#2パクると真似るとリスペクト。(9月21日)
「どこからがパクリで、どこまでがリスペクトなのか」
ジャグラーの皆さんなら一度は悩んだり考えたりしたことがあるのではないのでしょうか。
世の中にはたくさんのジャグリング道具があります。そして、それぞれの道具ごとに、いわゆる「パイオニア」といわれる人物が存在すると同時に、その道具ごとに数万人のジャグラーがいる。では、そのパイオニアである1人以外のジャグラーは、皆その人の「パクリ」ということになるのだろうか。僕はそうは思はない。たとえ同じ道具でも、それを使う人によって違った世界や価値観がある。いわゆる「十人十色」というやつだ。しかし、大半のそれを見る人たちはその本質は観ずに、表面上の技や動きだけを見て評価する。これは、見られている人もいい気がしないし、比べられている「パイオニア」である人もいい気持ちにはならないだろう。目標とする存在が居る限り、誰しも必ず誰かの二番煎じになってしまう。少なからず、無意識のうちにその人のスタイルに近づいていってしまうからだ。
では、どうすればパクらずに自分のジャグリングをすることができるのだろうか。
答えは単純で、「自分がパイオニアになればいい」ただそれだけのことだ。自分が最初に始めてしまえば、たとえ自分より上手い人が現れても、パクリにはならない。
しかし、僕が思うにジャグラーの人たちは「パクっている」という認識ではなく、「真似ている」という認識でいると考えている。実際、この2つの言葉はほとんど同じ意味なのだが、前者より後者の方が、より言葉に「リスペクト」が感じられないだろうか。ジャグリングという一見広そうに見えて人口的には過密状態のこの分野において、「真似る」というのは非常に優秀な言い回しである。例えば「ものまね芸人」と聞いても、ほとんどの人は何も思わないと思うが、「パクリ芸人」と聞くと、なんだかよくない印象を持つと思う。つまり、世のほとんどのジャグラーはものまね芸人のようなものだと僕は考える。これは決して悪いことではない。実際、最初は真似をしていたけど、徐々に自分のオリジナルを確立していく人は多い。むしろ、ほとんどのジャグラーがそうだと思う。ものまね芸人だってずっとテレビで活躍していたら、いつの間にか「ものまね」芸人という肩書ではなく、「芸人」という肩書になっているだろう。ただ、ジャグリングにはその境界線が分かりにくいだけで、ほぼ同じことなのだ。この境界線が分かりにくいからこそ、「パクリ問題」で悩むジャグラーが多いのではないだろうか。
僕なりにこの問題に結論を付けるなら、【全てのジャグラーは、最初は皆、「ものまね」から始まっており、本当のパイオニアなんて数十人しか存在しない。】ということになる。ここで大事なのは、あくまで「パクリ」ではなく「ものまね」だということだ。誰かを「パクる」のはよくない。それは、そのパクっている人にももちろん失礼だし、使っている道具にも失礼だ。しかし、「ものまね」となると話が変わってくる。「ものまね」をしているということは、その人に対して大きな憧れと尊敬の気持ちを持っており、「リスペクト」している証拠でもある。
「パクる」=「パクる」だが、「真似る」=「リスペクト」なのだ。
ただ、気を付けなければいけないのは、自分が真似ていると思っていても、人によってはパクっていると捉えられてしまう可能性があるということだ。そのため真似るときには、完全に同じことをするのではなく、自分の「らしさ」も取り入れつつ、本当にいいと思うところだけを抜き出して自分のスタイルにする必要がある。正直、ここがまた難しい。
~あとがき~
ジャグリングをしている以上、「多少真似られてもいい」という広い心をもって自分のスタイルを確立することが、後世のためにもなるし、自分の印象や評価にも関わってくるんじゃないかと思う。
まあ、嫌な人は嫌だろうし真似る前に直接その人に確認するのが無難なんじゃないかな。
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