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伊那小学校の公開学習指導研究会に行った人との会話

 はじめに書きますが、僕は行っていません笑。ですが、僕がこの研究会の存在をお知らせしたことをきっかけに行ってくださった方がいました。その方は教員じゃありませんが、興味を持ってそして実際に行って、さらにそこで感じたことを送ってくださいました。僕も知っている情報や感じられたことに僕が思うことをLINEで送りました。勝手ながら非常にいいやり取りだと思ったので許可を得てそれをまとめたものをここに残します。さらに興味を持ってくれる方が増えたり、さらにいい研究会、伊那小、伊那市の発展に繋がれば、と思いましたがそんな大きく書くもんじゃありませんね笑。でもなんとも学校現場にある閉塞感というか、ただ同じことが続くような、狭い教室で問題が起きないように教師主導でやり続けることと違うやり方があるのだと広がって欲しいです。もちろん、広がって欲しいのはその手法という狭いものだけじゃないですよ。


第46回公開学習指導研究会のご案内

LINEでのやり取りの前

 研究会に参加され、コメントシートを書かれたのですが、そちらも載せていいよとのことなので載せますが、写真から文字起こししたものなので誤字はちょくちょくあります。また、前提となるような情報を少しに書いておきます。

・参加人数おおよそ800人
・エジプトの学校の先生も参加していた(福井大学関連のようです。その他名古屋なども行かれるそう)
・参加費4000円
・警備いれないと大変なレベルじゃないか。値上げしたほうがいいのでは。オンライン4000円、リアル4万とか。それに対して自分は「海外勢オンリーの日高価格・一般向けの日はそれなり高価格・教員向けで少し安め・教育委員会からの団体視察はそれはそれで考える、とりあえず今は全部ごちゃまぜなので分けるのが良いのかもしれませんね。ただ現場の教員からするとここの日を目指すことをきっかけとしてさまざまな準備というか、教育活動を子どもにさせるのがやることなので、管理職と教育委員会がどうデザインするかによると思います。」
・参加されたNさん「総合を中心に据えてから、他の授業を組み立てるというのも、至極真っ当だなと感じました。やる気ある校長集めて、「どうしたらこれが自分の学校で出来るか?」というレポート書かせて実践させたらどすか?」
・今年1/3の教員が入れ替わってるらしいっす。ちゃんと仕組みあれば出来る事なんすよねきっと。
・異動直後みんな戸惑うようです笑。でもずっとこれで来てますんで、なかなか変わらないと思います。良くも悪くも、学校はすぐ変わらないので。

参加された方のコメントシート

<共同参観授業について>【6年】
本日は貴重な機会をありがとうございました。
全体を通して、この開授栄の意義がよくわかりませんでした。こんなに素晴らしい教育活動をされていらっしゃるにもかかからず。周囲に広げていきたいという意回は感じられませんでした。「ただ公開しているだけ。「見せているだけ」そんるふうに感じてしまいました。このイベントを実行することによってどのような効果を期待していうっしゃるのでしょうか?他と違う取り組みをしていることはよくわかりました。たいへん素晴らしいです。子どもの好気心を、制限をかけずに伸ばす取り組みとても立派です。他の学校も、そうあるべきだと感じます。だからこそもっと現実的に、この教育う法やシステム自体を、他の学校でもできるように、本気で取り組んで頂くのが、これからの日本の教育システムにとっても必要なことなのではないかと感じてしまいました。素晴らしいからこそです。
<研究発表・研究紀要について>
個人的な提案ですが、このイベントは一人一万円にしても、同じ人数が集まるものだと感じます。4万円でも多いです。従い、一人40万円程度の本気でこれを取り入れた実行する。そうすれば、年何回実施するかにもよりますが、そうすれば、費用面でも負担が軽くなると思います。まで、参加者にはイベント後に「自分の学校に取り入れるためにはどうすれば良いか?」をレポートに暑かせ、実行して報告させる、それくらいのことを実施して良い内容だと本気で良います。是非やって下さい。
<講演会について>
こういった、費用を取るといった所で、ご不安なようでしたら、木下斉さんという方(世界一受けでい授常とうTV番組でもご面識おありですよね?)にご相談されることを強く勧めさせて頂きます。なんなら全力で私がおつなぎいたします。(ただし、受けて頂けるかは分かりません。現代の三宮尊徳さんですから(苦笑。)
<その他>
散々なことを書かせて頂いてしまいましたが、今回参加させて頂き本当に素晴らし教育方針や方法だと感じました。今後の御校の一層のご発展を心より願っておます。
PS. お昼のパックの分別も、人を立たせるだけなら不要だく思ってしまいました。人と話したコトがない人を雇っているんですか?そういう面でも、高額講座にすれば、費用かけいますよ。

LINEでのやり取り

 ぶっちゃけ過ぎていたので少し削除したり、書き換えたりしています。

僕:基本教員はずっと教員ですし、それなりに経験して出世欲がある人は指導主事といって教育委員会に入って管理職(校長・教頭)になるのが普通のルートです。最近特に注目されてかなり人が集まる流れになっているのですが、伊那小からすると当然のことをやっていただけで何でそんなに?感もあると思います。なのでどう広めるとか、日本の教育をよくするとか、そんな大きいビジョンを現状持っていないのだと思います。ずっと学校にいた人たちなので当然ながら稼ぐ視点やどう広報するかなどの視点を経営陣(委員会、管理職)にはありませんね。ただ、僕はこれからの日本の学校の方向として、これだと思っているのでやり方次第でどうにでもなるような気もしています。
N:認知されたからこそ、広めたりする責務もある、みたいに感じてくれたらなと、烏滸がましくも感じました。というか、ホント純粋に良いと思いますので、「エエ話やー」で先生方が帰ってしまうのはマジで勿体無さすぎます。とはいえ一教員では、チャイム鳴らさないとか全然無理な話なので、権限者じゃないとですよね。
僕:最近はどこも校長にかなり権限与えられているので、そこが決めたらできることは多いです。チャイム消すのもできます。ただこういう変更をするときに管理職が良しとしたからといってついてこないのが40代以上の教員ってとこです。主任級ですね。これが学校の問題でもあるんですが、管理職が決定したところで実質やらない、みたいなこともあるんですよね。クラスを運営するのはその現場の1人の教員なので、無視して自分のやりたいようにやることも可能なので。特に小学校はそんな感じです。だから本当にいろいろ変わるには管理職も当然ですが、学校の核になっていてこの人が言うなら、みたいな認められている教員がどう動くか、が結構大きいです。だから教育に力を入れようとする自治体なんかは教育委員会でそれなりのポジションの人、校長、学校において核となっている教員を軽井沢風越学園やその他いい取り組みをしていると言われているところに視察に行かせてますね。奈良の生駒市でそういう動きを聞いています。最近は学校の数を減らすために小中を合併して義務教育学校を作る動きがあるようで、そこのデザインをどうするかを感度の高い自治体は探っているみたいです。40人弱をただ詰め込めばいいんでしょう、って教室が今後の教育の方向とはマッチしていないので、そうでないオープンな雰囲気の学校が新しくできたりしてます。義務教育学校を作るのに国が補助金だしてるみたいです(今もなのかな?)
北海道の安平町が少し教育界隈ですげぇ、ってなってました。伊那小学校は至って普通の、昔からある教室・校舎ですね。

「認知されたからこそ」について
僕:本当にそうです。なのでここを現場がもうめんどいわ!ってならないようにして欲しいなと思っています。市がこれをただ移住者増えてラッキー、ってなってるだけなら絶対に現場は疲弊するだけにやって教員からしたら公開とかすんなよ、ってなるので(マインドセットによりますが)、ここにどんなビジョンを描けるかなと。管理職以上が覚悟持ってやれるかどうかなんですよね。教育委員会、そして市が有効活用しつつ、でも本来の目的は子どもたちの成長の場なのでそことどう共存するかかなと。来た教員がええ話やーで終わるだけが大半の可能性があります、ぶっちゃけ。こんなんうちでは無理やしな、みたいな。終わりに小グループで話して、今日の気づきをどう持ち帰りますか?くらい振り返りがあっていいと思います。それこそどんな覚悟を持ってこの場に来たかって話で。Voicyの木下さんの話をただ流して聞くか、コメントしようとしたり他の人に話したりしようと思って聞くか、みたいな差の話ですね。ただ旅行しに来たやつらがどれだけか、って話です笑
 あと1/3教員が入れ替わったって話ですが、何をどう準備しているかはわかりませんし(実際総合は結構手間がかかります)、そして教員は自己満足で準備したがる生き物なんですが、最近でも常に7時まで、つまり毎日2時間くらいサービス残業してるみたいです。昔は夜中1時まで議論してたって60オーバーの元教諭は言ってました笑。なので、働く教員側からすると人気がなくここから他のところへの異動を希望するはあり得そうです。
N:「安平町について」こりゃあ凄いっすね。。なかなかこれはお金も掛けてますね。。
僕:なんでここまで気合い入れてるのか、不明です笑。教育で移住者をとりにきてるのか何なのか
N:今回、発表というか、前に立って発表されてた教員の方、なかなか大変そうで、実はワタシ挙手して質問したんですが、少し可哀想な質問しちゃったかなという所もあり、後から個別に激励して握手しておきました。やはり現場第一ですよね。お土産も売ってましたwいや、それはそれでも良いんですが、多分大事なのは、「これをどう取り入れるか?」であって、お土産に持って帰るのは、饅頭じゃなくて、教育に情熱を注いで共に議論とか切磋琢磨できたりする友人とか同士なんじゃないかとすげぇ思いました。そういう意味でも、最後にグループワークとかディスカッションちょっとやるだけでも全然違うと思います。というか、最初から横のつながりとかつけた方が、絶対見てる側にも良いと思います。
僕:研修のデザインをどう考えているかですね。軽井沢いったときはチームができて、帰りにはやっぱり連絡先交換するような仲になりましたから笑
N:同感です。現場は子どもに向き合う事に注力して欲しいです。それが更なる好循環を生むと思います。
N:最後の方に畔上先生がお話されてた中でチラっと触れてたんですが、「前の学校で不登校になった子が転校してきて変わった」みたいなお話されてて、そもそもこの教育方法は、教える方がめっちゃ試されるというか、ホントある意味大変だと思うんですよね。健全に脳に汗かくというか。終わりも答えも無いですし、自分も教わって学び続けて行くというか。それに加えて、元不登校児とかだと、親のアプローチとして悪くは無いと思うんですが、駆け込み寺みたくなってしまうと、それはそれでまた違うのかなーと思ってしまう所です。
僕:特に若手なんかがこれを機にここの理念をもっと外に伝えよう、なんて考える必要はないと思います(定年までそんなマインドセットでいいとは思いませんが)。ただ、現場がもっと移住者呼ぶために広報を、って考えるのはお門違いかなと思いますね。これに関しては別で人を配置するしか無いかなと。市がどうしたいかによりますが。でも伊那小の子どもの20%くらいが移住者ですし、もっと呼び込みたいとは思っていると思います。
僕:「教える方が試される件」かなり技量がいると思います。そして、教師として働くのにかなり面白い学校だと思います。なので働き方改革どうのこうのあってもちろんやるべきことはあると思いますが、この小学校の理念はなくなって欲しく無いですね。正直、不登校やいじめは狭い教室に閉じ込めてあまり自由なくすべて教師主導でやってる学校生活による弊害というか、歪みだと思っています。問題が起きないようにそうしているというか。それが多分問題作ってるんですけどね。なので教師の「教えないもいけない」を外せば不登校とか、支援教育も含めて解決の糸口になるんじゃ無いかなと思ってます。
N:全面的に同意です。そして後半部分のコメントから、畔上先生のお話の中で、「意味の限定化」という内容があったのですが、それをある意味否定している所が他の学校と一番違う部分であり、且つ伊那小学校の教育現場で一番大事な部分なのではないかと感じました。手法としては「リヴォイス」と仰ってました。子どもの言動に対して反射的に返す言葉、ですね。ココにも凄く共感しました。もっと言えば、言葉に限らずノンバーバルも含むとも思いましたが。
僕:この詩の話ってありましたか?この未完の姿で完結している、がめちゃくちゃ好きなんです。
探究「探究」する学びをつくる 藤原さと 222, 223ページ  

 N:私が聴けている間にはこのお話は無かったのですが、めちゃくちゃ良い言葉ですね。「子どもの内なる声を聴く」というコトに関して、「大人のルールからすると間違っている答えを出す子も、その子なりの意味がある」といったお話もあり、共感する所でした。金持ち父さんのロバート・キヨサキの本に、「子どもはみんな天才」というタイトルの本があるのですが、こういったお話に触れる度に、そのタイトル通りだと強く感じます。
僕:意味の限定化、リヴォイス、はじめて聞きました。意味の限定化の否定をやっているのが伊那小ですね。というのは、学校を経て子どもたちを「犬」にしている感じがあるんですよ。自分たちで何かやるというより、指示待ちの人間を作る感じですね。もちろん人の話を聞けないとダメですし、さらにいうと今後はもっと稼げるようになれないとダメなんですけど。ありのままでいいなんていうのは木下さんが最も嫌いなやつだと思いますが(笑)、この学校がやってるのは「人の衝動を残す」ってことだと思うんですよね。犬化させない。自分が高校生をみていても別に好きなことない、やりたいことないが多いんですよね。とりあえず高校受験してきたし、とりあえず大学に行くみたいな感じです。それくらい小中高と教員、保護者が基本よかれと手を出してきて自分で何かをやる感触・仕掛ける感触を消してきたのかなと思ってしまってます。山口周さんのビジネスの未来って本に、ビジネスで稼げる見込みがないから手を出さない、とかではなくこれからは衝動で、自分が人生においてやらなければならないことをやる、衝動が大事って書いてあるんですが、その衝動をやってるんかなと昨日のやり取りで考えました。最近あったうきはの宝のビジネスも間違いなく衝動から始まってると思います。この衝動って人間たらしめるもので、それが人生の充実に向かわせるものなのかなと。「子どもはみんな天才」って最高ですね。そうなんですよ、子どもは大人になるためのただの準備期間ではないと思っています。といいつつ、伊那小卒業後にいく伊那中学は割と普通なんですが!笑。昔は特に、伊那小から入ってくる子は全然育ってない!教育し直し!みたいな感じがあったみたいなんで。ここも伊那市の伸び代かと思います。
N:はい、伊那小がやろうとしてる取組みは、まさに仰る通りだと思います。大人の都合を子どもに押し付けない、大人に都合の良い子どもにしない、という事ですね。昨日私が見てて、強く感じたのは、「好奇心に制限を掛けない」という事でした。このやり方って、そうなんじゃないかなと。昨日家に帰ってから、妻と話してたんですが、まさに、「この子達は卒業後、中学や、その先で、真逆の押し付けや理不尽に耐えられるのか?」という事を話していました。私自身は、歳を重ねれば、結局敬語だとかそんなのは、本質では無いモノなので、如何様にも取り繕えるのでは?と考える方ですが、そこはこの学校の課題でもあるのかなと感じた部分ではありました。(人生の本質ではないですが、日本の文化に根付いてしまっている、迎合とか上下関係、とかとは相性が悪いかなと)。東京に○○という学校があって、そこからクラブチームに来てる中学生何人かに野球を教えた事があるんですが、先生にも敬語を使わせない校風の学校なので、入った時はそんな事で怒られてて可哀想な感じがありました。とはいえそれも本質では無いので、彼等はその辺りの理不尽さで学び、側だけを取り繕う事を覚えたと思います。その部分の葛藤というか、そんな超えなければならない壁を作って良いの?怒られなきゃ直らない、で良いの?みたいな話を妻としてました。その辺りは昨日、本当は先生方方に訊けばよかったなと後悔した部分ではありました。やはりその部分の課題感はあるということなのですね。まぁ、微妙にそれも、どっちの課題?って感じですが。苦笑
僕:そうですね、どっちの課題か。これあまりよくない例な気もするんですが、大阪のとある中学で髪染めに対する指導をやめたみたいなんですね。先生たちは、それじゃ高校や社会に出た時に通用しないて言うだけで終わりという。おそらくこの問題は先生たちが生徒たちに負けているところが問題なんだと思いますが、髪色なんてどうでもいいという考えもあるのはあります。現状そんな社会じゃないので、髪を染めていることに対してどんな目があるのか、それに対してどう捉えるかと言う視点を与えずに「やめたほうがいいで〜」だけだとしたら覚悟も何もない教師なんですよね(現場に行ったことないのであまり強く言うのもなんですが...)。敬語に対してもそれは言えるかなと思います。自分も敬語なかなか使えない人間で笑、中学のときはみんな使ってなかったんですが、高校に入ってまた中学の野球部の監督にいったときに自分はそこが変わってないことに違和感を覚えまして、次行った時から変えました。先生はそれに対して待ってくれていたのかなと思います。基本厳しい先生でしたので挨拶に対して怒られたこともありましたが、視点を与えたらあとは待つ、ってことだったのかなと思います。Nさんの、私の本分はココ(教育)にある、が本当にかっこいいですしそのキッカケになれたことを嬉しく思ってます。

まとめてさらに感じたこと

 総合じゃなくてもいいんですよ、当然。いろいろな新しい実践はあります。『学び合い』『けテぶれ』しかり理念がちゃんとあります。今の時代、そしてこれから何を目指していくべきかを見据えた実践であると思っています。学校は場所によって様々な文脈、特性があります。当然それを活かさないと意味がないというか、活きてこないです。人もついてきません。どかっとドラスティックに変えても働く教員がついてこれない、はあります。ほんでもってなかなか胸の内を明かさないです。同僚性ですね。もはやとにかくいろいろと仕掛けていくためにはそこで働く人たちがエネルギーなわけなので、そこに活力を生み出すために職場の安定した関係性を作る、そのためになんでもいいから変える、もはや変えることが主目的でいい気がしてきました(何か変革するためにはそう言わないほうがいいですけど)。

終わりに

 本当は教育というか学校って参入障壁が低いと思います。だって大人はみんな何かを教えることができるので。でも、そのハードルを作っているのは何かということなんです。参入障壁が低いのに人の幸せにつながりやすいって最高じゃないですか。僕は自分の幸せには他者貢献が無いとあり得ないと思っています。そして、学校で何かやるのは基本的に次世代につながる他者貢献です。その教える人が勘違いしなければ、ですが。学校はもっとその各地域の核になりうるものだと思います。でも今のシステムのままだとそうなることはないと思います。子どもが成長する場というものを超えた、地域の文化拠点としての場というべきかなんともまだ言語化しきれないのですが、もっと多くの人が入り混じる場が僕はいいと思っています。このnoteの図、僕は好きです。


 2月2日。

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