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連載/デザインの根っこVol.11_原田 真宏(後編)

 建築家やインテリアデザイナーにインタビューを行い、衝撃を受けた作品などのインプットについて語っていただく連載「デザインの根っこ 」。今回は「商店建築」2019年4月号掲載、原田真宏さんの回(後編)を公開します。

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人間と自然の世界の間に身を置く

 僕の実家は静岡県で、すぐ裏には自然公園があります。元々川だったため細長い森になっていて、野鳥や狸、雉などもいました。その環境で僕は、自分の家が人間の世界と自然の世界の境界にあると感じていました。前回(Vol.10)話した船も、陸と海を結び付ける存在ですよね。ですので、二つの世界の間に自分の身を置いているような感覚がずっとあります。両方を行き来するようにデザインをしているのです。

 人間のためだけになってしまうとそこで終わりですが、自然の理に至ることができれば、本物の自然のようにずっと残ります。社会の動機は刹那的です。惣菜屋としてつくった店が、5年後にはネイルアートの店になるかもしれない。そうなった時、その建築に人間の営みや時間を超えるような合理性があるなら残り続けます。私はそういったもので世界を満たしたいと考えています。

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原田真宏氏実家(画像提供/原田真宏)

意味ではなく質として捉える

 建築を通して自然を考える際に、それを意味として捉えるのか、質としてなのかを考える必要があります。例えば、プラスチックで木の形を再現するということは、自然を意味記号として捉えているということです。私はそれを自然だとは思いません。一方で、マテリアルという質で表現しようとした場合には、それは自然であると思います。木に限らず、プラスチックでも質で考えれば石油でできた自然で、コンクリートもセメントでできた自然。プラスチックで木をつくると、意味としては自然ですが、ものとしては自然ではなくなる。木には木の、鉄には鉄の自然があり、その声を聞きながら組み上げたら、それは自然だと考えています。イスの話と同じですね(Vol.10参照)。

 そのことを踏まえると、東京は自然でもあり、そうでないとも言える。東京に住むカラスが巣をつくるのにワイヤーハンガーやビニールテープを使うのは、それが合理的だからです。カラスにしてみたら、その環境も自然でしょう。そう考えると東京でも健全な環境はつくれます。世界を自然科学的に見るか、人文学的に見るかの違いです。

 チェコの作家カレル・チャペックはイギリスを訪れた際の紀行文の中で、「自然の複製をつくろうとするのではない。自然の中の幾何学を見つけることが大事」だと言っています。そうすることで自然と人間は同一水準に立てるのです。またゲーテは『イタリア紀行』で名建築を「市民の要求を叶える第二の自然」だと定義しています。つまり社会の動機から自然の原理へと至る必要があると。

異なるものをなだらかにつなぐ

 以上を踏まえると、社会や人文の合理の世界では完結しない、自然の合理が大事だと思います。社会の中心を仮に東京だとすると、後者、つまり自然の合理のシンボルは富士山かもしれない(笑)。あんなにかっこいいものはないと思います。富士山は、「神聖な」「荘厳な」といったさまざまな形容詞を呼び起こしますが、実物はその全てを超えている。山頂から懸垂曲線を描いて地上へとつながる富士山の形は山裾が定義できないので、ある意味では東京も山裾と言えてしまう。水平に広がる世界が切れ目なく高みに上っていく。水平の力が垂直に転換している様は、社会の要求から自然の合理性へと行き着くような建築を考える上で、示唆を与えてくれているように思います。 〈談/文責編集部〉


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はらだ・まさひろ/1973年静岡県生まれ。97年芝浦工業大学大学院修了後、隈研吾建築都市設計事務所や磯崎新アトリエなどを経て2004年に原田麻魚と共に「マウントフジアーキテクツスタジオ」 設立。最近の仕事に「道の駅ましこ」(17年11月号)や「松栄山仙行寺 沙羅浄苑」(19年3月号)など

※内容は商店建築2019年4月号発売当時のものです。

紹介作品一覧

1.原田真宏氏実家(画像提供/原田真宏)
2.富士山

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