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スマホがないことに気づいたのは

スマホがないことに気づいたのは、新幹線を降りた直後のことだった。

仙台駅のトイレで、慣れないスーツのポケットに手を突っ込んだとき「やってしまった」と思った。

大学時代の友人に招かれ、結婚式に向かうところだった。
情報はすべてスマホの中にある。冷や汗って本当に出るんだなと思った。


まずは駅の落とし物センターに向かった

乗っていた新幹線の到着時刻と席を伝えると、もし失くなっていなければ、盛岡駅でピックアップできるだろうとのことだった。

再度訪れることを伝え(なにせ連絡を取れる電話番号がない)なんとか式場を探してみることにした。

個人タクシーをつかまえて聞いてみると、近くには2つの式場があるとのことだった。それぞれを回ってもらったが、どちらも門が閉じている。

「個人タクシーは社長みたいなもんだから、まあ時間を自由に使っても大丈夫なんでね、付き合いますよ」

ありがたいことに30年以上の経験があるベテランドライバーのおじいさんがそう言ってくれて、少し安心した。
たぶんとても不安な顔をしていたのを見かねて、そう言ってくれたのだと思う。


さらに調べてもらうと、少し遠くに、もうひとつの式場があるようだった。
その名前に、見覚えがあった気がした。
4000円くらいかな、ということだったので、そのまま向かってもらうことにした。 

「家のローンも払い終わったし、車のローンもないし、まあ自由気ままにやればいいんです」

そう言いながら、式場を地図で探している間はメーターを止めてくれた。
そんなことしなくても大丈夫だからと伝えても、いいんだと言いつづけてくれた。

偶然乗ったタクシーが、このタクシーで本当に良かったと思った。


式場へ

運転手さんによると、日本列島を女性の身体に例えるならば、仙台は最も「くびれて」いるところにあって、日本海と太平洋の間を渡る風が空気を綺麗にしてくれるのだという。

「広い空と綺麗な空気があるから、ここに住んでる人は心が穏やかになるんです」

駅から離れ、山形の側に向かう。
田んぼの中に作られた道路は、アスファルトではなくコンクリート製とのことだった。


上陸が危ぶまれた大型の台風が、進路を逸らした直後のことだった。

広い青空、雲の白とのコントラスト。
まるで描かれたかのような風景。

そんな中、やがて丘の上にある式場のシルエットが見えてくる。
そのカラフルな塗装に見覚えがあった。
新幹線の中で式場を調べた、そのときに見た建物のように思われた。


運転手さんは、仕事のこと、息子のことなど、自分の話をしながらハンドルを切る。
息子がまだ自分の収入を頼りにしているなんてぼやきながら、それでも楽しそうな様子だった。

「世の中思い通りになんてならないもんですよ」

「思い通りにしようなんて思わない方がいいですよ」

「式場が見つかっただけでも、ひとつ思い通りになったってもんですよ」

本当にその通りだった。


結婚式

式場には車がたくさん止まっており、人がたくさんいることに安心した。
おそらくここで間違いないだろうとは思いつつも、しかし確信はなかった。

おそるおそる入り、おそるおそる受付をしていると「しょうた」と声をかけられた。
それは、かつての同級生だった。


私たちは早稲田大学の文学部、文芸専修という変わりものの集まりで、今回の新郎もその仲間だった。
おおよそ10人くらいの仲の良いグループで、かつては夜通し飲んだり、カラオケをしたり、旅行に行ったりしていた。

大学生といえば誰もが想像するような集まりだ。
もう20年ほど前のことになる。

声をかけてくれたのはそんなグループの中でもいつも中心にいた女の子で、小さくて、元気で、かつてから面倒見が良かった。何か面白い遊びを企画するのは、いつもその子だった。
ちょうど10年前にみんなで集まったそのときも、主催は彼女だった気がする。

「しょうた、こっちだよ」

そう言われてその背中についていくと、急に当時に戻ったような気がした。


かつての私はワガママで、気取っていて、待ち合わせ時間にはいつも遅れ、よくみんなとはぐれ、よく道に迷った。
そして道に迷うようにしてやがて大学に行かなくなり、ゲームを作る仕事をバイトではじめた(そしてまだゲームを作りつづけている)。

そんな私が、大学の集まりから離れてしまわないように、いつも声をかけてくれるのも彼女だった。

「しょうた、こっちだよ」

iPhoneがこの世に生まれたのは、仕事をはじめてからしばらくしてのことだったと思う。
そこからスマートフォンは一気に世界中に広がり、世界中を塗り替えていった。

私たちはリアルタイムで膨大な情報に接続されるのを常として生きている。
だからスマートフォンを失くすだけで、こんなにも不安になるのだ。

そんな不安な私を呼ぶ彼女の声に導かれ、スマートフォンが存在しなかった世界へと、まるでタイムスリップするようにして。
ヴァージンロードを歩く新郎の、キョロキョロした表情をみんなで笑いあいながら。

そんなふうにしてはじまった結婚式だった。


披露宴

交友関係のとにかく広い新郎だった。
だから披露宴に出席している人も、会ったような気もするし、会わなかったような気もする、そんな人たちばかりだった。


たとえば。

学校をさぼって、今回の新郎と2人で、写真美術館の展示を見に行ったことがある。
そこにあった原爆ドームの写真、楽しそうにポーズする影と原爆ドームを同じレイアウトに捉えた写真を見て、我々は急に広島に行くことを決めたのだった。

同じものを撮りにいこう。
その足でふたり、電車に乗った。

その突然の旅行の際、一泊させてもらった家があって、何人かがいて、みんなで新海誠の「ほしのこえ」のDVDを見た。
そんな人たちと久しぶりに再会したり。


あるいは。

急に新郎から電話がかかってきたことがあった。
島に行こう、と。

その急なツアーではじめて会った人と、私はやがて社会人になったあと、バンド活動をすることになる。
いくつもの思い出深い出来事があり、やがていつ知りあったか、そのきっかけなど忘れてしまっていた。

なんでいるの?
お互いに疑問だったが、いや、すっかり忘れていたがそもそものはじまりは今日の新郎であった。

などをはじめ、人の集まりそのものが、すべてを挙げるとキリがないほど強いエピソードの集まりで、しかしその記憶の答えあわせがただただ楽しかった。


新郎は学校の先生をしており、生徒によるいくつものサプライズが用意されていた。

「二度とない人生だから」

音楽科に通う子供たちが歌う合唱を聴きながら、その歌詞を噛みしめる。

「二度とない人生だから、つゆくさのつゆにも、めぐりあいの不思議を思い、足をとどめて見つめていこう」

響く音に、その表情に洗われる。
神を歌っているわけじゃないのに、なんだかそれは賛美歌のようで。


学生時代は、かけがえのない「二度とない人生」の一部だった。
私たちはみな、飲んで騒いで遊びながらも、何かに真摯であり、何かに本気であった。

その時代にすれ違った人たちと、また再びすれ違ったこの瞬間に、私はスマートフォンから切断され、情報の渦から切断され(しょうた、こっちだよ)、手を引かれるようにして過去へ、流れる懐かしい曲の数々(しょうたくんはさ)、響く合唱、窓からのぞく抜けるような青空、7杯目のビール、浮かぶような気持ちで、ここはどこなのだろうと思いつづけていた。

ここはどこなのだろうと、思いつづけていた。


地図のない街

式が終わって駅に行くと、スマホは盛岡駅で見つかったようだった。

安心した。そしてそれ以上に、友だちにこれ以上の心配をかけなくて良いことがうれしかった。この空気を壊したくなかったのだ。

本当は当日に帰る予定だったが、盛岡まで取りに行かなければならないし、この日は仙台に泊まることにした。
友だちとはぐれないよう同じホテルを取り(幸い部屋が空いていた)、二次会会場へと向かう。


明日もスーツというわけにはいかないだろうと、二次会の途中で服を買いに出た。

スマホがあればユニクロを探すなどしたのだが、いかんせん調べるという選択肢がない。あまり離れると二次会会場に戻れなくなってしまう。

そんな慣れない街で、服を買うというただそれだけのことが最高に楽しかった。


見知らぬ土地を歩くとき、私は普段スマートフォンの地図アプリを見て、そこが現実にあることを確認するという歩き方をする。
それを至極当たり前のことのように思っていたけれど、スマホを失くしてみて、その歩き方は本来的ではないということに気づく。

Google Mapの中を歩き、それが正しいのかを確認する……それはつまり、本体を地図の側に、現実を仮想の側に置いていることになる。

スマホは現実と仮想を逆転させている。
日常は知らず知らずのうちに仮想ゲームになっている。


意図せぬデジタルデトックスにより、野生の力がどんどん取り戻されてゆくのを感じる。
交差点が交差点になり、歩道橋が歩道橋になり、ペデストリアンデッキがペデストリアンデッキになる。

脳に能動的に地図を書き込みながら歩く。
そうか、見知らぬ街を歩くとは、こんなにも頭を使う行為だったのか。

古着屋に入り、店員さんにおすすめを出してもらい、普段は着ないような服を手に入れて、私は、なんだかとても無敵な気分だった。


化石を取り出すようにして

宴は四次会まで続いた。
最後は2000年代初頭を悪魔召喚するようなカラオケだった(ドゥルスタンタンスパンパン 僕ビートマシン)。


翌日は仲の良い3人で朝集合して、ご飯を食べたりカフェでお茶したりなどしながら、ただただ思い出話をした。

とはいえ学生だったのは20年前のこと。
一番最近会ったのも10年前のことで、ほとんどを覚えていない。

スキー旅行に行った、箱根に行った、伊豆にいった、とポツポツ学生時代の思い出話をしながら、そんなのあったっけ、俺(私)そこにいたっけ、とまるで記憶が定まらない。

学生の頃の話だけではない、10年前に会ったときのことだって、まるではっきりしない。
(船に乗った? 池袋で大部屋で泊まった? それっていったいどこのこと?)

が、しかし同時に私たちは、その場所にいた、その体験をしたと信じてしまえば、いくらでもエピソードを「捏造」することができた。
脳が自動的に記憶を「捏造」をはじめないように、お互いに注意しながら、慎重に思い出話をした。


人は人と思い出話をすることで記憶を強固にしてゆく。
だから20年間ほぼ出会っていない、ほぼ話をしていない私たちの記憶は、脆く儚い。

それが壊れないように、慎重に、自動的にはじまる捏造を避けながら、私たちは記憶を呼び戻す。
柔らかい砂地を前に、軽くて細かな砂の中から、化石を取り出すようにして。


記憶が如何に不確かであるかについて、こんな実験結果があると聞いたことがある。

  • 記憶は、定期的に取り出さないと消えてしまう。

  • しかし、取り出すたびに捏造が起きる。

  • 故に、完璧な記憶など存在しない。


いま我々は、変わらないデジタルデータに記憶を外部化することに慣れすぎている。そして、変わらないデジタルデータに圧倒的な信頼を置いている。

でも、デジタルデータをきっかけに何かを思い出す行為は、その回数を促進するが故に、捏造を促進するということになる。

重要なのは「データに感情は保存されない」という事実だ。そして、その感情こそが、記憶の中でいちばん大事なものなのではないか。


記憶は消える。
軽くて細かな砂の中で、化石はやがて静かに砂化する。

しかし、化石の形が消え去ってしまったとしても、砂は確実にそこに残る。

私たちが大事にすべきは、化石ではなく「砂」の方なのかもしれないと、思い出話に身を浸しながらぼんやりと感じる。


風化していく記憶はそうあるべきものとして。
それでも生きたことを誇り、生きたことで蓄積されていくものを信じ、柔らかな砂地に身体を委ねて、人は歩んでいくべきなのではないか。

(あなたに会うと胸が高鳴るのは、あの頃ザコ寝したときに小指と小指が触れていたことを、きっと身体が覚えているからなんだ)


そして、盛岡へ

盛岡駅の落とし物センターでスマホを手に入れた。

情報にいつでもアクセスできるという状況に置かれただけなのに、その安心感があるだけで、動物としての感覚が鈍化していくのがわかった。
何かが失われていく感覚と、その恐怖。


当日新幹線で戻れないことがわかり(お盆の最終日で新幹線の席が取れなかった)、宿を探して予約する。

いつも関東近郊でワーケーションしているドーミーインへ。
ネットに接続されていると、自然と安全な選択肢に吸い寄せられてしまう。
しかし、本当にそれでよいのだろうか。

「しょうた、こっちだよ」

まだ頭の中で響いている優しいその声。
その方角にはまだ、若かった頃の自分が待っているような気がして。

盛岡の街には何もない、その何もなさと、何者にもなれていない自分、そのなれなさが響きあい、ネットワークに繋がれて歩いてきた道、すでに歩いてしまった20年という道、それをもう一度歩けたらと考えることに意味などなく、なれなさが、ただそこにあるなれなさが執拗に私を責めるから、繋がらない方へ、少し疲れた足を一歩一歩踏みしめていきたくて。

「しょうた、こっちだよ」

見たことない図形を描くように、夜を特別なものにしたいのに、やがてくる朝を特別なものにしたいのに、でもそんなものはどこにもない、すべてが何かの真似事で、反吐が出るほど使い古されていて作為的で、たぶんこんなとこに来るつもりじゃなかった、水平線は遥か遠いはずだった、世の中思い通りになんてならないもんですよ、思い通りになんてならないもんですよ、空が広いから、どうしようもなく広いから、ぼんやりとすら定かではない幻の夢を見たくなる。


日常に抗うように地元のバーに入る。
まだ19時、店ははじまったばかりで、マスターと2人だけの時間がしばらくつづく。

入れ替わり立ち替わり、人が通り過ぎていくバーだった。
壁には若い頃のアラン・ドロンが大きく貼られ、映画が好きなお肉屋さんと誰のジョーカーが一番好きかの話をし、夜のお仕事をしている金髪の奥さんと旦那さんにNetflixの加入を勧め、年の離れた女性2人組に来週のイベントを勧められ(え、東京の人なんですか!?)、滋賀出身の男性と、先ほど起きたというアラレちゃんメガネの女性が最後に残り、なんとなく音楽の話になる。

小泉今日子のTシャツを着たマスター、スカフレイムスのレコードが飾られていて、もしね、もし10万円払ったら何でも見れるっていったら、どんなライブに行きます?
そのマスターの問いに、私は答えた。

すると彼は、その曲のアコースティックバージョンを流してくれたのだった。


You float like a feather in a beautiful world
君は羽毛のように浮かぶ この美しい世界で

I wish I was special
俺が特別だったならよかった

You’re so fuckin’ special
君はどうしようもなく特別なのに


どうしようもなく特別だったかつての私は、どうしようもなく特別であるという自覚を持ちながら、視界の先に開かれた未来が本当に未来だったから、きっと明るく輝いていた。
情報に繋がってしまったのなら、瞬時に矮小であることが証明されてしまう、でも繋がっていないから輝いていて、繋がっていないから輝いていられて、その輝きが特別だったという事実。

失ってしまったものを悔いても仕様がないさ、それを囁くお前は誰だ、酔っている、視界がふらつく、今は何時だろう、明日は何時だろう、でもスマートフォンを、どうしても取り出したくなくて。

どうしようもなく取り出したくなくて。


But I’m a creep
でも俺はクソ野郎だ

I’m a weirdo
不快な奴だ

What the hell am I doing here?
こんなとこで何してんだよ

I don’t belong here
俺の居場所じゃないのにさ


このまま狂ってしまえばいいのに、世界がバグってしまえばいいのに、いつか見たアレがもう一度見たい、アレに身を浸したい、柔らかくて軽くてほんのりと温かい砂地の中にただただ沈んでいきたい、首筋に触れる砂の感触を切望しながら、二度とない人生だから、二度とない人生だから、二度とない人生だから。


そんなことを思いながら私は、ふらつきながら、きっとドーミーインに戻るのだろう。

明日の朝、一番早く席が空いている新幹線で、いつもの東京へと戻るのだろう。

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