8年ぶりに8年前に書いた原稿と向き合って思ったこと〜新装版をつくるということ〜
この1ヶ月間、ひたすら原稿と向き合い続ける時間を過ごしていた。
今回は、最近取り組んでいる書籍制作のうち、「原稿」とどう向き合ってきたかということについて書いてみようと思う。
8年ぶりの原稿執筆、きっかけはClubehouse
私の作家としてのデビューは比較的早く、22歳のときに初出版を果たした。そこから1年半で5作を書き上げた。現役大学生作家としてはおそらくビジネス書の分野では国内で最も多作な記録ではないかと思っている。他にいるのか確かめたこともないけど、少なくともこの量をやった現役大学生作家は知らない。(文芸ジャンルとかは除く。あくまでビジネス書の世界での話として)
そのあと、20代最後の2013年に徳間書店から出した「不純な動機ではじめよう」という書籍を上梓。
それ移行は、電子書籍は除いて久しく商業出版の世界から遠のいていた。
それがここにきて実に8年ぶりに、作家モードに戻ることになった。
きっかけはClubhouseだった。
1月末からセンセーショナルに旋風を巻き起こした新SNSの中で、ご多分に漏れず私もどっぷりと「沼」に浸かるように寝ても冷めても張り付いていた。
その中から書籍の企画が次々と決まっていった。
流れというのは不思議なもので、「ない」ときは本当にないし、「ある」ときは意味がわからないくらいの激流の中でスイスイと話が決まっていくものだ。
経緯は中略するが、結果としては1ヶ月間Clubhouseの中で「スーパークラブハウザーw」として活躍する中で、合計で3冊ほど書籍出版の話が決まった。
1冊でもありがたいことなのに、3冊というのはもはやミラクル。
再び筆を取るきっかけをくれたClubhouseには感謝してもしきれないものがある。
そんなこんなで、急遽作家モードに突入して膨大な言葉の波を泳ぐ日々へと突入することとなった。
最初の案件は既刊本の「新装版」
この投稿のタイトルである直近でやっていた本にまず着手した。
本というのは出版社との刊行スケジュールなど諸々のバランスの中で順番が決まっていく。この本が一番最初に出る事となった。
なぜかといえば、直近まで取り組んでいた本は、完全なる書き下ろしではなく「新装版」を作ることになっていたからだった。
新装版というのは文字通り「装い(よそおい)を新たにしたバージョン」という意味だ。
つまり、前提となる原著があって、それを新装してもう一度世に出すということ。
今回その新装版の対象となったのは、最近著である「不純な動機ではじめよう」。この本を元にして、現代版にリニューアルした新装版を作りたいとある出版社さんから依頼を頂いた。
社長自らが手にとって読んでくださり、「電話で一度お話させてほしい」と知人づてにコンタクトをくださった。電話口で本著の新装版をつくりたいという旨を告げられ、プロジェクトは開始した。
新装版、というものは実は私にとっても初の経験だ。
要するに、すでに世に出している既刊書を手直しをして現代版に作り直すということなのだが、おそらく新装版といっても色々程度があるだろう。
1.中身はそっくりそのまま、カバーデザインだけなおすパターン
2.上記に加えて、タイトルも変えるパターン
3.中身は加筆修正して、そのままカバーデザインだけなおすパターン
4.上記に加えて、タイトルも変えるパターン
今回のは最も修正度合いが高い4番目のパターンだ。
正直こちらの一存で「そのままだしてくれ」でもよかったのだが、せっかく現代版にして再び世に産み落とせるならば、そのときできる最高品質で臨みたい。
そう考えたので、本の中身も、タイトルも、カバーデザインも、帯文なども全てやりなおすことにした。
もちろん原形として既刊書が存在しているためそれが前提にはなる。
その原稿の細かいところを修正して出すわけだが、当初はもっと軽い作業を想像していた。
すでに既刊書の時点で、それなりの完成度になっているものという認識で世に一度は送り出したわけだから、手をいれるといっても局所になるだろうなと思っていたのだった。
しかし、実際の作業に着手をしてみると、思っていた以上にいじりたくなってくる。
かつて自身が、8年前に綴った言葉たちと丁寧に向き合う、粛々とした時間を過ごした。
静かで、尊い対峙の時間だった。
新装版を作るとき、原稿をどう磨き直すのか?
どういうことをやるのか?というのを備忘録を兼ねて残しておきたい
取り掛かっているときは全ての情報は鮮明でクリアなのだが、今回もそうだったんだけど、8年も経つとどういうことになってたんだっけ?というディテールの大半は忘れてしまう。
既刊本に手を入れるときそういった細かい情報を残しておけばよかったなと反省したので今回はあまりにマニアックすぎて誰得な感じではあるんだけど、記録しておこうかなと思う。
冒頭でも表明したとおり、今回は「原稿編」だ。
カバーのことや、帯コピー、細かい仕様編など書こうと思えば様々な角度から新装版ということについて語ることができるが、焦点がいくつもあると意味不明になってしまうと思うのでとりあえず今回は「原稿そのもの」のリファービッシュについてだけ書いておく。
内容は「不純な動機ではじめよう」がベースになっている。基本的な世界観はこの本が土台。
想像以上に徹底的にやった
ただし、新装版にするにあたり、大幅に原稿に手を入れた。細かい「てにをはが」などの助詞を徹底的に最適化したり、細かい表現をより「伝わる」と思う形に変更したり、事例を付け加えたり、或いは時代的にそぐわないなと判断した事例を変更したり、削除したり・・・といったベーシックな文章レベルの最適化は原稿全体に渡って磨き上げた。
文章レベルだけではなく、構成からも見直しを加えた。実は原著「不純な動機ではじめよう」は執筆当時の完成原稿で20数万字、捨てた原稿も合わせると40万字という気絶レベルの原稿ボリュームの作品。その原稿から構成を作って、実際に本になった分量は約8.8万字程度だった。最近のビジネス書の単行本というのはおおよそこのくらいの文字量で作ることが多い。(薄め、行間空き気味、行数少なめ、みたいな仕様で約5〜6万字、普通に書いて7〜8万字、かなりぎっちりで10万字というイメージで考えると分かりやすいと思う)
というわけで、実は「不純な動機ではじめよう」は、執筆した情報量から大幅に間引いていて、実際に本になったのはおよそ4分の1程度の分量。著者本人としては、書いたものは全部入れたいけど、本という媒体を考えると、そもそも手にとってもらえるか、読み切ってもらえるか、みたいなことも考えなければいけない。現実的に40万字の本なんてそうそう作れない。(ページ数にしたらかるくギチギチにつめたレイアウトでも700ページくらいになっちゃう。辞書かって話)
一度は「捨てた」原稿にザオラルをかけて完全復活させた
今回は新装版ということで、この「捨てた原稿」も改めて見直すことにした。原著では採用しなかったが、実際にはかなりいい原稿で使いたいなと当時思っていたものも多数ある。それらに「ザオラル」(復活の呪文)をかけて、再び蘇らせようと考えた。
そんなこんなで、当初はなかったはずの「消えていた原稿」たちが蘇った。そうなると、今度は全体の構成から見直さなければいけない。
この作業は、はっきり言ってカオスを極めた。
すでに「不純な動機ではじめよう」の時点で、バッチリと決め込んだ構成になっているわけで、それ意外の要素をはめようとすると、話の筋道がおかしくなる。本というのは、読み手にとってはあまり構成を意識させられることはないかもしれないが、作り手からすると、緻密に仕組んだ設計と、違和感を感じさせずつらつらと最後まで読み切れるような淀みのなさというのを徹底的に追求しているもの。作り手視点では「この構成」という確たる形として固めたものの中に途中侵入を許すというのは、完成しきった料理に対して新たな異国のスパイスを追加して、さらに次元昇華した新しい料理をその場で作ってみてくれと言われているようなものなのだ。
構築度が高いほど、入れることで違和感が出たり、流れがおかしくなったり、不自然な挿入になってしまう。
特に「不純な動機ではじめよう」は、お読みになった方なら感じていただいていることと思うが、独特の文体とロックなバイブス、爽快に読み飛ばせるのに深いメタ領域を含んだ不思議な本だ。
この独特な読書感というのは、実は意図的に設計したものであって、乱暴に書きなぐった「ロックぽさ」とは性質が異なるものだったりする。実は相当周到に狙ってあのような読書感を作っている。だから、ある種完成しているものに対して、そのフィーリングを失わせずに新たな要素を大幅に足さなければいけないというのは、存外に大掛かりな手術が必要だった。
新規に採用することにした原稿に対して、針の穴に糸を通すように、緻密に挿入位置を決めていく。ときには挿入位置が見つからず、元の文章に対して手を加えなければどこにも入らないということもあった。
そのようにして、新しく追加した原稿や、新たにゼロから書き下ろしたパートなどを加え、合計で14万字の原稿が出来上がった。
はっきり言ってナメていた
「軽く直して、ササッとしあげちゃおう」と当初は思っていたものの、いざ取り組んでみると全くもって軽い作業ではなかった。むしろ、新たに本を一冊書き上げるくらいの集中力を要した。
「ゼロから生み出す」のも大変だが「すでにあるもの」を前提にして「新たに命を吹き込む」のはまた別種の試行錯誤が必要だなというのが今回、新装版制作を通じて感じたことだ。
兎にも角にも、そのような形で、今回の本の中身に関してはおおよそ新規原稿追加分が4割。元原稿も大幅に手を加えているので、実質的に「半分」くらいは新しい内容へと進化した。
前提として原著である「不純な動機ではじめよう」そのものだし、実際に読んだ感覚も変わらずのドライブ感バリバリのあの本そのものなのだが、実質的に中身は大増強されている。
「どこが違うのか分からない」ように作るというのはすごく難しい。ある意味でいえばすでに原著を読んだ方にも「え・・・なんか違う本になっちゃった・・・」とならぬように。しかし、新装版を手にとって「やはりこの本はいい」と感じてもらえるように。
初めての読者には、「こんな本があったのか・・・」といい意味での驚きや興奮、エキサイティングな読書体験をしてもらえるように。
さいごに
このように著者として再び、8年越しにこの本と向き合い、心を込めて生命を吹き込むように、完全に現代版にリニューアル作業を施した。
それはあたかも、1950年代や60年代に作られた使い古されたヴィンテージギターを現代の技術で完全に再現し、「新品なのにあの往年の名作そのもの」のプロダクトを生み出すレリック職人、マスタービルダーのような緻密な調整作業だった。
このような作業に向き合わせてもらえる著者が世の中にどれくらいいるだろうか。
そもそも「新装版」を作るという案件自体が立ち上がる事自体が稀だ。
おそらく新刊が出て、そのうち1%も新装版がリリースされることはないだろう。
それだけではなく、中身も、外側も全面的に徹底的に見直しをしてだそうということになること自体がとんでもなくレアな機会だと思う。
そのような貴重な機会を、丁寧に向き合わせていただける機会をくださった青志社(出版社)、及び阿蘇品社長には感謝しかない。
また、気が向いたら今度は「原稿以外」の部分についても何某か書いてみようかなと思う。
こういうことの裏側というのはなかなか世の中に共有されない。
いち著者がどのような本づくりというものと対峙しているかという文脈を共有してみたいという試みで今回このnoteを書いてみたが、いかがだっただろうか。
何某かみなさんの参考になっていれば幸いです。