ヒトラーがノーベル平和賞候補になったって本当?①
世界大恐慌で、ドイツは苦境にあえぐことになった。アメリカからのドイツへの投資は一斉に引き上げられ、産業は瀕死の状態となり、国内は失業者であふれた。しかも時のドイツ政府は、有効な政策を講じることができなかった。
1930年に就任したワイマール共和国最後の首相ハインリヒ・ブリューニングは、ただちに財政支出削減、増税を行おうとした。政府の財政赤字が深刻化していたため、それをまず第一の問題としたのである。そしてブリューニング政権は6月には、失業保険の支給打ち切り、公務員給料の引き下げ、増税を検討した。不況のときに、財政を緊縮させれば、もっと不況になる。ドイツの経済はさらに悪化し、失業者が650万人にも上った。
この政策は、ドイツ国民の猛反発を食らってしまう。そして代わって登場してきたのが、ヒトラーなのである。ヒトラー率いるナチスは、再軍備、ベルサイユ条約の破棄など、強硬な政治目標を掲げていた。ナチスは結党当初、その過激さから財界や保守派から敬遠されたが、ドイツ経済の悪化とともに中産階級以下から圧倒的な支持を集めるようになったのだ。やがて、財界や保守派も、共産党の台頭を防ぐ意味でヒトラーを支持するようになり、
1933年、ついに政権の座に就いたのだ。ヒトラーは政権に就いてからわずか3年で、失業者を100万人程度にまで減少させ、世界恐慌以前の1928年の状態にまでドイツ経済を回復させた。1936年の実質国民総生産は、ナチス政権以前の最高だった1928年のそれを15%も上回っている。これは世界恐慌で大きな被害を受けた国のなかでは日本とともにもっとも早い回復だった。アメリカが世界恐慌のダメージから完全に立ち直れたのは1941年のことである。
世界恐慌以来、世界の列強たちは貿易を閉ざし、自国と自国が支配する
文易をする「ブロック経済化」を推し進めた。しかし、当時のドイツは植民地を持っていなかったし、領土侵攻もしていない。ヒトラーは国内政策だけで素早く景気を回復させたのだ。高速道路「アウトバーン」の大掛かりな建設計画や、労働者保護の政策を採った。見る間に失業者は減少し、ドイツ経済は立ち直った。ヒトラーは、この不況対策の成功により、ドイツ国民に熱狂的に支持されるよになったのだ。
ヒトラーの政策によって、経済が急回復したドイツだったが、その後、狂ったように領土侵攻に乗り出す。1936年3月、ヒトラーはドイツ軍に、非武装地帯に指定されていたラインラントへの進駐を命じた。1938年3月にはオーストリアを併合、同年9月にはチェコスロバキアに対してズデーテン地方を割譲させ、翌年にはチェコを自国に編入してしまい、そしてポーランドに攻め込んだことで、第二次世界大戦となった。