連載/デザインの根っこ vol.02_中村圭佑
根底の部分で共感した時に浮かび上がる原風景
私が衝撃を受けたのは、ミュージシャン、ジョン・フルシアンテの楽曲「Carvel」です。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストとしても活動していたジョンの、4枚目のソロアルバムのリード曲です。当時私は19歳で、ロンドンの大学に通い始めて半年が過ぎた頃でした。レコードショップで見つけ、初めて聴いた時に、荒野やそこを歩く旅人、岩山などの情景がまざまざと浮かんだのです。誇張でもなんでもなく、涙が止まらなくなりました。感動したというよりも、自分の感覚と音楽がつながったように感じました。そのような経験は後にも先にもその1回だけです。今でもこの曲を聴くと、その時に見たものと同じ情景が浮かびます。
その感覚は「好き」というよりも、もっと自分に近い、「共感」のように感じています。私は少年時代を、湖と山に挟まれた道を、ヘルメットを被って登下校するような田舎で過ごしたので、その時浮かんだ情景は自分にとっての原風景と通じるものがありました。私がデザインする空間の中で、自ずと原風景を追い求めるようになったのも、この体験がきっかけです。今思えば、その時が自分にとってアイデンティティーを形成した瞬間なのかもしれません。原風景というのは私にとって抗えないもので、根本的な部分です。この曲が、私の中の奥底にあった原風景を掘り起こして、大きな衝撃になったのだと思います。
また、当時はダミアン・ハーストのようなコンセプチュアルで陰のある芸術が盛んで、私自身10代で感受性が強い時期でもありました。そういった背景の中で、この曲が自分の奥底にある感覚を引っ張り上げてくれたように感じ、「芸術とはこういうものなのか」と思ったことを覚えています。
Carvel/John Frusciante
言葉ではなく感覚に動かされる
説明的なものも好きですが、どちらかというと感覚的なものに魅力を感じます。これは「Carvel」の衝撃とは全く違った経験なのですが、小学生の時に、道端で孔雀に遭遇したことを今でも覚えています。先程お話ししたように、私は幼い頃を田舎で過ごしました。ある日の小学校からの帰り道、前方からものすごく美しい鳥が歩いて来るのが見えました。だんだん近付いて、目の前で羽を広げました。今でも明確に覚えている、恐らく人生で初めての神秘的な体験です。今となっては現実かどうかも分からないのですが。そのような神秘的体験で得た、脳裏に焼き付けられた「美しさ」も自分の表現の一角を担っている気がします。
孔雀
意味を求めないという心地良さ
もう一つは、画家のチャック・クロースが描くポートレートです。特に巨大なキャンバスの中に、小さなマスをいくつも描いていくことで一つのポートレートを描き上げていく作品に魅了されました。クラシカルな技法を感じながらも、何か感覚に訴えてくる絵の強さを感じ、具象絵画にあまり興味のなかった私ですが、その絵を見た時に「美術の深み」に触れられた気がしました。
この作品に限らず、好きなもの全てに共通する点が、「一貫している」ということです。あれもこれもと意味を詰め込むのではなくて、ある意味で一点張りの状態のもの。そういった部分に自分との共通点を感じます。私の場合、インプットもアウトプットも掘り下げれば原風景に行き着きます。原風景という、自分にとって根底となる部分で共感できたものに引かれるのです。
〈談/文責編集部〉
.一連のポートレート作品/Chuck Close
〔作品集『Work』(2010)より〕
なかむら・けいすけ/1983年静岡県浜松生まれ。設計・インテリアデザイン事務所ダイケイミルズ代表。主な仕事に「玉川堂 銀座店」(18年2月号)や「Hirotaka」(17年3月号)など。
紹介作品一覧
1.『Carvel』
John Frusciante(2004)
レーベル:Warner Bros. / Wea
2.孔雀
3.一連のポートレート作品〔作品集『Work』(2010)より〕
Chuck Close(1940〜2021)
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