上方落語協会志演義⑦〜繁昌亭昼席の番組【一部無料】

本日の記事は「天満天神繁昌亭の昼席の番組はどうやって決まっているのか?」という話を書いていきます。

まず、その前に大阪と東京の寄席の違いを解説しましょう。
(※すいません、東京の部分は江戸の噺家さんに聞いた伝聞で、色んな情報があり、落語協会と落語芸術協会で違ったり、細かな真実が微妙なので一応、詳細はともかく原則や事実や可能性などの大枠だけ書いておきます。)

大阪と東京の寄席の違い

【東京の寄席】

  • 東京の寄席は、あくまで私企業(オーナーor社長?=席亭がいます)

  • 鈴本演芸場は「一般社団法人落語協会」の公演だけですが、浅草演芸場・新宿末廣亭・池袋演芸場は「一般社団法人落語協会」と「公益社団法人落語芸術協会」とが10日間ごとで交代して公演を行なっています。

  • 東京の寄席はオーナー企業ですから、経済的には、自分の寄席にお客様が入ることが何より大事になります。また経済と無関係に、オーナー(席亭)の好みで出演者を自由に選別することも可能です。(例えば、楽屋に半ズボンをはいてくる落語家は出さないとか、〇〇のネタをするような噺家はNGとか、、、極端に言えばそういう方針を下す席亭もアリと言えばアリです。)  それゆえ、協会に所属している噺家でも、寄席出演のオファーがかからない噺家も結構いるそうです。(特に落語協会がそうらしいです)


この状況ですと、噺家は自分の出演回数や出番位置に対してそんなに不満は出ません。それこそ不満があったとしても、競争社会なので、噺家もどこか仕方がないと 諦めもつきます 納得します。
ある意味、噺家にとっては寄席自体もお客様(いわゆるビジネスのB to Bの関係)ですから、「席亭に気に入られないと出演回数が増えない」「お客様を集めるか、喜ばすかの能力が高い方が呼ばれやすい」みたいなことを噺家も理解しています。
言い換えれば「寄席にあまり呼ばれない」という事実は、基本的に「噺家本人の客観的評価が低い」と噺家自身も認識できる状況です。(もちろん、あくまで「寄席の評価」という1つの基準であり、芸の評価はお客様1人1人の主観でしかないのですが、まあ経済的な“1つの指標”とは言えると思います。また寄席が複数あるので、各寄席によって客観的評価のズレも出て来る部分もあるかもしれません。)
東京の寄席の評価は、席亭の好みなどが入るので、「完璧な自由競争の結果ではない」ものの、「1つの競争原理の結果」と言えます。

【大阪の寄席=天満天神繁昌亭】

⚫︎大阪の寄席は、1軒だけです。

⚫︎運営は公益社団法人上方落語協会が行なっています。→個人のオーナー(≒席亭)はいないです。会長&理事は、協会(員)の代表者なので、席亭は「上方落語協会の会員全員」とも言えます。

⚫︎天満天神繁昌亭(以下、繁昌亭)は、上方落語協会が運営しており、365日、昼と夜、いつでも上方落語が楽しめるようになっています(もちろんメンテナンス日を除く)。

⚫︎繁昌亭昼席は、上方落語協会員が出演する寄席公演で、夜席は協会員主催の落語会です。(本来的な意味としては、夜席は、上方落語協会が、協会員に委託して「企画ものの上方落語会」を開いてもらってるということかと思われます。ですので、夜席で協会員が主催しない場合でも、協会主催の公演が開催されますので休館にはならないです。単なる貸し小屋なら借り手がいない場合は休館するはずですから、その意味で、繁昌亭は東京とは違った形ですが、365日昼夜、落語が聞ける劇場なのです。)

【公平と公正と平等】

東京は寄席が複数存在しますし、どれもオーナー経営みたいなものですが、繁昌亭は大阪に1軒で、公益社団法人上方落語協会という団体が運営しています。ですので、繁昌亭昼席の番組作りは、公益法人=組織としての「公正性」が求められます。
何をもって「公正」とするのか、また何をもって「公平」とするのかは意見が分かれるかもしれませんが、噺家は「公平と公正と平等の違い」がわからない人も多いです。まあ「ほなお前はわかってるのか」と言われそうですが、、、まあ私も微妙かも分かりません(汗)
上方落語協会は組織なので、全てが平等である必要はないのですが、平等でない場合は公平or公正なルールを作成する必要があるとは思います。本日は繁昌亭昼席の番組づくりの歴史を書いていきますが、それは事実上、「上方落語協会が、どのように公平性・公正性・平等性を担保していったのか?」についての歴史でもあります。
本日は繁昌亭昼席の番組づくりについて、過去から現在まで「協会員からよく聞く不満」を交えて書いていきます(笑)そして、そこから当然現れるであろう「未来予想図」も、私には見えています。その「未来予想図」については次回の記事で書かせていただきます。ひょっとすると、それは予言の書になるかもしれません(笑)ハズレたら恥ずかしいですが。

【大阪は東京の完コピはできない】

先に言うておきますが、私は「繁昌亭も、東京の寄席みたいに、下手な噺家は出すな」などとは言いません。私が言いたいことは「有料部分」です(笑) あと、次回の有料部分も言いたいことです(笑)
何でもかんでも「東京の真似をしようとする」のは、『時うどん』と同じで、失敗する可能性大です。出来るだけ「キモを理解してカスタマイズする」必要があります。

まず、そもそも、東京と大阪はマーケットの規模が違います。
東京は寄席がフォローしきれないぐらい大きな落語市場なのです。だから経済的には、寄席が全てでもないのです。寄席以外の落語会に出演している落語家もたくさんいて、しかも活発に活動しています。立川流や円楽党がわかりやすい例です。物凄い数ですし、落語ファンにも人気の噺家さんも沢山いますし、芸能人もいます。ですから東京は「寄席に出ていない噺家がカバーしてるマーケット」がムチャクチャ大きいのです。

一方、繁昌亭は落語市場の大きな部分を占めます。また上方落語家のうち、協会員は95%近く占めます。それゆえ「東京の全落語市場における4軒の寄席のマーケットの比重」よりも「大阪の落語市場における繁昌亭のマーケットの比重」の方が大きい気がします。ですから繁昌亭は寄席4軒ぶんを合わせたような政策を取る必要があります(いや、4軒ぶん以上の規模の政策かもしれません)。東京の寄席は1つの私企業の動きですが、上方落語協会は公共事業(国)や公共経済学みたいな動きになります。いわゆる藩政改革をするのではなく、幕政改革が求められるのです。
つまり、東京は寄席同士で、落語市場の陣地を取り合う「パイの取り合い」の政策をしても良いのですが、繁昌亭は落語市場の陣地を取り合う相手はいませんので、落語家全員を使って「パイ全体の拡大をする」政策が求められます。言い換えれば繁昌亭が、陣地取りをするというなら、ミュージカルや歌舞伎やUSJや映画などの他のエンタメの陣地を奪う必要があるのです。

具体的に言うと、
東京は複数の寄席があるので、ある意味「寄席同士で自由競争をしている」とも取れます。複数の企業が自由競争を行うので、それぞれの番組に各席亭の意向を強く出しても良いのです(もちろん出さなくても良いですが)。それぞれの寄席は物理的な土地の縄張りもあり、またその土地の特色によって番組自体に色んな特色が自ずと出ます。そうなると、落語ファンは自分の好みやその日の気分で、どこの寄席に行くかを選べるようになります。そうするとアダムスミスの「神の見えざる手」によって、落語市場全体の需給が一致します。ですから東京の寄席で「平等を担保する必要は全くない」とも言えます。
しかし繁昌亭は1軒しかなく、それが「他の落語会のお客様を奪うような良い番組ばかりを作る」ことに専念した場合、他の落語会のお客様が減るだけです。それでは落語市場全体のお客様は増えません。それでは意味がないのです。なぜなら繁昌亭は、上方落語協会=「上方落語世界全体に限りなく近い存在(95%の世界)」が運営してるからです。自分からお客様を奪って自分にお客様を配ることになるので、それでは意味がないのです。これは、いわゆる「民業圧迫」してるのと何も変わりがないのです。「繁昌亭で下手をだすな」論を単純に唱える人は江戸時代の幕政改革の失敗から学ぶ必要がある気はします。
ある種、繁昌亭は基本的に「落語市場における標準的な公演」(どノーマルな落語公演)を作ることが求められるのです。(ただし「出番回数を完全に平等にした公演と、落語市場における標準的な公演は違う」ということに注意が必要です・・・これについては「未来予想図」の話なので、有料部分+次回で解説します。) 
そんな訳で、繁昌亭は「公平、公正、平等」が求められます。
ただ、公正と公平と平等は違いますので、「どの部分を平等にするのか」によって、繁昌亭昼席の番組の決め方は変遷していると言えます。

ではどのように変遷して来たのでしょうか?
ここからが面白いところですが、有料です。(講釈みたいになってますが)
目次を読んで面白うそうなら買ってください。

ここからもかなり長いので、お得です。


現状確認、過去の流れ、未来予測の順で書いていきます。

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