「擬態ミソジニー(女嫌い)」は女性の下着姿を許さない
「女性用下着を売る為に、女性の下着姿を映すな」との声がtwitterから上がった。
半裸の女性が紙面に載るのは人権侵害、肌色が気持ち悪い、外では下着を見せない、など、ツリーにはその理由が連なる。
もちろん、各方面からツッコミが入っている。
一見この意見は「女性のため」との言葉になっている。
しかし、背後は明らかに男の視線を意識している。
事実、後半からは男性モデルとのコラボや男性向けの写真に対する憎悪の言葉が連なる。
結局のところ「男性が性的に見そうな画像が不快」なのが女性の下着姿を消し去りたい理由だ。
これは単純なミサンドリー(男性嫌い)なのか?
男性を排除したいあまり、男性の視線が想定できるものに嫌悪感を抱くのだろうか?
しかしそれであれば、「肌色が気持ち悪い」とは言わない。
女性表象に対して直に嫌悪感を抱くのであれば、それはミサンドリーでは無く、女性嫌い(ミソジニー)だ。
女性嫌いの女性は多く居る。
ぶりっ子が嫌いなどの単純なものではなく、30代、40代となり、「女性性」から降りた女性がなりがちだ。
「若い女性」としての性を強調する人間に対し、異常に攻撃的になり、支配しようとする。
逆に、女性性から降りた女性を称賛し、褒める。
この原因は、さまざまなものがあるだろうが一番大きいのは嫉妬だろう。
レースクイーンや水着撮影会の禁止など、若い女性の性を禁止するのは、若い女性では無い。
規制する人間はいつも、若い女性の声を代弁する。
「私たちはかつて少女だった」という声と共に。
それではなぜ、彼女らは「かつて少女」だった母親やその祖母に従わずに、女性としてのジェンダーロールから離れたのだろうか?
「かつて少女」だった女性の声を無視して。
声なき声に力を。もっともらしい言葉だ。
しかし彼女らの声は、若い女性の声をエンパワメントしているのだろうか。
逆に年季を重ねて権力を得た自分の声で、小さい声を押しつぶしてないだろうか。
このような「擬態ミソジニー」に対して、現代社会は打ち勝つことができない。
対処法も無い。解決策があれば教えて欲しいくらいだ。
できることと言えば、それは「ミソジニーですよ」と指摘することぐらいであろう。
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