
脳腫瘍でクォーターライフクライシスが治った話
「クォーターライフクライシス」とは、「20代後半から30代前半に陥りがちな幸福低迷期」のことらしい。ついこないだ覚えたばかりの「ミッドライフクライシス」は、「40代から60代前半に陥りがちな幸福低迷期」だという。あれ…、幸福なのって30代後半くらいしかなくない…?
こうしてみると「~クライシス」は連続的なものに思えるし、もう世代なんて関係ないんじゃないかとさえ思えてくる。この際、いっそ「ライフクライシス」でまとめてもいいんじゃないか。
ともあれ「クォーターライフクライシス」の時期はとうに過ぎて、40代半ばのいま、自分の2-30代を振り返ってみる。
もちろん、これはたまたま「クォーターライフクライシス」からのサバイバルに成功した者からの生存報告だから、いろいろ脳内フィルターがかかって美化や劣化がされているはず。だから、与太話程度だと思って読んで欲しい。
自分の場合は、明らかに「「20代後半から30代前半」のころの心情を決定づけた要因に思い当たりがある。27歳のときに脳腫瘍の手術をしたのだ。そこにいきつくまでのことを簡単にまとめてみる。
思えば大学3年生の終わりあたりから大きく助走をつけて、「クォーターライフクライシス」まで一直線のライフだったような気がする。
同期が就職活動をする中、自分はまったく就職活動しないで、バンドと写真活動に明け暮れていた。卒業してからしばらくしてバンドが解散して、バイトを転々とした。あてもないのに東京で一人暮らしを始めたりと、焦燥感はあるのになにをしてもうまくいかない時期。
もう実家に帰って公務員試験の勉強でもして、とりあえず将来へのぼんやりとした不安を払拭しよう、と思っていた矢先。寝転がるとやたらに目が回る。体はどこも痛くないし、これはきっと自律神経を失調したに違いない(クォーターライフクライシスの完成である)。それで神経内科にいき、「ねんのためMRI」と言われるがままに脳を輪切りにした結果…。
脳内に3cm大の脳腫瘍があることが発覚したのだ。
病名が明らかになっていない時点では、「あ~これは死ぬかもな…」と他人事のように思った。しかし、どうやらこのサイズだともう悠長なことはいってられない。頭を開いて腫瘍を摘出したほうがいいらしい。でないと死にますよ、と。それを聞いて不思議な話、これまで抱えていた焦燥感がきれいさっぱりと消えてしまった。
これはたぶん、もう「暗中模索してる場合じゃないですよ期」に入ったからなんじゃないかと思う。バンドとか写真とか就職とか云々よりも、お前にはすぐ死が待っている。すぐやるべきなのは「大病に向き合う」ことだ。そこには使命感のようなものが生まれて、生きがいすら出てくる。
そんなこんなで外科手術を終えた直後、片耳がほとんど聴こえなくなったり、半年間車いす生活になったりと、はたからみれば散々な20代後半だったけれど、これもクライシス感はなく、むしろ多幸感すらあった。
たぶんにそれは、後遺症で楽器がまともに演奏できなくなったり、気軽に散歩もできなくなったりで、人生の可能性のいくつかが無理やり無くなったからでもあると思う。可能性がありすぎるのが、不安につながっていたように思うのだ。
あとは、もうまともに社会生活を送らなくともいいんじゃないか、という免罪符が発行されたというのもあったと思う。このまま歩けなくなったら、障害者手帳を申請して、生活保護を申請して、余生を過ごそうという計画もたてていた。
リハビリが終わり、よろよろと歩けるようになった。気がついたら28歳になっていた。そのあとは怖いもの知らずというか見たさというか。人生に対して多少気が楽になったというか。スーツを着て、ハローワークに通い、すきがあれば面接をしまくっては落ちてを繰り返していた。
それで、なんの因果か1年後、29歳になったあたりで、うまいこと都内の会社に正社員として潜りこむことに成功した。一応正直に自分のステータス(職歴なしで病歴あり)は説明して、採用試験もさんざんだったにもかかわらず、なぜか採用された。だから、それから15年以上経過したいまでも、「俺の人生、たまたまなんとかなってる」感がぬぐえないでいる。
ここで突然の引用を。米国の社会哲学者、エリック・ホッファーの『大衆運動』には、
憎悪は、空虚な人生に意味と目的を与えることができる
という言葉がある。ここで、「憎悪」を「脳腫瘍」に入れ替えると、これはまあ、自分のクォーターライフクライシスを克服した理由のような気がしてくる。
脳腫瘍は、空虚な人生に意味と目的を与えることができる
これはもちろん、「だから君も脳腫瘍になろう!」とすすめているわけではない。なろうしてもなれないし。ただ、現在という地点からみてものすごくマイナスなことがあったとしても、それはもしかしたら、なにかの分岐点になり得るかも知れないという、そういう小噺だ。
*余談。エリック・ホッファーは米国の社会哲学者、であるのだけれど、彼の前半生もわりと深刻なクォーターライフクライシスにあったらしい。日本語のウィキペディアにはこう記載がある。
7歳にして母親と死別し、同年視力を失う。その後、15歳で奇跡的に視力を回復する。以来、再びの失明の恐怖から、貪るように読書に励んだという。しかし正規の学校教育は一切受けていない。18歳の頃、唯一の肉親である父親が逝去し、天涯孤独の身となった。それを機にロサンゼルスの貧民窟でその日暮らしの生活を始める。
28歳の時、多量のシュウ酸を飲み自殺を試みるが未遂に終わる。
彼の場合、その凄絶な前半生の反動からか、そこからの反転ぶりも凄まじいのだけれど、その続きはウィキペディアか、彼の著書で。最初は『エリック・ホッファー自伝 - 構想された真実』がいいかも。