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YMCKについて(宇宙のどこにいてもきっと届けられるよ)

YMCKというアーティストの紹介をしたい。

ジャンルはチップチューン、いわゆるファミコンみたいなピコピコ音が特徴的で、アーティストとしての姿も可愛らしいドット絵になっている。

パッと見てイロモノかなと思うのだけれど、彼らの作家性は非常に高い。
そしてこの「作家性の高さ」には、作品を作る人が向き合うべき本質的課題が隠れているような気がしている。


初期3部作

YMCKの歴史は以下の3部作からはじまっている。

FAMILY MUSIC

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FAMILY RACING

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FAMILY GENESIS

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この時点から既に、彼らはチップチューンであることに甘えていない。

遊び心に溢れたコード進行、踊るベースライン。
そしてウィットに富んだ歌詞の数々。
どれをとっても一級品で、紛れもない「音楽」だ。

ちいさな猫が順にご案内 鍵はなくさないようにね
焼きたてパンの船に乗って 空にこぎ出そう

YMCK / Magical 8bit Tour

そしてオールドゲーマーへのサービスも忘れないバランス感覚。

たとえば、3枚目の最後の曲の歌詞が、1枚目の最初へと繋がっていくという粋な演出まで施されている。

はじめて聞いたとき、その壮大なドラマに震えたことをよく覚えている(そして伝説へ)。

思い出の奥から来た新しい音の世界
その手を伸ばし今すぐつかもう 確かに
焼きたてパンの船が待っているよ ほら

YMCK / フィナーレ ~Welcome to the 8bit world~


内的な世界へ

その後、YMCKは爆発的に売れたわけではない。
たとえば以下のインタビューには、その心境が綴られていたりもする。

割と辛い4年間でした。思うように活動ができませんでしたし、自分たちが動かないと何もかもが止まってしまう、外的刺激もなくなるのだと肌で感じたんです。
音楽は売れない、だから作品をつくってもしょうがないって。でもこれは隠すことではないし、今更声に出して言うことでもないと思います。皆が知っている事実ですから。でも「これじゃいけない!」と考えて「つくれば何か動き出すのではないか」と。

こういった時期、クリエイターは内向的になっていくものだ。
悩み、苦しみ、痛み、いろいろな感情と向き合う。
そして、その内向的な姿勢によって、作家性に満ちた傑作が生み出される。

たとえば、こういう曲がある。

完全な世界 みんながいて
果てしない世界 自分を知る
放て希望の矢を 届かないとしても

YMCK / 果てしない世界

あるいは、こういう曲がある(本当に名曲だ)。

今は逆らいがたき運命の中
何を正義としていけばいいのか
どうにも分かりかねている

ただ意味もなければ終わりもない
この演目を演じることの意味を
見いだそうともがいてる この毎日

YMCK / 逆らいがたき運命の中

何度救われたかわからないほど、自分自身もこの曲たちに救われた。

創作に向き合う直接的なメッセージに胸を打たれ、
同じ苦しみを抱えている人が確かにいることを知り……

そして僕は、いつの間にかYMCKを聴かなくなっていった。


創作と成果 / 創作とノイズ

たとえばドラマの制作現場では、セリフや仕草に対する「これ最低」などの細かなツイートを「ノイズ」と呼ぶらしい。

何かを作って発信するときには、この「ノイズ」と向き合う覚悟や、この「ノイズ」を恐れない強さが必要になる。

あるいは創作には「成果」が常に紐付く。
それは現代、具体的な「数値」となって現れてくる。

こういったものを頭の片隅に置きつづけていると、創作は一定の色を帯びてくることになる。

もちろん悪いことではない。
それによって生み出される名作も数多くあることは間違いないし、
この「色」によってしか得られない「深い感動」は確実にある。

しかし、単純にこの「色」を帯びた作品を摂取しつづけるのは疲れる。

僕がYMCKを遠ざけてしまったのも、この理由からなんだと思う。


では、創作とはどうあるべきなのか

それについて気づきを与えてくれたのもまた、YMCKだった。
シャッフル再生で不意に流れてきた、2作目「FAMILY RACING」を聴いていたときのことだ。

このアルバムは、なにか特別な光に満ちている。

遠い星の彼方でも
届くようにビーム送るよ

目にも止まらない速さの
チアリーディングの竜巻がほら

YMCK / Go YMCK, Go!
遠い星の彼方でも
キミをすぐに見つけられるよ

世界の果てよりも広い
特別な双眼鏡で ほら

雲の切れ間から
宇宙のどこにいても
きっと届けられるよ

YMCK / Go YMCK, Go!

「届かないとしても」という仮定など存在しない。
「演目を演じることの意味」などない。

ただ音楽を奏でることの楽しみと、そして「確信」がある。

遠ければ「ビーム」を送ればいい!
そうすれば「チアリーディングの竜巻」が起きるから!

遠ければ「特別な双眼鏡」を使えばいい!
そうすれば「宇宙のどこにいてもきっと届けられる」から!


あの星の向こうから
ちょっとおしゃれな侵略者
正義とか常識まるごと
ひっくり返るから

この星の果てから
12時過ぎのシンデレラ
定義とか形式まるごと
ひっくり返るから
おたのしみ!

YMCK / パニックレーサー005

自信に満ちた言葉の数々!

確信に満ちたビジョンの数々!

僕はこれらの曲を聞きながら、気づけば涙を流していたのだった。
そこにきっと、僕の忘れていた純粋さを見つけたからだ。


創作とは、喜びである

「素敵」なものを作るって楽しい。
「素敵」なものが届くことを想像するとうれしい。

だったらその「素敵」とただ向き合えばいい。
その「素敵」を抽出して、届ければいい。

それこそがシンプルな基本で、見失ってはいけないものだ。
想像力の谷間に落ちることなく、
その「素敵」の価値を疑うことなく、
ただ、まっすぐに走っていけばいいのだ。

本当に「価値」があるのだろうか。
いま向き合っていることに「意味」はあるのだろうか。
そんな不安に苛まれることもあるけれど、

そんなときは、特別な双眼鏡でキミを見つければいい。

遠い星の彼方でも届くように、ビームを送ればいい。

そうすればきっと、目にも止まらないはやさの、チアリーディングの竜巻が起きるはずだから。

ほら。

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