上方落語協会志演義⑨〜喜楽館ができるまで(その1)

神戸新開地・喜楽館が出来るまでは本当に紆余曲折ありました。

時系列としては、

①六代文枝師匠と新開地商店街の若者との手紙
②新開地商店街(まちづくりNPO)と上方落語協会との打ち合わせ
 →一旦立ち消えか、保留状態に
③六代文枝師匠と井戸兵庫県知事(当時)が会話
 →「建設」自体は可能かもという話になる
④「新開地に寄席を建設できるかの会議」が本格的にスタート
 (兵庫県・神戸市・新開地商店街・上方落語協会で会議)
 →「建設後の運営(集客や収支)」について議論
 ※上方落語協会内に、新開地寄席建設準備委員会ができる。
⑤新開地寄席建設準備委員会内部で、
「集客や収支の見込み・運営への考えの甘さ」について疑問が出る一方で、
協会全体で情報共有ができない状況が続く
 ※「建設できるのか・運営はどうしていくのか」について会議がドンドン       
   進んでいるのに、その情報を委員会以外に伝える術が出来ない
⑥新開地寄席建設準備委員会(?)が再編。4代小文枝(当時・きん枝)師匠が担当責任者になる
 →建設に賛成か反対の投票を行う【賛成多数になる】
⑦名前を募集し、喜楽館オープン

みたいな流れです。
(もちろん、私の記憶ですので、微妙な事実のズレや主観的感想も含みます)

この記事は「喜楽館ができるまでのサクセスストーリー」ではありません。夢を感じるための「成功体験」は別の誰かが書くでしょう。
私の記事は現実的な話です。
現実は必ず「失敗」を伴います。「失敗部分」を無かったことにすると、同じ失敗を繰り返すので、「失敗部分を読んでもらう(→失敗から学ぶ)」方が有益だと思います。それゆえ、喜楽館建設までのドタバタを書いていきます。(いわゆるABEMA「しくじり先生」と同じ感じです)

あと、私自身、この喜楽館建設問題で勉強になったことは、

事業や仕事(タスク)を進める上で「失敗をなかったことにするのは致命的」ですが、
人間関係においては「失敗をなかったことにする方が円滑に進む」

ということです・・・。
その意味で、後世の人達が、「人間関係を成立させる」というタスクを失敗しないためにも書き記しておきます。ある意味、「失敗をなかったことにできなかった」という私の失敗をここに書き記して、誰かの学びにして頂けたらという話でもあります。

私も、もういつ死ぬかも分かりませんし、この記事は別に誰かを貶めるために書いてるのではなく、次世代の誰かが「大きな流れ」に巻き込まれ、悲劇に合わないために書き残しておきます。(大層やな…)

自分が組織内で大きな違和感を感じている時に、「誰かに説明するための参考」なのか、「誰かに説明すること自体を諦めるための参考」になればと思い、ここに書き記します。


すいません、具体的な中身は全て有料です(笑)
お金を払うのに違和感がある人は、目次だけで、お楽しみください。
有料部分は、割と具体的にドタバタの様子を書いています。


ここから先は

18,488字

¥ 1,000

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

よろしければサポートお願いいたします!いただいたサポートは、株式会社笑福亭たま事務所の事業資金として使わせていただきます!