ユニークな息子
久々の投稿
今日は4歳の息子の体操教室発表会があった。コロナ対策もだいぶ緩和された中、初めての保護者参観。
うちの子どもは発語が遅く2歳から発達支援施設を利用しています。
言葉はだいぶ出るようになり、理解もしてるけど自分の世界に入ることが多く、はっきりした診断名はなくいわゆるグレーゾーンです。
集団での生活ができてるのか不安だったけど、その予想通り1人だけ目立ってました。
他の子は言うことを聞いて座って、返事して順番に発表している中、うちの子は話を聞かず自由に歩き回ったり手遊びをしてた。
担任の先生に手を持ってもらいなんとか発表してましたが目立ってました。
側から見るとうちの子はとても浮いていてネガティブな印象持ってしまうかもしれない。
だけど自分はそうは思わない。全然恥ずかしい事とは思えず寧ろもっと自由にやれと思っていました。
終わったあと聞いたら「体操教室楽しかった!」って言ってたし、これでOK。
保育園から小学校、中学校、高校まで徹底的に集団生活の和を乱さないことが正しいと教え込まれている気がする。
一見統制が取れていて良いことに思えるけど個性を押さえ込んでしまっている気がする。
「ユニーク」に対してポジティブな印象なのか、ネガティブな印象なのか
人との違いが個性であり、その人の魅力的な部分なんだと思う。
みんなが同じ顔、同じ性格なら誰と交流してもおんなじ。その人にしかないものがあるか惹かれる。
うちの息子の魅力的な部分
いつもニコニコ
寝顔が可愛い
足が速い
乗り物が大好き
弟のことを気にかけてくれる
こだわりがある
Jリーグのチーム名を全部言える
好きなサッカーチームの選手、監督の名前が全部言える上、チャントも歌える
すぐに歌を覚えて歌える
他にも沢山あります
特にJリーグにハマっていてポケット選手名鑑は肌身離さず持っています。今日も登園中も持ってギリギリまで読んでました。
もちろん安全や人を傷付けないことは大前提だけど、人と違うことやったら何がダメなんだろうか?
それを注意や矯正すると結局つまらない大人になっちゃうんじゃないのか?
確かに自然災害が多く国土の狭い日本において、災害があった時にスムーズに避難できるのは幼い頃からの教育の賜物なのかもしれないけども。
昔の日本、少なくとも落語の世界に登場する人物はみんな個性的
いつも間の抜けている与太郎、乱暴者の熊さん、そそっかしいはっつぁん等、今の世の中だと診断名が付けられるかもしれない
だけどそういう人が中心になって物語が進み笑いや感動が生まれる
きっと当時はそういう人がいるのが当たり前で長屋でも普通に集団生活ができていたんだと思う
今の世の中は他人と比較して「普通」と「普通じゃない」という曖昧な境界線を勝手に作り区別することで安心したりしている気がする。
普通じゃない方になるのが嫌で、本当はこう思うけど言わないでおこう、やらないでおこうと勝手に選択肢を絞っているんだと思う。
その結果無難な人生になる
歴史的にも成功したり後々語られる人は、普通の人がやらないことをやったからであり、無難な人生を送っていていつか成功することはないと思う。
難が有るから、有難い人生だと思う。
息子の環境は周りにも恵まれていて本人も嫌な思いをせずに過ごせている。
けど最近次男の方が理解できることも増えたり言葉数が多いので発達という点では遅れが顕著になってきている。
きっとこれからもっともっと苦労する場面はあると思う
自分は本人が楽しいこと、したいことはとことんやってもらいたい
人を傷つけることはダメだけど
本人の魅力的な部分を大切にしたい
こだわりが有るから、情熱を注げるから生まれるものがある
それをこれからもサポートできたらなと思います。