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連載/商業空間は公共性を持つか vol.1_「個性的な公共的空間」としての商業空間

2020年5月号から、2022年3月号までの約2年間に渡って掲載した、連載「商業空間は公共性を持つか」。建築家であり、企業の公共性をテーマに研究活動を行う西倉美祝氏が聞き手となり、建築家や店舗運営者などへインタビュー取材を行ってきました。その連載を、noteにて公開します。

「個性的な公共的空間」としての商業空間

居場所やコミュニティーなどのテーマが、商業空間において近年頻出している。この連載では、建築家であり、「企業の公共性」研究を行う西倉美祝氏と共に、有識者との対話や空間分析を通して、これからの公共性について考える。新型コロナウイルスが猛威を振るう2020年初頭。人の集まりやつながりがリスクになり得る現実を前に、公共的空間は、変化せざるを得ないだろう。その時のヒントは、商業空間が持つ「個性的な公共的空間」という特徴にある。では、商業空間と公共性はどう変化し、価値を高め合えるか。連載第1回目はプロローグとして、「公共性とは何か」について考える。(文/西倉美祝、「商店建築」2020年5月号掲載)

なぜ今、公共性を考えるのか

 本連載では商業空間の可能性、つまり商業空間の個性的な経済活動がつくる公共性について、空間デザインの視点から探求する。公共的空間としての商業空間は、現代社会において大きな意義、および将来性を秘めている。 公共的空間をデザインするということは、多様な人を集め、受け入れる空間を設計することを意味する。多様な人は多様な経済活動を生み、商業空間を新しいビジネスへと開くはずだ。

「つながり」がリスクになる社会で

 公共的空間は今、大きな変化に迫られている。この文章を書いている2020年4月、新型コロナウイルスの感染は世界中で拡大し続けている。媒介となっているのは、僕たちが善としてきた「社会のつながり」や「公共的な人の交流」だ。公共的空間、つまり「互いに自由に振る舞い、差別なく理解し、つながり合う空間」であればあるほどリスクとなる、というジレンマに社会は悩まされている。

 戦後、公共性論や空間デザインは人のつながりを生む方法を生産してきた。人のつながりが互いの理解を生み、助け合いや連帯を育み、最終的には民主主義的な世界全体の平和を生み得ると考えられてきたからだ。しかしその陰で、人がつながることのリスクも生み続けてきた。ウイルスに限らず、個人情報の取り扱いはトラブルに直結し、簡単には理解し合えない宗教や文化は隣り合うことで衝突するようになった。

 人はつながり、助け合わないと生きていけない。だからこそ今、関係を自在につなぐと同時に切断する、つまり「個々人がつながりを自由に選択できる作法」を見つける必要がある。

個性豊かな公共的空間群という未来

 この企画の目的は「公共的空間としての商業空間の可能性」を考えることだ。「商業空間が公共事業や公共施設とは異なる方法で人のつながりをつくること」「国や自治体とは独立して人間関係を維持できること」「人のつながりが結果的に商業空間の収益性にもつながるということ」……。そうした未来像を描くことは、現代社会が今直面している問題に何かしらの回答を出せるのではないだろうか。人がつながり集まることが難しい今だからこそ、商業空間が社会で生き残る新たな道、つまり個性豊かな公共的空間としての可能性を模索することに意味があるはずだ。

商業空間が公共的になるために

 商業空間にはモノやサービスを効率よく売るという目的を実現するための、人を支配する設えと経済活動(スーパーマーケットの客なら、出入り口→商品→レジ→出入り口といった一連の「行動」)が存在する。経済活動が一連の「定められた行動」であるため、商業空間は「自由な行為」ができない場所として、一般的に、公共的空間と矛盾するものと捉えられがちだ。しかし果たしてそれは本当だろうか。定められた行動とは別に、もっといろいろな行為が発生しているのではないか。公共施設や公園とは違った形で、人々が自由にくつろぎ楽しむことができる可能性があるのではないか。その考えから、商業空間における行為の調査・分析を始めた(図1、2)。

 結果は想像をはるかに凌駕するものだった。人通りが少ない場所や死角をリビングのように使いこなす人。通路と接続した企業のロビー空間を公園のように見立てる人。大勢の人でにぎわうフードコートでこっそり飲食物を持ち込みながら作業をしている人……。挙げ始めたらキリがないほどの、「定められた行動」から逸脱した自由な行為(Ex.行為)を発見した。これらの行為の多くは、当初の設計意図から外れたバグのようなものだ。しかし、商業空間の当初の目的や行動を阻害しない形で、しかも商業空間ごとで多種多様にEx.行為は展開していた。目的と行動がガチガチに設計された商業空間の中で、それでもなお人々が自発的にEx.行為とそのための場所を創造している。

図1

図1.代官山蔦屋の事例。動線に面したデッドスペースを待合室のように使いこなしている(作成協力/Juree Saelee)

図2

図2.都内の百貨店屋上の事例。芝生空間の延長として、ベンチをベッドのように使っている(作成協力/原田伊織)

公園って本当に公共的?

 公共的空間と商業空間の目的は矛盾しない。確かに、商業空間でできることや、利用できる人は限定される。しかし、僕たちが想像している以上に商業空間は自由な場所になり得る。少なくとも、いろいろな人を集めるという点においては、公共的空間と商業空間は同じ方向を向いている。

 一方、一般的に公共的な場所と考えられている公園や公共施設はどうだろうか。「公園のように自由な場所」とよく聞くが、実際のところ、これらの空間は多様性や自由を失いつつある。できる行為は制限され、利用できる時間も決まっている。ホームレスや不審者と認定された人は排除される。安全性を維持し清掃をするためには手間とお金が発生する以上、維持管理という意味で、こうした現実は本質的かつ避けがたい問題だ。

多種多様な空間を選択して生きる

 商業空間は意外と自由かつ公共的で、逆に公園や公共施設は思ったほど自由でも公共的でもない。もしかしたら、両者に大きな違いはないのかもしれない。戦後民主主義の理想とされた「ひとつの大きくて完璧に自由な公共圏(Public)」ではなく、商業空間も公園も公共施設もフラットに、同じように並べられた「無数の小さくて欠如した(privative)公共圏(publics)の総和」が公共性として機能している、という世界観(図3)の方がシックリくるのではないだろうか。事実、商業空間も公園も公共施設も、僕たちの生活にとって等しく価値のある場所で、僕たちはさまざまな空間を選択して生きている。勤務先はもちろん、生活必需品の購入拠点、人と出会い話す場所、遊ぶ場所や働く場所、更には何もせずにくつろぐ場所や住居など、それぞれの空間に固有の目的や人間関係を、その時々で使い分ける。他にも、右も左もわからない旅先で、見慣れたチェーン店に救われたという経験をした人も多いだろう。それは世界中に飛び地状に存在する拠点とも言える。SNSのようなバーチャルな空間は、物理的な空間と無関係に、人とのつながりをつくることができる空間だ。所属する空間の種類が多ければ多いほど、日々の選択肢が増え、人生に彩りを与える。そして商業空間は、それぞれが個性的かつ自律して存在するがゆえに、その選択肢と彩りを増大させる可能性を秘めている(図4)。

図3

図3.小さな公共圏(AP)のダイアグラム

図4

図4.各空間を移動し選択する生活の具体例

AP(オルタナティブ・パブリック)とは
本文中における「小さな公共圏」と同じ商業空間や公園、公共施設、SNS、家族など、生活の上で所属する大小さまざまな空間と人間関係のまとまり

経済活動と公共性の両立のために

 商業空間は公共的になり得る。そしてそれは商業空間の経済活動にとってもプラスになる……。これを信念に、僕は建築家として設計業務を行う傍ら、各企業の空間をリサーチし、新たな経済活動と公共性を両立するためのデザインを提案している。そうした筆者の知見を活かし、次回は喫茶ランドリーの空間分析と、運営者の1人である田中元子氏へのインタビューを行う。その後は、より大きな資本を持つ企業、もしくは社会学、哲学分野の方々からもお話を伺い、読者の皆様と「商業空間=個性的な公共的空間」の将来像を探求していきたい。

掲載号の、「商店建築」2020年5月号はこちらから!

連載初回についてより掘り下げた、西倉美祝さんの以下の投稿も合わせてご覧ください。



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