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写文集『いんえいさん』草稿その3: タヌキと夜を放浪していた

きっと、人はいつも、それぞれの光を捜し求める長い旅の途中なのだ

星野道夫『長い旅の途上』

前回は、
「人間のもつ視細胞は、明るい場所で働く錐体(すいたい)よりも、暗いところで働く桿体(かんたい)の方が1億個以上も多い。だから、古代では暗いところのほうが重要視されていたのではないか?」
というような話をしたのだった。

いろいろ調べてみると、古代どころじゃなくて、太古までさかのぼったほうがいい、ということが分かってきた。

ヒトは哺乳類だ、というところからはじめたい。

ヒトを含む現在の哺乳類は、恐竜と共存していた初期の哺乳類の子孫だ。
現代の哺乳類までの進化の過程で、多くの遺伝子が保存されてきた。

彼らの多くは、夜行性だったらしい。
恐竜に喰われるのを避けるために、夜行性になったと。

どれくらいの期間、共生していたんだろう。

恐竜と初期の哺乳類が登場したのは、いろいろな説はあるけど、だいたい2億1000万年前からだったらしい。

登場したあと、恐竜は6600万年前あたりには絶滅した。
だから短く見積もっても、2億1000万-6600万なので…、ゆうに1億年以上は、共生していたようだ。

また、1億がでてきた。

1億年以上、恐竜と哺乳類は一つの世界で生きていたのか。
そんな気の遠くなるような長い期間、恐竜に喰われるのを避けるために、哺乳類は夜行性になっていたのかもしれない。

その間、暗いところで働く桿体(かんたい)の数が具体的にどうだったのかは分からない。
けれど、たぶん今よりは多かっただろう。

6600万年前あたりには恐竜は絶滅して、
昼間にも大手をふるって外に出られるようになった。

昼間に活動できるようになって6600万年間、徐々に夜行性であることを忘れていったのかも知れない。

それでも、共生していた1億年を超えるには、まだまだ3000万年以上はある。3000万年以上は、多くの哺乳類は夜行性だったのではないか。
そんな哺乳類の遺伝子を、ヒトも受け継いでいる。

ヒトの視細胞の数は、暗い所で感度の高い桿体の方が圧倒的に多い。
その起源は、太古に長い期間、夜行性だった先祖の影響だったのかも。

ところで、哺乳類といえばタヌキ。

タヌキの学名がかっこいい。「Nyctereutes procyonoides」と書いて、「ニクテリューテス・プロキオノイデス」と読むらしい。
意味はさらにかっこいい。

ニクテリューテスは、ギリシャ語で「夜」を意味する「nykt-」と、「放浪する」を意味する「ereutes」から来ていて、「夜に放浪する者」という意味だ。プロキオノイデスは、「アライグマに似たもの」。

タヌキには面白い習性がある。
基本は夜行性だけど、危険性がないとわかるとだんだん昼行性になるのもいるらしい。

もしかしたら私達もそうやって、6600万年間、徐々に夜行性であることを忘れていく期間があったのかもしれない。
それで、その名残だけはいまも残されている。


参照文献

福井県立恐竜博物館の恐竜、古生物Q & A: 恐竜時代(中生代)にも哺乳類がいたの?

古代の哺乳類は恐竜の絶滅後に夜間の活動をやめた | Nature Ecology & Evolution

タヌキ・アナグマの食事スタイルは人間活動の影響を受けていた?~COVID-19がもたらした都市の野生動物の行動変化~ (国立大学法人 東京農工大学)


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