タマシイの或る場所(居場所のつくりかた)
何を大事にしてチームを作っていますか?
と、面談などで訊かれることが増えてきて考えたこと。
ずっと考え続けていたことがあって、ようやく答えが出た気がするのでここに記しておきたいと思います。
それは、タマシイはどこにあるのかという話です。
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タマシイは、いったいどこにあるのでしょう。
あなたのタマシイは、いったいどこにあると思いますか?
もちろん「自分の中」というのが普通の答えでしょう。
眠れない夜にいろんなことを考えて、ああ、悩んではいるけれど悩んでる私は今ここにいると実感したり
あるいは、世界中に責められているような気がする夕方に街を歩きながら、それでも俺は生きているんだからと前を向いたり…
そんな経験の数々によって「自分のタマシイは自分の中にある」という実感は強くなっていったことでしょう(歳を経るごとに、顕著に)
でも実は、そうじゃないんです。
これは自分が人生を生きてきて得たひとつの真実であり、そしてこれからの世界を形作る確かな哲学だと信じています。
そんな話の導入として、最近読んだ本の話を。
カズオ・イシグロの「クララとお日さま」という作品の中に記されていた言葉に、ひどく心を打たれました。
物語の内容は、そう難しくありません。
ざっくり要約すると(ざっくりしすぎだって誰かに怒られそうですが)AIの女の子が、これから死ぬかもしれない女の子の代わりとして生きることができるかと問われ、最後にこういった答えを出すという話です。
AIにコピーできないものはないと、科学者は言った。
でも彼は、探す場所を間違った。
コピーできない特別な何かはある。
それは、対象の中ではなく、周りのみんなの心の中にあるのだ。
そう、これがタマシイの在り処なのです。
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あなたのタマシイは、あなたの心の中にはありません。
それはとても残念なことだけれど、どうしようもない真実なのです。
あなたの脳を通り過ぎる思考の数々は、ほとんどチラシの裏の落書きみたいなもので、反射的に浮かんだ思考にすぎません。
すべての思考の裏側にはどうしようもなく、他者の存在がちらついているはずです。
この自分を悩ませつづけていた感覚に、ひとつの答えを出したクリエイティブがあります。
それが数年前、電通さんと一緒に作った、消滅都市2のCMでした。
池松壮亮さんによって語られる「君の記憶のなかに、僕はちゃんといますか?」という問い、「僕はいつかいなくなる。でも、君の記憶のなかでなら、ずっと生きていける」という確信に満ちた言葉、そして消滅都市2の中で主人公たちが、自分が自分であることの根拠として「記憶」求めていく姿は、すべて「記憶は、生きつづける」という大きなメッセージに繋がっています。
このCMを一緒にプランニングしながら、同時並行で自分は物語を書いていました。それは「あなたの記憶の中で生きていけるなら」という想いで、自ら命を落とす女の子の話でした。
そのときに思ったのです。
タマシイは、他者の中に分散しているのかもしれない。
自分の中にだけあるものではないのかもしれない。
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たとえば、誰かと巡りあい、深く付き合ってから、それまで抱えていた悩みがとても小さく思えてしまうこと。
たとえば、ひとり考えているときに、思考の中に棲みついた誰かが、的確なアドバイスをくれること。
ふと頭をよぎる、誰かと歩いた小道のこと。
離れていても、大切な誰かを思ってしまうというその事実。
たったひとりと心が通わなかったことで、世界の終わりのような絶望に叩き落とされてしまうこと。
それらはきっと、あなたのタマシイが分散しているからこそ起きています。
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この「分散する性質のあるタマシイ」を、分散させすぎないこと、大切な人たちにだけ配り歩くこともまた重要です。
もしあなたが悩み苦しんでいるとしたら、それは不特定多数の中にタマシイが分散しているからかもしれません。
たとえば、あなたが自分の目の形を気に入ってなかったとしても、誰かに直接それを言われたかというと実のところそんなことはないはずです。
自分自身の気持ちで判断しているようでいて、その実、社会的な目線で判断している。
それは、会ったこともない不特定多数に、自分のタマシイを分散させて苦しんでいるとも言えます。
そんなことを考えながら、そんな人物の物語を書いたこともありました。
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では、どうしたらタマシイを分散させずに済むのでしょう。
その答えは簡単です。タマシイが自分の中だけにはないということを認めるだけでいいのです。
大切な人たちの中にもあるのだと、委ねるような気持ちで認めればいい。
マーケティングの世界では、ブランドはどこにあるのかという問いに対して「消費者の心の中にある」というひとつの答えが出されています。
それとまったく同じように、あなたというブランドは、あなたにとっての「消費者」の心の中にある。
あなたのタマシイは、あなたのまわりにいる、あなたが大切だと思う人たちの心の中にあるんです。
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この問いに、たとえば谷川俊太郎さんは、詩という形で答えを出しています。
…私はひとを呼ぶ
すると世界が振りむく
そして私がいなくなる
タマシイが自分の中だけにあるという実感が、ふと消え去る瞬間が確かにあることを、この詩は鮮やかに示しています。
抱えておくべきは、この実感です。
誰かに愛されることで、誰かとタマシイを分けあうことで、多くの悩みや苦しみが消えていく。
そして、タマシイを分けあう相手は、あなた自身の手で恣意的に選ぶことができる。
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大切な人たちを、ひとりずつ選ぶこと。
銀のナイフで丁寧に切り分けたあなたのタマシイを、そっとひとつずつ手渡していくような実感をもって。
たとえ世界中が口を歪めようとも、あなた自身の手で、責任で。
それが、あなたが幸せを感じる居場所のつくりかたであり、生きづらいこの世の中を生きていく上での、実用的なメソッドだと思っています。