上方落語協会志演義⑮〜寄席の経営学~繁昌亭と喜楽館【一部無料】

寄席の効果や意義は色んな角度で色んなコメントができると思います。
一番大きいのは「365日落語をやってる劇場があると、落語を知らない人が、落語を見たいと思った時に、必ず見に行くことができる」ということです。この効果は強烈に大きなものです。

おそらく、東京の噺家よりも大阪の噺家の方がこの「寄席のありがたさ」を実感してる人は多いと思います。いわゆる病気になった人が「健康のありがたさ」を実感するみたいなものです。
2006年9月に繁昌亭がオープンする以前に入門した大阪の噺家は「寄席が無い時代」を知っていますから、「寄席が初心者を増やす巨大装置」「自分達が何者であるかを証明するハード」などのありがたみを、無い時代と比較して味わっているのです。東京の噺家は生まれた時から寄席が存在していますので、少し「実感」が違う気はします(参照:寄席の効果【ほぼ無料】>寄席の効果>>「初心者の行きやすさ」

本日は「寄席の経営学」として、この効果を生み出す上で、「経営的にも365日やる意味」について記事にしていきます。

※商売とか経営を考える時、高校数学(微分や積分とか)の基本的な考え方は役立ちます。「学校の勉強は役に立たない」とか言いますが、それを使う場面に自分がいないのか、それを役立つように使えていないのか(それをホンマは使えるのにわかっていなのか)、よくわかりません。少なくとも、私の場合、年齢が上がれば上がるだけ、落語家ですが、「学校で学んだ知識が人生につながっている」と感じることが増えています。

本日は、そんな話も少し交えて書いていきます。


【寄席が昼夜365日やる理由】

東京の寄席も、天満天神繁昌亭も、基本は365日営業をやっています
(繁昌亭はメンテナンス日は休み)。

なぜ昼夜やるのでしょうか?
なぜ毎日やるのでしょうか?


簡単に言うと、
空家賃を払わないようにするためです。

家賃は昼だけやろうが、夜だけやろうが、昼夜やろうが、毎月同じだけかかります。ですから、お客様が入るなら昼夜やる方が当然良いのです。
それと同じで寄席は休みが無い方が、同じだけ家賃がかかるので、お客様が入るなら、年中無休で営業する方が経営的には良いのです。

ただし、この「お客様が入るなら」という前提がクセ者ではありますが・・・、まずは前提条件(基本の経営)から考えます。

もしも毎月1日~10日の10日間だけ昼夜で開催する寄席小屋と、365日昼夜で開催する寄席小屋があったとしましょう。この2つの小屋で、それ以外の条件は全て同じだった場合を考えてみます。

どちらの寄席小屋も毎月、家賃は同じだけかかります。
水道光熱費は基本料金がありますから、10日間だけ営業の小屋と、30日間フル営業の小屋では、費用は前者は後者の3分の1以上かかります。上手くいって、3分の1です。
またフル営業の小屋の売上を考えた時に、お客様は月初めの10日間にお客様が沢山来る月と、月の中盤10日間に沢山来る月と、月の後半10日間に沢山来る月とが当然発生します。そこから考えると、1年トータルの売上で考えた時に、月初め10日間の小屋は、フル営業の小屋の売上の3分の1以下になるのです。寄席小屋のお客様は当たり前ですが、毎日平均値の数のお客様が来る訳ではなく、日々増減するのです。もちろん永久に寄席小屋が続いて平均値を取れば、月初め10日間の小屋の売上は、フル営業の小屋の3分の1に限りなく近づきます(いわゆる「数学のlimitで、x→∞」の考え)。
しかし、我々経営では1年で収支を閉めるのです。そうなると、月初め10日間の小屋の売上は、フル営業の小屋の3分の1にはならない方が多くなるのです。
何が言いたいかというと、
月に昼夜10日間しか営業しない寄席小屋は、フル営業する小屋よりも、
毎月「売上が3分の1以下で、費用は3分の1以上かかる」のです。

だから、本来、寄席は365日、フル営業する方が良いのです。
そして、昼夜した方が良いのです。


上記と同じ理由で考えれば、昼だけとか、夜だけとかしか開催しない小屋は、昼夜やる小屋と比べると毎月(毎年)「売上が2分の1以下なのに、費用は2分の1以上かかる」からです。
だから昼夜やった方が基本は良いのです。

しかし、現実は、なかなかそうもいかない状況もあります。
それは先ほど書きましたが、「お客様が入るなら」というクセ者の前提があるからです。

ですから、あくまで上記は(クセ者の前提をクリアする)基本の王道の経営戦略であり、それに繁昌亭や東京の寄席小屋は則ってると言えます。
※NGKなども年中、1日中公演してるのも、そういうことです。
(もし家賃がなくても、固定資産税など含め、同じ理屈になります)

【昼夜365日営業しないという選択】

しかし、落語や演芸をメインとする劇場で、昼夜365日の道を選ばなかった劇場というのもあります。(喜楽館、大須演芸場など)
その形態で存続している場合は、どこかの時点で「ある種の1つの平常運転できる状況」に収束します。

もちろん昼夜365日の道を選んだ劇場は「それを維持する状況」に最初から収束しているので、それをひたすら維持するように活動を続けます。

この「昼夜365日の道を選ばなかった劇場」は、その後、「昼夜365日営業の劇場」には、なかなか転換しにくいです。その理由はなぜなのか?
それについて書いていきたいと思います。

この後、読んでもらえば分かるのですが、この話は、ビジネスとかでよく聞く「ナッシュ均衡」と「パレート最適」と関係します。
ちゃんとした説明は自分で調べてもらうとして、簡単に言うと、

「ナッシュ均衡」とは、実はアカン状況やけど、そっから動けない状況です。

「パレート最適」とは、みんなが一番ええ状況です。

結論だけ先に書くと、、、

(1)「昼夜365日の道を選ばなかった劇場」は、現実的には、
今が「ナッシュ均衡」なのか「パレート最適」なのかがわからない。

(2)「昼夜365日営業の劇場に転換することがパレート最適(一番ええ状況)」であるとも限らない。

(3)「昼夜365日営業がパレート最適(一番ええ状況)」であったとしても、現状からパレート最適に転換するにはかなりの労力が必要であり、それが成功するとは限らない

つまり、現状維持で行くのか、挑戦するのかは1つの経営方針であり、どちらが正しいかは全くわからないということです。
※成功して初めてパレート最適(一番ええ状況)であったとわかり、失敗したら最初の状況がパレート最適だったとわかるだけという話です。寄席小屋の経営転換は、不確実な未来に挑戦することでしかないという話です。

そして、上記のような理由がありますし、経営者としても、現場スタッフとしても「現状維持」を選択する動機が実は強く発動しやすくなります。
もちろん、ここでの「現状維持」とは、あくまで「現状システム」の維持であり、集客やら運営面などの「現状の改善」については、現場社員の人達は努力してはるとは思います。ここで言うてるのは、あくまで「システム」の話です。
また、経営者やオーナーは、いったん「昼夜365日でない道」でスタートしている場合、「昼夜365日営業への転換」は非常に大きなリスクと労力と費用がかかるので、経営方針の転換はなかなか難しいとは思います。
このような事について以下で書いていきます。

これについて詳しく解説すると、喜楽館の未来の選択肢がおぼろげながら見えて来る気はします。
前回までで、上方落語協会志演義⑨~⑭「喜楽館ができるまで」を執筆しました。ある意味、本日は、神戸新開地喜楽館の「未来について」です。と言っても、「未来予想図」ではありません。あくまで「漠然とした、起こりうる選択肢」であって、完全な予想ではありません。

以前、天満天神繁昌亭昼席の番組については「未来予想図」を書きました。
(参照:上方落語協会志演義⑧〜繁昌亭昼席の番組「未来予想図」
繁昌亭昼席の番組は「未来の番組のみ」なので、何となく噺家の今の志向性から「収束する未来」は予想できるのですが、今回は「喜楽館全体の行く末」なので、全く予想できません。ですから選択肢(未来の候補)の提示だけ書きました。

今回書く内容のメインは、どちらかと言えば「私の期待の1つ」と言っても良いかもしれません。
また私が今回書くその「期待の内容」は、具体策ではなく、抽象論なだけに、経営計画としては非常にお粗末です。それこそ、上方落語協会&新開地NPOが(全員でないにしても)全体として、何らかの覚悟を持たないと難しい「未来の選択肢」だと思います。「濡れ手で粟」の気持ちではなく、「根性」が一番大事という話かもしれません。そうでないなら、、、、「強烈な資本」か。。。

もったいつけましたが、いよいよ本編です。
(※上記で「結論」を先に書きましたので、分かる人にはもう読まなくても分かる中身かもしれません・・・)



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