピード」の世界観に中二病的に被れていたからです…あれ見て痺れちゃった同世代の方、いっぱいいるはず…!(笑)
ただ、首都高バトルはあくまで「走り屋」の世界観を踏襲した作品という認識も強かったので、どちらかといえばワイルドスピードに出てくるようなド派手なステッカーやネオンで飾るスポコン車というよりは、「JDM」という日本の走り屋的な「ストイックなスタイル」に純粋に影響を受けた現地のカスタムを纏ったシビックでの登場を期待して、プロフィールも足りない頭で自ら一生懸命に考えて…(実際はかなり修正も入ってます/笑)
大きな期待と夢を詰め込んで、元気様に応募させて頂いたのだが…開発者様にも自分にもどうすることもできない「諸事情」が発生してしまったことで、この「衝撃のホワイトドッグ」の歪な車種設定が結果的に爆誕してしまうことになる…。
②本田技研工業、「01」への車種提供を辞退に伴う想定外の車種変更…
多くのファンの皆様もご承知の通り、「首都高バトル01」にはHマークを纏ったホンダ車が一切登場しない。首都高バトルの主題は公道での非常に危険な違法レースである。そして、ホンダは主に昭和後期から阪神高速で社会問題になっていた「ローリング族」に対する警察の取り締まりの煽りを受けて、子会社の「無限」が家宅捜索を受けてしまった等の経緯から、こうした「非合法レース(一般車両と思しきものが登場する設定)」をテーマにした作品やゲームへの自社製品の提供、あるいは著作権貸与を原則禁止していた時期もある。
要するに、首都高バトルシリーズにおいて本来最も登場しえないのが、
「Hマークがシンボルのホンダ車」ということになる。
ただ、それまでのシリーズ作品では「自社製品であることを偽名なり類似ロゴでカモフラージュする」などで、デザインや一部車種データなどの著作権を「メーカー車であることをぼかす」ことを条件に、ホンダも含めて各メーカーから使用を許諾されていたらしく、それ故にホンダ車であっても首都高バトルの世界で見られることができた(らしい)のだが…
「01」においては「実車収録」を待望する声が、元気の運営する「公式掲示板」を通じても多く寄せられるようになっていて、開発陣もその期待に応えるべく実現に向けて各自動車メーカーと協議を重ねていたそうなのだが、そのファンの希望と開発者の期待に応える姿勢が、結果的に上記の「ホンダ車の登場しない世界」を爆誕させてしまうことになってしまった…。
尚、「ライバル登場権」の注意点として「都合によりご希望の設定に沿えない場合がございます」という文言は添えられていたので、開発側としては「ホンダ車への懸念」はある程度は想定済みだったのだと察することはできたのだが、その「ホンダ車どうも登場しないっぽい」噂が徐々にネット上でも流れ始め、しかもそれが噂ではなく「現実味を帯びた情報」として共有され始めてきた頃、自身の車種希望が果たして本当に実現するのか、流石に世間知らずの中学生だった自分でも不安になる日々を過ごしていた…そして、その不安はついに「現実」のものとなってしまった。
③発売直前まで知らされていなかった「トンデモヴィッツ」
ホンダ車の収録は、やはり実現しなかった。それは、シビックに乗る分身の登場も実現することが限りなくゼロになったことを意味する上に、他のメーカーによる「実車収録」はほぼ実現してしまったので、実質「ホンダ車が一切存在しえない世界線」の首都高バトルが爆誕してしまった。
それは、「衝撃のホワイトドッグ」の肝となる車種設定が文字通り
「真っ白」になったことを意味する。
本当に、どうなってしまうのだろうか…期待が不安に変わり、一方で開発者の方への「粋な計らいとしての代替設定への淡い期待」も残しながら、長い時間を経てようやく手元に届いた「首都高バトル01」を進めていくと…
「え、どノーマルのヴィッツじゃん…」
率直に、本当に愕然としてしまったんだよね…いや、というより呆気にとられたというか、もうただただ泣き笑うしかできなくて…俺はシビックRで首都高を制覇を目論むストリートレーサーとして登場するはず、だったのに…(涙)しかも、なんか異様なまでに、速い…?いや「衝撃のホワイトドッグ」という、自らの理想を分身化したキャラクターが
「営業車みたいなドノーマルのヴィッツ」
で登場したことが強烈すぎて、メチャクチャ速くて苦戦したとか色々何も本当に、全然覚えてないんです…ホントに、ドノーマルのヴィッツということが、ひたすらに衝撃的すぎて…!
ただ、当時の反響としては…公式HPの掲示板でも「衝撃さんのキャラ、見つけましたよ」とか、「衝撃さんってすぐわかりました」「シビックでなくて残念でしたね」という、お知り合いの方々からの内々の反響位のもので、「ヴィッツで激速で強烈なアレ」とかそういう「衝撃的」だというお話は一切なかったので、
約20年の時を経て「みんなのトラウマ」として広く認知して頂いていることに気が付いてしまい、嬉しい気持ちは勿論なのだが、寧ろどう受け止めていいのか分からず、混乱を伴って困惑すらしている…(笑)
仮に実車化要望の話がなければ、「シビックに乗る衝撃のホワイト某」は勿論、「阪神高速を走るシビック集団」というライバル集団も当然実現していたと思うから、その意味では「ファンの熱意とスタッフの尽力が、結果的に表現の自由を悲しくも狭めてしまった」ことに…自分も当時は実車収録に興奮していたけど、その代償として失った表現の自由も目の当たりにしてしまったので…複雑な気持ちだよね。
④営業車ヴィッツに載せられた「直6ツインターボ」の含意と粋な計らい…
これは後になって気が付いたのだが、恐らく自ら作成したプロフィールが思いっきり「ワイルドスピード」に感化されていることを、ご担当のスタッフの方にも察して頂いたようで、映画の中で最も目立っていたオレンジ色のトヨタ・スープラ…特に強烈な印象を放った直6ツインターボ「2JZ」エンジンにあやかって、車種設定変更の際に粋な計らいとして、あるいは「想定外の変更故のお詫び」として…
「直6エンジンを換装した、営業車みたいな見た目のトンデモヴィッツ」
という悪魔的に爆速な敵車に乗る、強烈なライバルが爆誕してしまったのだと思う…(笑)ちなみに、拠点が名古屋という設定は事前希望として提出していなかったと思うので、どのような経緯で決定がなされたのかは不明だけど、まぁ…「トヨタ様のお膝下」ということで割り当てられたのでしょうかね…。あるいは、阪神高速という設定で「小型車でブイブイいわすローリング族」ってのもシャレにならないといえばそうだし…(笑)
そして、エアロが一切装備されていない理由は「ヴィッツに対応するエアロの設定が一切なかったから」だと思う…というか、100%それ…(涙)それでも、今見るとホイールのチョイスも含めて、結構JDM的(エアロ少な目仕様のスポコン)に仕上げてくださったんだなぁと思う箇所も結構あるんだよね…ホント、当時のご担当の方のご尽力には感謝の気持ちしかないです。
まぁ、シビックのようなハッチバックに該当あるいは匹敵する車種が、恐らくトヨタのヴィッツしかなかったということだったのだろうけど、今になれば営業車の面をしたヴィッツが、名古屋高速を300キロで疾走する故に「衝撃的」な存在として認知していただくことになったのだから、ある意味結果オーライなのかもしれない…(笑)
それに、仮にホンダ車の収録が実現して、シビックRに乗るワイスピ被れのキャラとしての登場なら、ここまで認知されてご紹介頂くこともなかったのかもしれないと思うと…不幸中の幸いという以上に、幾つかの想定外が重なり生まれることになった貴重なキャラの原案者として、こうして動画でご紹介いただいた上に、自身も記事にさせて頂いているので…まぁ、ただただ有難い限りです。
⑤首都高バトルと共に歩んだ中高生時代
首都高バトルは紛れもなく青春の一部である。今回の「衝撃のホワイトドッグ」の一連の経緯も、その青春の一部分に過ぎないほどに数多くの記憶が残っている。首都高バトルというゲームがなければ、13歳でインターネットの世界に飛び込むことはなかったと思うし、首都高バトルを遊んでいなければ、ワイルドスピードに憧れた中学生による分身「衝撃のホワイトドッグ」という、多くのユーザーの皆様を後に驚愕させてしまう強烈なキャラクターが生まれることもなかったと思う。
それ故に、今回「びびび/BBB」さんの動画でご紹介いただいた際には、本当に今も「衝撃のホワイトドッグ」を覚えてくださっている皆様がいらっしゃることに本当に驚いたし、改めて当時の記憶と共に色々な思い出が蘇ってきて…こうして1つの記事として、覚えている限りをまとめさせていただくことにした。
尚、以下は「首都高バトル0コンテスト」にまつわる余談なので、お時間のある方のみご覧いただければ幸いです…(笑)そして、以下の動画はびびび様が当時の参加者の皆様の実際の作品を再現して下さったものです…!しかも、幻の「シビックで首都高を颯爽と駆け抜ける、衝撃のホワイトドッグ」の映像も…!!もう、感謝感激感涙しまくり…ありがとうございます!(涙)
⑥余談1「衝撃の〇〇歳」という名前について
「衝撃の〇〇歳」という名前は、ホンダ系の車種で構成される「クイーンズパラダイス(01では消えてました/涙)」といういう、「運転の下手な女たらしと、運転の巧いモテない男」が集まるチームのリーダー「衝撃のジョー」が元ネタ。特にチームやキャラに対する深い思い入れはなかったものの、衝撃というフレーズが非常に印象的だったので何気なく採用したと思われる。
衝撃の〇〇歳は「20歳」まで続き、以降は現在の「$hougeki」という名前でネット界隈に非常に細々と出没中。ホームページの運営も行っていた時期があり、下記のコンテスト参加者の方々との交流も行われていた。
⑦余談2 コンテストで「ホンダ・アコードユーロR」を選んだ理由
強烈な意図や深い意味はなかったと思うが、マイナー車種で「渋さ」に拘って選んだのかなと…(笑)なお、ホイールはBBS的なものをチョイスしたつもりが、恐らく自身の入力ミスにより別のものに…(汗)
⑧余談3 コンテスト出場者の方々について
〇同世代の憧れ「15歳の86乗り」
ハンドルネームの通り、AE86型レビン・トレノをこよなく愛されている、自分の1つ上のユーザーの方で、当時は非常に貴重な同世代の自動車好きの方。元気株式会社が運営していた「掲示板」にて知り合い親交を深める。
ご自身が作成・管理運営されていたホームページがあり、掲示板は同世代のユーザーの交流の場として非常に賑わっていた。ご自身も「首都高バトル0無敗クリアチャレンジ」や「86で0を全制覇(記憶違いかもしれない…)」といった独自企画をHP上で逐一報告・達成されるなど、同世代のゲーマーたちにとっては憧れの存在でもあった。
〇「@MSR」の皆様
同じく首都高バトル掲示板にて知り合い、自身が管理・運営していたホームページの掲示板にも遊びに来てくださるなど、様々な面で当時大変お世話になった「ミストラル」さんと「pou」さんのお二方(社会人の方々)。「MSR」はまさしくお二方が所属されていたチーム名、というよりコンビ名というほうが正しいのかも。
pouさんは特に凄腕ゲーマーの方で、同じく凄腕のミストラルさんが「師匠」と慕っていたのがMSRのはじまり。首都高バトル01で「2対1」の対戦が実現したのは、お二方のこうした関係性を反映させたものだと思われる。「ミストラル」、というお名前の由来は「日産ミストラル」を当時愛車にされていたことから。
ちなみに、pouさんの01での「中嶋虎之介」というお名前は恐らく本m…ではなく、びびびさんもご指摘の通り「パロディ」かと思われ…(笑)
〇「FDともさん」
自身のホームページにも頻繁に遊びに来てくださり、お世話になった方の1人。上記のMSRの皆様とも親交が深い。ユーザー同士のトラブルの仲介などもしてくださっていた方。実世界でもFDのRX-7に乗られていた、はず…。
〇「@TFB」について
自身との直接の交友関係は思い出せないけど、MSRと同じく凄腕のゲーマーの方々のチームだったはず。メンバー数は不明。
他、当時交友関係にあった方々と思しきお名前も見つけたのですが、残念ながら確認が取れないので割愛いたします。そして、万が一ご覧いただいた当時の皆様、ご連絡いただければ幸いです…!!
⑨余談4「首都高バトル掲示板」について
こちらについては、別記事で改めて触れることにするが、元気株式会社によって管理・運営されていた公式掲示板。当時はインターネットのユーザーが非常に少なかった故に、運営側とは別に形成された独自のルール(既出の質問は禁止、などなど…)も多く、中学生ながらに困惑しながらも大人の世界の礼儀作法を数多く学んだ場でもある。
基本的には紳士的な方が多く平和な環境であったが、一部に荒らしやユーザー同士のトラブルも見られた。それでも、今日のSNSで見られるような誹謗中傷などは稀であったので、今のネット事情を見てしまうと少し寂しい気持ちにもなる…。
ということで、最後までご覧いただきありがとうございました…そして、動画として現代に首都高バトルの記憶をよみがえらせてくださいました「びびび」様には、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、ありがとうございます!!
トップ画像は、当時コンテスト参加者に送られた(と思われる)元気株式会社の公式ジャンパー。非売品なので超貴重な代物なのだが、着用する機会もないままタンスの肥やしに…(汗)