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看護学部精神看護学で「当事者参加型」の授業を初開講

2022.1.21

#イベント #キャンパスライフ

[取材] ENISI KIROKU FILM [文章] 荒巻 咲

 11月9日、10日、15日の3日間に渡り岐阜聖徳学園大学の精神看護学の授業で「当事者参加型授業」が開かれた。

 来年、精神看護学実習を控える2年生が「精神障がいを抱える当事者の方と直接対話し、その人らしく地域社会で生活するための方法を学習する」ことを目的とした授業だ。企画者である原田浩二准教授(以下、原田准教授と記載)は、「ずっと参加型の授業をやりたかった。」と話す。

 岐阜聖徳学園大学に着任する前は実施していたものの、この大学の精神看護学担当者として当事者の方を招き、話をする機会を設けることができたのはこれがはじめて。今では講師をお招きする授業形態は珍しいことではないが、今回ばかりは実現が難しかったという。

 そう。話す内容はとても繊細で大切な、決して無視することのできない「精神障がい」についてだ。 つまり、お招きする当事者というのは「精神障がい」を抱えている方、ということになる。

 色々な方がいるだろうが、想像するに、やっとのことで仕事に従事しているような方も多いのではないだろうか。ましてやこんなにも大勢の学生さんと向き合って話をするなんて、自分にとっても難しいと思ってしまう。当然、就労サポートを行う事業所に声をかけても「この事業所に通うだけでも精一杯」と何か所から言われたという。


原田准教授の強い思い

 それでも、と原田准教授には奔走する理由があった。

 まだ不透明な部分が多い分野だが、精神障がいを抱える人は今や100人に1人ほどと言われている現代。その数字は決して少なくない。しかしーー。

 「障がい者に会ったことも見たこともない学生さんが大半でイメージがつかない。特に精神障がいは体の病気ではないので、目に見えない。ならば会って伝えてもらうしかないと思った。1回でも機会があれば、次会う時ははじめてより不安が和らぐ。そのきっかけを作りたかった。」(原田准教授)

そうしてようやく人から人へと手繰り寄せた縁からオリーブの木代表の市原早耶香さん(写真中央。以下、市原さん)へ繋がることができた。市原さん自身も元より『障害者への差別や偏見を、勝手に自分で強く感じており、その生きづらさを変えたい』という思いで活動をしていたため、この声かけはまたとない機会だった。

 そこから仲間を得るのは早かった。「何か貢献できることがあるなら」と地域生活支援センターすいせいでピアサポーターをする野原丈輝さん(写真右端。以下、野原さん)、就労継続支援A型事業所モクレンではたらく金子遥さん(写真左端。以下、金子さん)、別日ではシンセサイズ中部代表の井上雄裕さん、就労移行支援事業所パッソ岐阜校の当事者ワーカー内藤昌宏さんなどへとトントン拍子に合計7人に広がり、ついに場の実現へ漕ぎ着けた。

 そんな特別授業は、新型コロナウィルスの影響で入学してからオンライン授業を中心に受けてきた学生さんたちにとって、まだ着慣れない白衣に身を包んだぎこちない自己紹介からはじまることとなった。

 外部からのゲスト×対面授業という緊張の掛け算で、思わずはらはらしてしまうくらい静まり返っていた教室だったが、次第にぽつりぽつりと質問が飛び交い、ノートを手にした学生さんの表情に真剣さが増していく。

「入院生活をどのように過ごされたのか教えてください。」
「音楽療法を受けたと話されていましたが、どんな内容でしたか?」
「休日は何をされていますか?」
「周りにされて悲しかったことはありますか?」
「入院生活で何が一番心の支えになりましたか?」
「考えがまとまらずにウワーッとなった時どうしていましたか?」
どれも患者さんに向き合う時に参考にしたい具体的な質問ばかりだ。

 市原さんは実際に、入院前に意識が朦朧としながら言葉になりきらないものを書いたノートと入院生活に書き綴ったノートを回して見せた。これは言わば剥き出しの心そのものだ。 受け取った学生さんが、ゆっくりと慎重に開いていく様子が印象的だった。

 「私は出来ることと出来ないことを紙に全て書き出していました。できないことは破いて捨てて忘れたり、周りに相談したりしていました」(金子さん)
 こうした実際の対処方法は、やはり当事者にしか語れない。生の声は真っ直ぐに学生さんの心へ届いているようだった。

 質問が薬の副作用で辛かったことになると3人は一様に顔を硬らせた。

 「僕は説明を一切受けずに部屋に押し込まれて注射を打たれていたことから、薬に対しての抵抗が強くありました。力が入らないので、食事にパンを与えられても顎が上がらないし。薬を飲むと楽になる部分もあるので仕方なく飲んでいましが、一言欲しかったです。」
 質疑の中で終始ポジティブな返答が多い野原さんでさえ、声に苦痛が滲んでいた。

 市原さんも告白する。
 「じつは今も副作用が出ています。じっとしているのがつらくて、もぞもぞと動いてしまいます。病気して7年が経ちますが、はじめの3年はいつまでこれが続くんだろうと絶望感でいっぱいでした。今ではその症状に慣れましたが、一ヶ月に5キロも体重が増加する別の薬も以前服用していました。」

 「私も睡眠障害がでていた時に、大量に薬を投与された時があって、腕や顔の筋肉の動きが悪くなって食事介助を受けることもありました。」
 今も自然と腕を上げられるのはここまでです、と金子さんは実際に腕を動かしてみせた。

 それぞれの症状について、ちょうど直前の授業で習った内容だったからか納得顔の学生さんも多いように見えたが、痛みが伝染したように場の空気が重たい。

 ただ、3人は薬の副作用が辛いことだけを伝えたかったわけではない。

 市原さんは身をもって学んだ、薬について知る大切さを話す。
 「『なんか不安なんですけど、薬ください。』と言っても簡単に薬をくれない看護師さんもいました。そのような中で『こういう時だから、今この薬を渡すね。』と、退院後に自分で薬を飲むタイミングや量が分かるように出してくれた看護師さんが印象的でした。今もとても役に立っています。

 原田准教授も看護師として言葉を重ねる。
 「必ず患者さんがどんな状況であっても、これがこういう症状だからこういう薬なんだよという一言はとても大切です。その時どんなにいっぱいいっぱいであっても、後から覚えていますから。」

 「入院中や退院後、看護師や周りの人とのどのような関わり方が嬉しかったですか?心の支えになりましたか?」
 時間が進むごとに質問も寄り添ったものになっていくようだった。 中には自身も通院した経験があるという学生さんもいて、深く共感し、肯く場面も見られた。

 「お話をきいて、何か特別なことではなく、関わりを持って接していくことが心の支えになっていることが分かったので、実習でも声かけを大切にしていこうと思います。」 とほっとしたように語る学生さんもいた。 気づけば授業は終わりを迎えていた。

最後に3人から未来の看護師たちに
メッセージを送る

 「お互いに笑顔になるように、まずは相手の表情をよく見て、どうしたら良いか考え、相手の心を開いていってもらえたら。自分自身のポジティブな思考を伝えていくことで、お互いの心が和みあえるようになれば良いなと思います。」(野原さん)

 「明らかに見える病気の症状と、患者さんか葛藤している見えない部分の両方をサポートする大変な仕事だと思います。ですが、何か一つでもこの機会がこれから看護師として活躍される皆さんの、学びになっていたら嬉しく思いますので、ぜひ頑張ってください。」(市原さん)

 「私のようにコミュニケーションが苦手で、いくら障がいが辛くても辛いと言えない人がいる。そういう人にこそ、毎日声かけをしたり挨拶をするだけでもいいので、寄り添って理解し、良くなってくようにサポートしていってもらえたらと思います。」(金子さん)


看護は人間を”看る”ことにある

 「病気を見るのではなく、人間を見てもらいたい。看護は人間を“看る”ことにある。地域に暮らす当事者の方が退院して、その後の生活にどう希望を持っていてもらえるか。これは私を通すとやはり伝わらない部分なので、直接機会を作りたかった。当事者から受け取ったメッセージはダイレクトに学生の心に染み付く。きっとそれは現場に行っても覚えているはずです!」

 今日、ここにいる学生さんたちは生の声をきいた。当事者の方の声も手や足の震えも、焼きついた。 それは想像以上に、知識を上回る発見や学びになったはずだ。もちろん治療の専門知識や薬について学んで知ることは大切だ。けれど同じくらい向き合い方も大切で、特別なことではなくていいということが分かる授業だった。あとはきっと、繰り返し語られた「一言声をかけ寄り添ってほしい」という言葉をどのように自分に置き換えて課題とし、行動に変えていくかなのだろう。

 それでも迷いは前より消えたに違いない。「看護は人間を“看る”こと」という一つの指針も得た。 きっと実習を終える頃には、今は着慣れない白衣も当たり前になっているのだろう。

 理解を深めるためとはいえ、「あなたは精神障がいをお持ちですか?」などと見知らぬ人に突然尋ねることはできない。なんでも聞いてくださいと言ってもらえる今日の当事者参加型授業は、改めて学生さんたちにとって貴重なものだったに違いない。 授業を終え、原田准教授も語っていた。


授業を受けて……

 授業を受けた大山寧々さん(写真左。以下、大山さん)と長井麻美さん(写真右。以下、長井さん)に感想を尋ねると「緊張した」と笑いながらも、どこか満足げに見えた。
 「元から偏見などはなかったので、話に衝撃を受けることはありませんでした。でも言葉だけでなく、実際に会って生の声を聴いたからこそ、動作や話し方から感じ取れるものがあり、理解が深まったと思います。」(大山さん)

 司会も務めていた長井さんも頷いた。
 「副作用のことも授業で先生から聞いていましたが、当事者本人から見聞きするのはやはり違い、とても学びになりました。入院生活のことや考えていることを紙に書きだす、など当事者の方が実際に気持ちに向き合うために行っていることを聞くこともできて良かったです。」

 今日授業を受けるまでは漠然と横たわっていた「精神障がい」という言葉が、しっかりと人と結びついて形を成したようだった。来年には実習がある。今日の学びを踏まえ、これからどうして行きたいかも見えてきた。
 「患者さんに接する時に、親しくした方が良いと思っていたのですが、ある程度距離感がほしいという人もいることに気がつけました。改めて人によるのだなあと。寄り添うように、気をつけていきたいと思いました。」(大山さん)
 「夜に思い詰めてしまうという話がありましたが、普段私たちも夜に考えこんでしまうことは多いので、そういった時のための対応があるのならもっと広めていきたいし、知っていきたいです。」(長井さん)

 精神障がいだからといって、本人も特別な扱いはして欲しくないのではと二人は考えを語る。
「難しいことをしなくても良いから、伝わるように話をするのが大切なのかなと思いました。」
その言葉からも当事者の思いは確かに届いているようだった。

 今回のように話をして、社会への理解が深まれば「精神障がい」は特別なことではなくなっていく。そしてそのための一歩とも言える授業は、
 「聞くだけよりも、見た方が理解しやすくつなげやすいので、これからもこういう授業が受けたいです!」
と二人が笑って言うのだから大成功だ。 事前の準備に苦労した原田准教授はおどけて困った様子を見せたが、しっかりと狙いを達成できた授業に手応えを感じたに違いない。 きっと次の機会も奔走してくれるのだろう。

 そんな学生さんの意見が反映されていく授業が素敵で、准教授の大変さを片隅に、もっと増えていくと良いなと陰ながら応援するのであった。(2021年11月10日 取材)