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【医学部地域枠を選択する価値はあるか】考察する


はじめに

 結論からいうと、選択する価値はあまり高く無いと思われます。

 医学部地域枠制度は、特定の地域、主に過疎地域で一定期間(10年弱)働くことを条件に、自治体や国が学費や生活費の支援を受けられる制度です。これは地域の医師不足を解消するために設けられた制度であり、表面的には社会貢献を促す善意の政策と見られがちですが、制度の実状に深く踏み込むと、地域枠を選んだ医学生や医師にとって大きな負の側面が露わになります。

 ここでは、地域枠におけるリスクとリターンを整理し、24〜34歳前後の若くて貴重な10年間をこの制度に投資することが、はたして合理的か否か考察してみたいと思います(地域枠制度の条件は都道府県ごとに異なるため、一般的な見解としてお読みいただければ幸いです)。

リスク

 大きなリスクは、医師になってすぐの10年間、同じ過疎地で過ごすことを余儀なくされる点です。これは、単なる田舎ではなく、コンビニすらろくにない、日常生活に不便を強いられるような限界集落での勤務を意味することもあります。下記で、田舎に住む一般的なリスクを詳細に指摘しました。

 ここでは、上記に加え、医師の視点でリスクを挙げていきたいと思います。

①診療科の選択肢が狭まる

 地方では人口が少ないため、専門性の高い診療科やマイナー科の選択が難しくなることがあります。症例数が少ないだけでなく、そもそもプログラムが対応していないことも多くみられます。専門医プログラムに入れたとしても、義務年限中は専攻の科だけに集中するのが難しくなるケースも散見します。

 近年では、QOLの高いマイナー科や美容外科の人気が急速に高まっていますが、地方においてはその選択肢が制限されているのが現実です(大学や地域によって異なります)。

②所得が減少する

 以前、徳島県の地域枠の男性医師が民間病院で診療のアルバイトをして、3年半で約3800万円の報酬を受けていたとして、懲戒免職処分となったニュースが話題になりました(厳密にはこの方は自治医大出身で一般的な地域枠とは異なりますが、非常に似た制度のため、本記事では同様に捉えています)。地域枠の医師は、公務員に準ずる扱いを受けるため、副業が原則禁止されています(県によっては例外もあります)。

 地方では基本給がやや高めに設定されていることが多いですが、バイトの収入を加味した総所得においては、必ずしも高いとは言えません。医師はバイトの方が給料の割が良く、さらに副業は社会保険料がかからないため、手取りがより多くなる傾向にあります。

 都会ではバイトの機会が豊富にありますが、地方ではそれが非常に限られ、加えて公務員である以上、副業は禁止されているため、相対的に給与が低くなることが多いのです。m3や民間医局などのポータルサイトでバイトを検索した場合、地方と東京で募集数に圧倒的な差があることが分かるでしょう。

 実際、地域枠の同期は研修医時代こそ自分よりも稼ぎは良かったですが、専攻医になってからは、バイトを含めた総所得では都内で働く自分の方がはるかに高くなっていました。

③成長機会が限定的になる

 都会では人材の流動性が高く、最新の知識や技術に触れる機会が多いのに対し、地方ではそのような機会が非常に限られています。

 さらに、学会や勉強会は基本的に都市部で開催されるため、地方から参加するためには時間的・経済的な負担が増大し、勉強の機会が減ることに繋がります。

 また、大学入学以降、先15年の進路が既に決まっているため、新たな目標を持ち、モティベーションを維持することが難しくなることもあります。

④魅力的な人が少ない

 一般的に若者は都会に集まる傾向にあります。都会の病院は症例数が豊富で最新の医療設備が整っているため、若手医師も都会の病院の就職を希望します。実際、初期研修病院のマッチングにおいて、志望人数が募集人数を超えるのはほとんどが都会の病院です。都会の病院は人材が豊富で、入れ替わりも激しいため、多くの出会いがあり、その分、優秀で魅力的な人と会う可能性が高まります。朱に交われば赤くなると言われるように、魅力的な人との交流は自身の視座を高め、多様な経験を得るきっかけとなります。

 対照的に、地方の病院は入職試験さえなく、願書を提出するだけで入職できる病院も少なくありません。田舎は職の流動性が低く、新しい出会いが生まれにくいため、人間関係の広がりが限局化される傾向があります。

最大のリスク

 以上4点にわたって、医師からみた地域枠のリスクを挙げましたが、何よりも深刻なのは、20代から30代の人生で一番楽しいはずの時期に、10年弱に渡ってこれらのリスクを受け入れざるを得ず、その状況から逃れることができないということです(後述しますが、地域枠の脱退には重いペナルティが課されます)。

 これは労働基準法における、強制労働の禁止(第5条)、3年(あるいは5年)を超える期間の契約締結の禁止(第14条)、および賠償予定の禁止(第16条)に抵触する可能性を孕んでおり、その点からも、こういったリスクがいかに深刻なものであるかをご理解いただけるかと思います。

 さらに、この制約が実質的に生涯に及ぶ可能性も否めません。現役で医学部を卒業し、最短で地域枠の義務年限を終えたとしても、年齢は33〜34歳です。学生期間の6年と義務年限の9年を同じ土地と人間関係の中で過ごしているうちに、気づけば30代中盤を迎えることになります。既に家庭を持ったり、重要なポストについている人も多いでしょうし、その時点で新たな環境に挑戦することには、心理的なハードルが大きくのしかかるでしょう。つまり、居住地や人間関係の固定化といった束縛は生涯にわたって影響を及ぼす恐れがあるのです。

リスクの具体例

 地域枠制度に一人間としてのライフイベントは、あまり考慮されていません。また、制度上の問題が発生しても、地方の医療現場は人手不足が深刻であり、その解決策が十分に講じられているとは言えません。ここでは、具体例として、知人の例を紹介したいと思います。

 地域枠の後輩は長年付き合った彼氏に、地域枠を理由に初期研修終了時に振られ(彼氏は一般枠)、現在、片道2時間をかけて、都心の結婚相談所に通っています。職場の男性医師は既婚者かチー牛、患者は年寄りばかりと、30歳までに結婚し、子供を産むのは不可能だと嘆いています。

 一方で、都心に住む友人のゆるふわ女医は、港区で出会った会社経営者と結婚し、可愛い子供たちにも恵まれ、週4の時短勤務で美容皮膚科で勤務しています。それにもかかわらず、彼女の給与は、地方でフルタイムで働く地域枠の後輩よりも高いのです。今はSNSで様々な情報が入ってきます。都心にいる同期が平日の昼間からママ友達と丸の内でアマン会を開く様をみて、寂れた診療所で朝を迎える彼女は一体何を思うのでしょうか。

 他の地域枠の友人は職場での人間関係に悩み、上司に相談を試みたものの、地方の医療機関は代わりの人材が不足しているため、職場を変える選択肢もなく、精神的に追い詰められて休職を余儀なくされています。復帰するも同じ状態になることが容易に想像できますし、地域枠の脱退は多額の奨学金返済が壁となり、先が見えない状態です。決められたレール以外の選択肢が無いため、仕事への意欲を失い、悲嘆にくれています。

 地域枠の先輩は、医学部入学当初の恋愛での失敗が卒業後も噂され、さらにその影響が10年間消えないと思うと、絶望感から「死にたくなる」と漏らしています。特に地方の医学部では、学内のコミュニティが非常に閉鎖的です。地方のハイスペックな人材は、ほとんどが医師に限られるため、過去の恋愛が知れ渡っている狭いコミュニティ内で婚活をすることになり、大きな精神的負担を感じているようです。婚活と地域枠の相性は非常に悪いと言わざるを得ません。

 彼らが口を揃えて言うのは、「地域枠なんて入らなければよかった」という一言に尽きます。

 日本国憲法第22条では、職業選択の自由や居住移転の自由といった経済的自由権が保障されていますが、地域枠制度の下では、これらの自由は十分に守られていないのです。

リターン

 リターンは貸与型の奨学金(月15万程度)がもらえることと別枠の推薦受験が利用できることです。それぞれについてもう少し深掘りしてみましょう。

①貸与型奨学金がもらえる

 一般的な奨学金の額は月15万円程度、在学中である6年間、毎月もらい続けることができ(年単位もあり)、卒後10年近く地域で働くことでその奨学金の返済が免除がされます。

 一方、地域枠を脱退すれば年10%(日本学生支援機構第二種奨学金は1.3%程度、日本政策金融公庫一般教育貸付は年利2.15%であり、地域枠の奨学金の金利はあまりに高すぎます)の超高金利が発生し、一括返済を求められることがあります(山梨県の場合はさらに1000万円弱の違約金が発生するなど、自治体により異なります)。月15万円ですと、6年間の総額は15万円×12ヶ月×6年=1080万円です。

 しかし、ここには少し落とし穴があります。地域枠に入ると1080万円をもらえると考えがちですが、一括でもらえるわけではないので、評価額としてはもっと少なくなります。

 例えば、今もらえる1万円の価値と6年後もらえる1万円の価値は違います。株式や債券などで運用すれば、元本より大きくなることは容易に想像できるでしょう。

 では、1080万円は本質的にはどのように評価できるでしょうか。金融の世界では企業価値を算出する方法として、DCF法(Discounted Cash Flow法)という評価方法があります。この方法は、企業が生み出す将来のキャッシュフローを現在価値に割り引くことで企業価値を算出する手法です。

 例えば、1年後のキャッシュフロー(CF)は1年間の利率を割り引き、2年後のCFは2年間の利率で割り引きます。このように、将来のキャッシュフローを段階的に現在の価値に変換し、それらを総和して評価を行うわけです。数式で表現すると、DCF法は次のようになります。

CFn:n年後のキャッシュフロー r:利率

 これを使って、1080万円のような将来的なキャッシュフローの価値を入試前の時点でどの程度の価値があるかを評価することができます。利率に奨学金の金利10%を当てはめると、6年間の地域枠のDCFは下記のようになります。

n:6 r:0.1

 上記を計算すると、地域枠のDCFは約780万です。これは6年間ストレートで卒業する前提での数値であり、もし留年すればこの価値はさらに低下します。したがって、地域枠で提供される奨学金の価値は最大でも約780万円に過ぎないことになります。1080万に比べると、30%程度、目減りしたことになります。

 それでも、受験生にとっては、この金額が大きく感じるかもしれません。しかし、医師として働く立場からすれば、これは半年程度で稼ぐことができる金額です。自費診療なら、数ヶ月で稼ぎ出すことも可能です。つまり、地域枠の奨学金が経済的に魅力的であるという認識は過大評価の可能性があり、実際には見かけ以上に限られた価値しか持たないと言えます。

②受験の選択肢が増える

 次は別枠の推薦受験について考えてみましょう。

 一般的に、国公立医学部の入試は一発勝負が基本であり、併願はできません。しかし、地域枠を利用すれば、一般受験に先立って地域枠の推薦受験が可能となり、リスクを分散できるようにみえるかもしれません。

 ただし、地域枠で合格した場合、その合格を辞退することができず、その後の一般枠の受験も認められません。また、地域枠受験には面接や小論文の対策が必要となるため、通常の受験勉強に加えて、追加の準備が必要となり、その負担は決して軽くありません。

 大学によっては、AO入試やセンター試験を利用した一般推薦入試が設けられており、これらは地域枠のような制約がありません。浪人も考慮すればさらに選択肢は広がります。保険的利用を求める場合は、AO入試や、一般推薦を選ぶ方が合理的であると言えるでしょう。

 また、一部の大学では、地域枠の入試難易度が一般枠や他の推薦枠に比べて極端に低く設定されていることがあります。学力的にどの医学部にも合格が難しいが、とにかく医師になりたいという受験生にとっては、地域枠は魅力的な選択肢に映るかもしれません。しかし、入学後は進級試験や国家試験などが待っているため、医師への道が確約されるわけではありません。また、そういった大学では一般枠の学生から地域枠の学生に対して軽蔑的な視線が向けられることがあり、案外長い6年間の学生生活を通じて、そのレッテルに耐えることが必要となる場合があります。

まとめ

 以上、上記に挙げたリスクとリターンをみると、一部の受験生を除いて、地域枠はハイリスク・ローリターンの投資になることが理解できるかと思います。

 しかし、まだ成人にも達していない高校生に、こうしたリスクを冷静に判断する能力を期待するのは、非常に難しいことでしょう。医学の「医」の字すら学んでいない彼らが、診療科の制限に伴うリスクを十分に理解することなど到底不可能です。さらに、人生で最大の試練といっても過言ではない受験という超一大イベントに背水の陣で挑む受験生には、受験の選択肢が増えるといったリターンはあまりに過大に映るでしょう。つまり、受験生には、地域枠をローリスク・ハイリターンの投資と誤認させてしまう可能性があり、そういった状況下で、今後変更を許さぬ決断を迫ることは、あまりに酷な話です。

 また、医師を地方に幽閉したいという都道府県側の思惑(つまるところ、高齢者票に下支えされた為政者の忖度)と、子供が親元を離れる寂しさや介護の心配から逃れたいという親のエゴが合致するため、一番身近な社会人である親に客観的なアドバイスが十分に期待できないことも、そのリスクを覆い隠す要因になり、結果として地域枠制度への安易な進路選択が助長される恐れがあります。

 そして、今後、地域枠制度はさらに悪化することが予想されています。厚生労働省は、2019年度から「元地域枠医師を雇った病院は、補助金減額の対象になる」、2021年度から「離脱した元地域枠医師は、(研修医の後の)専門医研修を終えても専門医資格が取得できなくなる」といった制度の改悪を進めてきました。今後、「元地域枠医師を雇った病院は、募集定員の減員、または臨床研修病院の指定取り消しになる」といったさらに厳しい条件の検討がなされています。

 制度変更後に入学した学生に対して、こうした規制を適用することは一定の理解が得られるかもしれません。しかし現状では、一方的に、変更前に入学した学生や医師に対しても同様の条件を課しており、これは法の不遡及の原則の理念に反するものであります。労働契約法第9条では、合意のない就業規則の不利益変更が禁止されています。こういった常軌を逸した恣意的な制度改悪がまかり通るようであれば、義務年限の極端な延長すらも事実上、可能となりかねません。

 今現在、一個人として取れる対策は「地域枠を選ばない、もしくは早急に地域枠を脱退する」しか選択肢は残されていないように思います。

さいごに

 このように、医学部地域枠制度は、多くの問題をはらみながらも十分な見直しがなされてないどころか、さらなる悪化を続けております。

 現状、地方に高齢者が集中し、医療需要の高い高齢者が多くの票を持つ以上、今後の地域枠制度の改善には毛頭期待できません。実際、2023年10月18日の最高裁判決で、一票の格差が3倍でも合憲とされた事実は、こうした地方と都市部、ひいては高齢者(票を持つ強者)と若年者(票を持たない弱者)の構造的な不均衡を象徴しています。地域枠制度は、まるで一種の「高齢者による若い医療人材の搾取システム、いうならば、社会的に容認された現代の奴隷制度」とも評価できる様相を呈しているように思います。

 地域枠を選んだ医学生は、医師免許取得後、可及的速やかに地域枠を脱退すること、また、地域枠を考えている受験生やそのご両親には、地域枠を選ばない、選ばせないことをお勧めします。




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Shota
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