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学生生活終了のお知らせ。

今日3月31日で長かった学生生活が終わりを迎えます。

小学校の6年。中学校の3年。高校の3年。予備校の1年。保健学科に通った1年。建築を学んだ6年。計20年、終わってみればあっという間でした。特に、高校卒業してからの8年は一瞬で過ぎて行きました✈︎

“プラントエンジニア”の仕事に就くとは、医師になることを目指していた高校生の時には夢にも思っていませんでした。でも、これも一つの運命なんだと思います。一つでも違った道を進んでいたら、今、こうして会社の寮のベッドでこれを書いていなかったと思います。

今回は、保健学科と建築の7年について簡単に書こうと思います。。。

医学科を目指して1年間予備校に通い、浪人したものの、前期入試で受けた医学部医学科に不合格となり、後期入試で合格となった医学部保健学科に進学することにしました。

しかし、医学科に入る夢を諦めきれず、保健学科に通いながらも入試勉強をし、その年のセンター試験を受けたものの、実力不足で惨敗でした。

半年しか保健学科で勉強しなかったけれども、いい人たちと出会え、今となってはとてもいい経験ができたとつくづく思います。半年間本当にありがとうございました。


センター試験の結果を受けて、目指していた医師の元で看護師として働くのは嫌だと思い、全く違う学科を受けることにしました。そこで目に留まったのが建築学科でした。

“どうして建築?”と思われるかもしれませんが、建築は父が建築関係の仕事をやっていたということもあり、身近な存在でした。さらに、建築学科のホームページを見ると需要が多く就職先が多くあるということにも惹かれました。笑

こんな不純な理由で受けた建築学科に合格し、結果的に6年間も建築を勉強することに。。。

その建築学科では、3回生の前期まで設計に真剣に取り組み、最後の最後で講評会に選ばれたりもしました。

実は、3回生の後期から設計の授業を取らなくなったのは、“構造に進みたかった”という理由ではなく、その夏休みに行ったロサンゼルスとスペインで貯金を多く使ってしまったので、模型材料を買うお金を捻出できないと判断し、泣く泣く設計の授業を諦めたんです。。。

でも、今思えば、構造に進んだことで比較的時間とお金に余裕ができ、旅行に時間とお金を費やすことができたんで良かったのかなと思っています。

4回生では入りたかった研究室に入ることができ、大学院にも無事合格し、実際の構造設計に近いことを数多く学び、大変充実した3年間になりました。特に、卒論で扱った“ETFE膜クッション構造”に関する研究ではETFE膜のことはもちろん、有限要素解析についても学べ、修論で扱った“極大地震に対する鋼構造建築物の耐震性能確保”に関する研究では超高層鋼構造建築物を実際に設計したり、地震応答解析をしたり、コスト比較をしたりと、実務に近いことを学べて、大変有意義でした。


この6年間にも多くの人たちと出会い、多くの場所で貴重な経験を多くし、今思い返せば、とても充実した学生生活だったと改めて思います。


この充実した20年間の学生生活を送れたのも、何事も支えてくれた両親のおかげです。特に、父が亡くなってからの13年間一生懸命育ててくれた母には感謝してもしきれません。

次は、自分がこれまでの感謝の気持ちを込めて、社会人として頑張って働き、恩返ししていきたいです。


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