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評価されることについて

仕事をしていると否が応でも評価というものが着いて回る

昇進や出世に興味があるないに関わらず
全員が誰かしらに評価されている

人が人を評価して
人が人に評価されるのだ

評価には必ず観点があり、目的がある

もっとも生物的な評価は、男女の異性に関する評価であろう より優秀な遺伝子を残すために評価をしあう

人がものを買う時にも評価する
価格や品質、見た目など様々な視点で評価し
高い評価を得たものが買われていく

評価→選択

と評価の後には選択という活動がある
評価は選択のためにあるのだ

誰かの給料を上げるために評価をする
入学者を選ぶために試験をおこない結果を評価をする


では評価の前にはなにがあるのか

活動→評価

評価の前には日々の活動がある

活動をあらゆる視点、観点で評価される


しかし、活動は評価されるためにあるわけではない
これだけは間違えてはいけないだろう

評価を見据えて行う活動ももちろんある
そのようにすることで活動への意欲が向上したり、活動の内容の質が高まったりする
良いことである

だが活動の本質と評価の観点が同じ方向をむいているとは限らない 面白いところである


いい文章が書ければたくさんの人に読まれる
たくさんの人に読まれるのがいい文章なのか

たくさん売れる作品がいい作品なのか
いい作品はおのずと売れるのか

時と場合であることは間違いないが
ここ最近評価ありきの活動をよく目にする

そんな活動の上に出来上がった物事をみると
味気なさを感じてしまうのは私だけだろうか

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