落語のコンクールについて【無料部分あり】

本日の記事は、落語コンクールについての考察です。

落語ファンの疑問として、たまに浮かぶのは、

「落語ファンにあまり人気のない落語家がコンクールでは、それなりに高い確率で優勝するけど、なぜか?」

「そして落語コンクールで優勝するということは、それなりの技量を持っているという証明のような気がするのに、結局、その噺家は、優勝した後も、落語ファンには人気が出ないままなのはなぜか?」

と、

「メディア志向の強い噺家がコンクールで優勝したのに、結局メディア進出できないことが多いのは、なぜか?」

という疑問です。

ある意味、これの回答は、同じテーマの話になり、

「落語ファンの好みと、コンクールの審査基準がズレる」と言う話であり、

「落語コンクールは、メディアと全く相関性がない」

ということを反映しています。

これについて本日は思いっきり解説します。

そして、これの裏面の考察は、

「メディアで評価される噺家は、基本は落語コンクールと無関係」

ということです(笑) 実例を挙げれば挙げるほど大問題になりそうな話なので、そこはオブラートに包んで解説していくつもりです。
(よく考えると、オブラートって、すぐ溶けますけどね・・・)

ちなみに既に、落語コンクールの「分類と傾向・優勝者のタイプ・優勝する方法」について、大まかにYouTubeで喋っています。
そちらを未視聴の方は、下記3本の動画をどうぞ。
ある意味、本日の記事の「さわり」は、喋っています。


【前提①】落語コンクールの出場資格は、芸歴15年までが多い理由

落語コンクールの出場資格は、たいがい「東京の二つ目まで」(芸歴15年まで)が多いです。

それはなぜか?

もちろん、いろんな理由がありますが、基本は以下が大きな理由だと私は思います。

①芸歴15年以上=真打になると「師匠」と呼ばれ、もともと「芸は好きずき(お客様の主観評価)」なので、師匠クラスの芸の優劣を述べるのは失礼だから。

たとえ文化人であれ、関係者であれ、「その分野で15年やっていたプロ」を素人が評価するのはおこがましいから(逆に審査をすると、その審査員がプロ集団からダメ出しを受ける可能性が出るから)。

出場者が「将来、メディアで活躍するかもしれない大人物になるかもしれない」という期待がないと、大会の集客ができないから。

一般人が判断する場合(落語マニアではなく、落語を知らない人を対象とするマーケットの場合)、芸歴15年以上の人間の優劣は、事実上、確定しています。芸歴15年もやってメディアに出ていない人は、これ以上競わせても通常は「芸能人にはならない」と一般人は、通常、判断します。なるならないは別として、「一般人の先入観」としてはそういうものです(笑)
↑ 
「一生、メディアで売れていかない噺家同士の戦い」を一般人が見ようと思いますか???・・・絶対見ないです(笑) 
芸歴15年以上の噺家においては、一般人にしてみれば「メディアで売れた人・そうでない人」が確定していますし、落語ファンにとってみても「見たい人・そうでない人」が確定しています。ですから、ベテランのコンクールをしても、落語ファンからすれば、「見たくない人が沢山出てるだけの落語会」になってしまいますので、あまり開催されないのです。
しかし、芸歴15年以下の噺家の場合は、落語ファンにおいても「まだ知らない人」がいたり、「新たな成長」を発見できたり、「予想外の展開が起きる事件」を目撃できたりします。一方、一般人にすれば「あんまり落語なんか見たことないけど、次世代のスターって言うてるし、ちょっと見てみよう」という動機が生まれます。
そういう意味で経済的な側面の意味でも、落語コンクールは「若い噺家を対象とする」ことが一般的です。
だから出場資格が芸歴15年以下というのが多いのです。

【例外】神戸新開地・喜楽館AWARD2023

神戸新開地・喜楽館AWARD2023の出場資格は、芸歴15年~25年です。
(来年以降どうなるかは不明ですが・・・)

この大会の出場資格が、どういう理由で決定されたのかは不明ですが・・・、いきなり上記で、私が書いた出場資格の「例外」です。

なぜ出場枠を高めにして大丈夫だと主催者は思えたのか?(推測)

端的に理由を言えば、

・主催者が「ABCラジオ」だから
・時代の流れが少し変わったから

という2点です。

最近の落語コンクールは、賞金がいくら大きくなろうが、メディアと無関係な大会が多いです。そうなると大会規模(観客数の規模)はそんなに大きくないのです。
観客は「落語ファン+一般客」で構成されますが、大会規模が小さくなればなるほど、落語ファンの濃度が濃くなってしまいます。逆に落語ファンが来てくれないと集客ができないので、

落語ファンが「将来性を感じる噺家の世代」
=「未確定な実力を持つ噺家の世代」

ということになり、通常のコンクールの出場資格は、芸歴15年以下となります。

しかし、今回は、ABCラジオが主催するので、ABCラジオが持つ宣伝力によって、大会規模はその他のコンクールより大きくなります。
もちろん「会場に来る観客数」自体は、従来とあまり変わらないのですが、「見に行きたいと応募する観客数」の母集団が、圧倒的に大きいのです。つまり「一般客」の影響・比重が大きくなります。

ですから芸歴15年以下にこだわる必要がないとも言えます。

そして、ABCラジオが広く宣伝するのですから、今回のコンクールの観客が一般人であったとしても、ラジオのリスナーのメイン層=おそらく年配層だと思います。この年配層は現在の日本を支える年配層ですから、今回のコンクールに興味を持つ一般の方々は、

「50歳以下をいつまでも若手と思う」(第2次ベビーブーム世代≒ロスジェネ世代より以下を次世代と考える)

人達です。

ちなみに芸歴15~25年の噺家は、年齢的に見れば「35~50歳」ぐらいなので、見事、それに当てはまります。(←全くの私の推測でしかないですが)

神戸新開地・喜楽館AWARD2023は、いわゆる大手メディアに進出できる若手(?)を世に出したいという主旨でしょうし、大手メディアを観るのが好きな年配層が思う若手噺家なので、

「芸歴25年以下(だいたい50歳以下)も若手!」

というようになったのかと思います。
ですから「大手メディアへの進出」という感覚からすれば、別に、この芸歴でも問題ないのかもしれません。
もちろん、私からすれば「芸歴15年以上」の制限はなく、いっそ「芸歴25年以下」だけでも良い気はしましたが・・・、その方が、下剋上の度合いも凄く、色んなことが起きて面白そうです。

また昔はどこの世界も、「若手・新人→現役バリバリ→退役」みたいな時代感覚を皆が持ち、「芸歴15年以下が若手!(30~35歳以下が若手!)」という考え方が主流だったと思います。
現代は社会構造として、高度経済成長期の考え方を持つ年配の方々が、「退役」感もなく、いまだに「現役感」を持ってる業界も多く、その場合は、自分が「現役バリバリだった時ぐらいの時の後輩」をずっと「新人・若手」と思う傾向があると思います。そうなると、一般人の多くも(人口的に年配が多いので)、

「50歳以下(第2次ベビーブーム世代)は、まだまだ若手!」

という感覚になりやすいかもしれません。これが時代の流れの変化です。

そんな訳で、一般人の常識的感覚で言えば

「芸歴25年以下は、世間は誰も知らないから、大丈夫!
 お前ら思いっきり勝負せぇ!」

ということかもしれません(笑)・・・まあ、合ってますね(笑)

【不安と願い】多くの人が落語を知るキッカケになって欲しい

高度経済成長期の価値観を持つ人たちにとって、40~50歳の噺家は「次世代=若い」ように思うかもしれませんが、現代の若者からすれば、私を含め、50歳前後の人間は、当然「旧世代(オッサン・オバサン)」です。
もしメディアに50歳くらいの噺家が唐突に出て来たとして、若い視聴者がよくわからないオッサンの噺家と価値観を共有できるとは思えません(笑) 今の年配の視聴者も、オッサンよりも、美しい若者を観たいのが、世の流れです(笑)
だから、芸歴15年~25年の年配の噺家がコンクールで優勝して、メディアに進出して、活躍することができるのか???・・・到底できそうにない気がするだけに、「メディアでの活躍」を期待されることについては、私は甚だ疑問です。(→それとは別に、なぜ落語コンクールで優勝した噺家がメディアで活躍できないのかについては後述しますが・・・)
しかし、大手メディアで露出することは、新規の年配者だけでとなく、新規の若者の目に触れることになります。新規の年配者も子ども(若者)を連れて来るかもしれません。とにかく、メディアに出ることは、それだけで程度の差はあれ、市場拡大になっていくことは期待できます。
今の世の中、何が当たるかわからないですから、どんな形であれ、このコンクールが落語を広めるキッカケになればよいと切に願います。
※もちろん、このコンクールの優勝者がメディア進出を果たさなくても、コンクール開催をすることは、落語市場の拡大につながるので、非常に有意義です。(参照>以前のnote「落語界からスターを作ろう!」って、正気か?という思いとは裏腹に…)

【前提②】芸歴15年以上のコンクールには「フレッシュさ」がない理由

芸歴15年以下と芸歴15年以上のコンクールにおいて、
一番大きな違いは、フレッシュさです。
芸歴15年以下の落語コンクールにはフレッシュさがあります。
芸歴15年以上にすると、フレッシュさは無いです。

それはなぜでしょうか?

芸歴15年(正確には10年ぐらい)までの期間は、噺家人生において最も

「芸に向き合える期間」=「自分がやりたい芸を目指す期間」

だからです。というのも、この期間は、実は「先輩などから仕事をもらえる期間」なので、お金のことをそんなに考えなくて良いからです(夢や目標=「なりたい芸人」や「やりたい芸」をメインに考えられる期間と言えます)。
芸歴15年までは、自分で商売をするというよりも、先輩から仕事をもらう事の方が大半です。ですから、商売の才覚がなくても、先輩から仕事を回してもらうことで、ひたすら「芸」のことを考えることが出来ます。
そうなると、若い噺家の方が、先輩方よりも

「やりたい芸だけやる」
(自分が未来に想定する顧客が評価してくれるような芸だけやる)

というスタンスが許されます。
それは、「作品の楽しさ」を純粋に提供するというスタンスとも言えます。
ある意味、それは「芸の追求」ですので、美しい姿勢とも言えます。

しかし、経済的余裕なくして「芸の追求だけ」というのは不可能です。
芸歴15年を過ぎると、先輩方は「芸歴5年以下・10年以下・15年以下のフレッシュな噺家」に仕事をふります。というのも、芸歴15年以下の噺家の仕事は「落語だけでなく、落語会の用事(下働き)」もセットなので、どうしても芸歴を重ねた人に用事をさせにくいので、芸歴を重ねた人間には仕事を依頼しにくくなるからです。ですから芸歴15年以上になると、先輩の噺家から仕事をもらうことは必然的に減ります。そうなると、芸歴15年以上においては、
「自分がやりたい芸」をやるためには、どうしても「経済的自立」が必要になります。

「自分がやりたい芸をやるための会」以外においては、どんな手段であれ、お客様が満足するという「結果」が必要になります。
(目の前の顧客の満足度がないと商売にならない)

芸歴15年以上になると、結果のためには往々にして「作品のアーティスティックな部分」がたとえ崩れても平気なスタンスをプロとして持つようになります。(ある意味、携帯が鳴ろうが、何でもええから笑わすことが大事になる…みたいな話です)

つまり、芸歴15年までの噺家は、
「自分が未来に想定する顧客が評価してくれるような芸」を提供することが多く、
芸歴15年以上の噺家の芸の標準は、
「今、目の前の顧客が最も評価してくれるような芸」を提供する必要が発生します。つまり、芸歴15年以上は「その場の楽しさを提供し、とにかくお客様が楽しめたらよい」というのが必須条件になります。

実際は、芸歴15年以上であれ、長期的な商売としても、「未来に想定する顧客が評価してくれるような芸」は披露しないといけないのですが、それはあくまで「その日の顧客が満足した上でさらに・・・」という条件が付くと言う話です。ただ、短期商売においては、「その日の満足」だけでもOKと言えるという話です。(→いわゆる必要条件だが、十分条件ではないという話です。)

芸歴を重ねると、そういう現場主義的なテクニックが落語の中にドンドン染み付いていくので、どうしても芸歴15年以上の噺家にはフレッシュさがなくなるのかもしれません。

また似たような表現かもしれませんが、芸歴15年を超えた噺家は、

「自分の芸を換金できる能力」

を持っているとも言えます。自分の芸を落語ファンに買ってもらう人もいれば、自分の芸をビギナーに届けてくれるプロモーターに気に入られてる人もいます。また自分でスポンサーを沢山もってる人もいます。どんな形であれ、芸歴15年の噺家は、15年もの間、落語家業を商売として成立させていると言えます。そうなると「芸は人なり」ですから、「15年以上のプロ」としての顔がどこかに出ますので、当然「フレッシュさ(新鮮さ)」は無くなると言えます。

【本題】コンクール優勝者への違和感

いよいよ本題です。最初に書きましたが、、、
落語ファンの疑問として

「落語ファンにあまり人気のない落語家がコンクールでは、それなりに高い確率で優勝するけど、なぜか?」

「そして落語コンクールで優勝するということは、それなりの技量を持っているという証明なような気がするのに、結局、その噺家は、優勝した後も、落語ファンには人気が出ないままなのはなぜか?」

そして、

「メディア志向の噺家がコンクールで優勝したのに、結局メディア進出できないことが多いのは、なぜか?」

というのがありますが、実はこれは同じテーマです。

ここまで書いた今回のnoteの文章から類推すると、ある程度「なぜか」の答えは出て来そうな気もしますが、、、、
ハッキリ書くと不快に思う人が発生するといけませんので、ここからは有料です。

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