グレーゾーンで大切なのは「診断」よりも「特性」への理解
タイトルは最近読んだ本の最後の10章のタイトル
書店で気になり読んでみました。
正直最後の章まではグレーゾーンに関するいろんな事例を挙げていて、「こんなの誰でも当てはまるし逆に当てはまらない人なんているのかな」と思っていました。
グレーゾーンってことば白と黒の間なんだと思うけど、自分がイメージしていたグレーゾーンは黒に近い方。極端な話どんな人でも「特性」はあってそれを理解することが大事なんだと思う。
今はASDやADHDなんて言葉が一般的になっていて、病院で診察(テスト)を受けるてそう診断名がつく場合もある。その逆につかないこともあってそっちの方が多い。だけど、診断名がつかないから問題ないのではなく特性に向き合い、それに合った生き方をしないと生きづらくなってしまう。
そういった例が多くこの本には載っています。
十人寄れば気は十色。まんじゅうこわいのまくらに使われたり、落語のまくらで使われるフレーズ。
実際その通りでそれぞれが違うのは当たり前であって、それを何かの都合で区別するために、性であったり、使う言語であったり、信仰であったりでグループ分けしているだけに過ぎない。同じような考えを持った人といると人は安心するけど、そのグループの中で何かが違うとその人を区別してしまう。それはあくまで都合に過ぎないんだと思う。
基準はあくまで基準であって全員が同じならクローン人間しかいないと思う。
大切なのは区別することではなくてその人の「特性」を理解すること。
これは診断名だけでなく日常生活でも言えることだと思う。
うちの長男は耳から入る情報の記憶力がすごくある。この間行ったJリーグの試合で一度聞いただけのスターティングメンバーとサブメンバーを順番通り覚えていたり、歌もすぐ覚えてそれっぽく歌える。
あとアルファベットの発音がすごく綺麗
ボタンを押したら音が鳴る絵本でA〜Zまで押して真似しているんだけど、日本人が苦手なLとRもしっかりできている。
これら記憶がちゃんと理解しているものなのか、耳から入ったものをそのままアウトプットしているのか定かではないけど、すごい才能だと親ながら思う。
将来は音楽家や落語家(親の願望)になれるんじゃないかな。
検討はずれかもしれないけどそんなふうに一緒に考えてあげることが大切だと思う。