
生徒指導の能力〜教務側か生徒指導側か〜
昨日木下さんのVoicyで話題になった件、現場にいる人間として思ったことを書こうと思います。
木下さんのnoteはこちら。本日2/19まで無料のようです。
自分のこの話はタイトルの通り、どちら側かという話があります。いろんな先生がいるのはもちろんですが、二項対立で考えていいものだと思っています。教務っていうのは授業や年間計画にかかわる部署ですね。生徒指導は言わずもがな、何かあったときにビシッとたつ先生たちの部署です。当然ながら、どちらも大切な部署です。それについて少し。但し書きとして、高校なので少し小中と違う感覚もあるかと思います。
めちゃくちゃ簡単にいうと、
昔は荒れがあってオラオラで対抗する→荒れが落ち着いてきたがオラオラの人はいる。むしろそっちが校内で実権握ってる→オラオラって本当にいるの?って認識が増える→でも生徒指導の大事なエッセンスがあるが、壁がありすぎてコミュニケーションとれず学校として生徒指導能力が弱い、って感じかなぁと。
教務側か、生指側か
イメージつきやすくするためにさらにいうと、数学の先生と体育の先生って感じかと思います。ちなみに参考にしているのはこの本です。
教務側の先生は、良い授業、単元を設計したり年間としてどう単元を組むかということを重きにおいて生徒たちの成長を考えるのを好む人です。様々な授業方法を好きであるとすると、こっちかなと思います。
生指側の先生は、行事や部活動でどのような経験をさせて生徒を成長させるかという観点で考えるのを好む人です。
当然ですが、学校では様々な教育的体験を通じて成長をはかろうとします。なので、どっちかだけでいいということはあり得ません。ただ、教師がどちらを好むかというのはその教師の主義というか、好みの問題なのでどっちの方が好きかというのあると思います。
僕は教務側です。大学院で様々な授業方法を学んだということもあるのですが、そういうことを知ると自然とそうなるのでは?とも思っています。
そして、社会全体としてそっちにいっているのでは、とも思っています。つまり、熱血オラオラでアツい先生と社会がなんとなく進んでいるような合理的で個人主義な世の中の考えとマッチしないんじゃないかということです。
どっちの視点も必要
そしてさらに当然ですが、どっちの考えも必要なんですね。例えばなんですが、自分は総合学習や協同的な学びの場を作るのが好きです。
ですが、ただやらせてそれで上手くいくわけないんですよ。そういった自由なやり方というか、優しいやり方は。必ずだらっとする瞬間が生まれたり、そういう奴がでてくる。つまり想定していたのと違う様子になるのですね。でも当たり前ですよね。人間なので。ともかく、そういった良いデザインがあったとして、ただこちらの考えなしにやらせるだけでは機能しないんですね、そのデザインが。そこで終わったら何の意味もないのです。そこからが勝負でもあります。ここからのやり方はいろいろありますが、ピシッっとさせないといけないわけですよ。ピシッと。それをそうじゃねぇ!と真っ正面から向かう父性的なやり方もありますし、こういう意図でやってるんだけど、みんなはなぜそうじゃないのかな?と母性的なやり方もあるかと思います。いろいろです。とにかくここはちゃんとやらなきゃなと思わせないといけないわけですね。
もちろん逆も然りで、オラオラいうだけでもダメですよね。怖かったら本心を隠したり、その場だけ取り繕ったりと当然悪影響もあります。怖い担任の先生には言えないけど、横のクラスの女性の担任の先生には言える、とかもあるわけで。長所短所あるわけです。自分はどっち側で、というメタ的に捉えるだけでも意味はあるかなと思います。
先ほどの紹介した本の堀先生は若い時にどちらの分掌も経験できたことが本当によかったと書かれています。
生徒指導が時代に負けている
昔はむしろオラオラが成果をあげているわけですね。めちゃくちゃな荒れに対して暴力でも対抗する教師、学校。なんとかそれで更生させる、みたいな。ドラマにもよくあるやつです。ただ、時代がオラオラを全然求めていない感じがあります。高校にもなると学校にもよりますが、生徒たちは大人しいので。これまでの指導の賜物なのかもしれません。
社会の働き方改革しかり、効率的にやろうというのとオラオラは相反する部分があるのでしょう。当然、だからこそ逆に「ゾス」みたいな文化を求める人がいるわけで、ほらそっちが結果でるじゃんとかなるわけですけどね。後々揺り戻しはあるとは思いますが、現状合理的なほうが優位かと思います。部活動の加入率も減っている気がしますし。土日どっちもずっと部活なんてありえないって考えは結構ある気がしますね。
で、それは生徒たち本人がそういう考えになっていっているのもあるとは思いますが、やっぱり保護者なんだろうなと思います。そこまでやらなくていいんじゃないのとか。確かにわかります。が、なんだかぬるま湯だよなぁとも思います。どうなんでしょうね。お子さんがいる方は自分の子どもに対してどう言いますか。
社会的に、つまり保護者側にそこまでせんでええんですよ、と言われるとやっぱり学校側として教員も管理職もやりづらい。教育委員会なんかも社会に迎合している感じはあります。まぁ、公務員ですからね、普通の学校は。公僕です。社会がオラオラをやめろと言っているんだからやめないといけません、と現場のトップである校長が言わざるをえないようになっちゃうわけですね。
ただちょっとそれは指導し過ぎでは...もある
↑のように思うこともちょくちょくあるのです。それはあなたの機嫌が悪いだけでは…というか。強く言うだけで結局その生徒には入っていないとか。入っていないっていうのは納得していないってことですね。さらにはもっと重く罰を与えたいとかね。目的がおかしくなっちゃってるわけですよね、これは。だから生指側も当然ですけど、自分たちのポリシーは持ちつつも、今の社会的な感覚を学ばないといけないわけですね。昔はよかった、とかずっと言ってるだけじゃダメなんですよ。当たり前ですけど。
また、生徒指導側の教員が業務側の仕事を舐めているときもあります。校内の事務作業の締め切り守らなかったり。強く言えない女性教員になんで言えねーんだよと思ってたり。それじゃダメですよね。
学ぼう、大人
日本人は大人が全然勉強しないとデータがあるわけですが、しないとダメなんですよ。これからは更に変化が激しいわけなので。ただ、いろんな授業方法があるよ、という教務側は勉強しやすくても生指側の感覚って結構OJTな感じがあるんですよね。僕なんかはまさにそうで、教務側人間の頭でっかち院卒業したてが現場に入って凄まじいギャップを感じたのですが、そういう生指側の考えが大事なんだなぁと思ったのは少し経験してからであります。お恥ずかしい話ですが、そのときに何だよこの全然指導できない若者…で捨てずに関わってくれた先輩方には感謝しかありません。ただ、最近の若い人は僕と近しいもんを感じていて、やっぱどうしても合理的な感じがあるんですよ。あんな生徒指導いる?みたいな。で、それを言えない。もうお互い近づこうとしない。つまりさらにピシッっとさせることの大事さを教えるのに時間がかかるかと思います。
同僚との関係
そして行き着く先はここになります。教育のいろんな話をしていても行き着くのはここになることが多いです。なぜかというと、やっぱり教育は思想的なところが大きいのです。私はこんな先生と出会った、小学校のときはこうだったとあらゆる人が学校と教育体験を有しています。だから親も教育に対する考えを持っています。そして、先生たちも。教務側か生指側か、なんて昔自分がどういう体験をしてきたかによるわけですからね。そしてそれは成功体験であることが多いので、強固なものであって対立しやすい。ですが、何度もいいますがどちらの視点も大切なんです。だからこそ、どちらも尊重してお互いの意見を聞いて協力してやるしかないのです。ですが、例えば生指側のきつい指導に対してそこまではやる必要ないでしょうとか、なかなか表明されないのです。そっち側が立場的に強いことが多いので、なかなかそこまではいらんでしょって言わない。ある種タチが悪いですよね。特に意志表示はないまま、自分は関係ないと新しく決めたルールをやらない、とかね。でも、あるんですよ。良くも悪くも教師は個人商店をしたがります。小学校なんてその傾向が強くなりますよね。1クラスに1担任だともはややりたいようにやれちゃう。でも中高もそうですよ。授業しているときに他の大人が関与しないですしね。もちろん、学年で決めたっことと正反対の方針でやってたらそりゃめちゃくちゃになります。こういうとき、荒れますね。あの先生とこの先生で言っていることが違う状況はかなりまずいわけです。
書きながら思うけど、どうなんだろうな…この会話を進めるためには。生指側が生指側の人間だけで留めず、他の人の指導観をきけたらもう少し変われるかもしれんのにな…と少し思ったり。でもそんな人任せではダメですよもちろん。そもそもここまでいるんかとかのオピニオンを表示しないといけない、というかもっと会話しないといけない。
とにかく会話できますかって話です。大人が。ちゃんと思ってることを言えますか。どこの現場もそこが問題なんじゃないかな。それがないと生徒指導をする能力はつかないかと思います。特に若い人の。そうなりゃそりゃ大人舐めた人が育ちますね。そして、若い人。ちゃんと受け取ろうと思ってますか。これ過去の自分に書いているみたいなんですが(笑)、はじめたてのころの視点なんて雑魚なんで、教えてもらうしかないんですね。なぜそういう指導がいまもあるのか、どういった観点が大事なのか、と聞けばいいのです。教師がそれを言われて嫌になることはまぁ無いです。お互いに質問すればいいのではないかと思います。
まとめ
ちょっといろいろと書きました。まとまりがないような気もしますが、お付き合いいただきありがとうございました。学校って基本的によくなっていっているとは思うんですね。昭和の時代のような荒れはかなり減っているのが現状かと思うので。ただ、どちらかというとその過去あった抑えつける指導の賜物なのか、時代の流れなのか、生徒たちの活力は減っている気もするのです。悪くいうと言うことだけは聞く、犬化している。主張はなかなかない。
最後もまとまりがなくなってしまった。皆さま木下さんの放送よろしく、いいねコメント拡散よろしくお願いします笑。よければXのほうも。Xのアカウントは@mz_physです。
追伸
4月から教員になる教え子にはこの本を送りました。がんばれ。
とか書いてたら今日駅でばったり会えました笑。嬉しかったなー。