自己紹介?何となく自分を振り返る雑まとめ
小学校時代
面倒くさがりのガキ。家で勉強するのが嫌なので、下校中に公園や駅などで宿題を終わらす。勉強とかちゃんとやり始めたの小学3年生くらいからじゃない?
小4から家庭内の雰囲気が怪しくなる。両親の喧嘩も増え、病み病みの実の能力者へ。両親はリーマンショックの影響もあって仕事が見つからず、1年程後に生活保護を受ける。ストレスで小6の記憶はあやふや。
中学校時代
1年
病んだまま地元の公立に入学。勉強は問題なかったけど部活強制なのが良くなかった。運動部に入ったがまったく力を入れられず。そもそもまともに学校生活を送れるだけのエネルギーが残ってなかった。
冬休み明けの2月くらいから不登校。病みに加えて頭痛もあり(群発頭痛というやつ)病院通い。悩みについて病院の先生に相談したがまともに話を聞いてもらえず、よくある不登校だと適当に流される。言っても無駄だと感じたのでもちろん行かなくなる。
学校や病院へ行かないことを父と衛生委員に詰められる。誰一人として向き合ってもらえず頼りにできないことを知る。この年の3月に東日本大震災。(震災前に頭痛は消失)
2年
学校は4月下旬から再開。「周りはもっと大変なんだからお前も学校に来いよ」と担任に言われたが、信頼関係がなかったため、担任の言葉は響かなかった。もちろん学校は全休。8月?くらいから心療内科に通い始める。
「自分が大変な時は大して向き合わなかったのに、周りと自分が大変になったらそう言うのか…」という感じがあり、諦めというか、周りの大人に頼るのを辞めた。
3年
担任もうるさいので学校へ行くことに(薬は飲んでいた)。初日からそこそこ頑張ったが、1学期目の試験前にマイコプラズマ肺炎。そこからは学校へ行かなかった。
体力も限界を迎え精神病も悪化の一途。冬休み明けにはおたふく風邪もあり、本当に踏んだり蹴ったり。心療内科で薬を増やしてもらったが安定しないので、先生とは「入院のほうが良いかもね」という話に。卒業式は無理やり(周囲がうるさいので)出て無事?卒業。
(信頼できない大人に付きまとわれるのは超ストレスだったと卒業後に理解)
高校浪人?時代
心療内科で紹介してもらった病院で検査を受けるも、通い続ける体力がなかったため家で療養。貰っていた薬も辞める。父から「生活保護費が減るから学校に行くか働くかしてくれ」と言われて高校を目指す。(ここももちろん諦め)
頭が回っていないことは自覚していたので、小学1年生の教科書を引っ張り出してきて一桁の足し算や漢字の勉強から始める。別に抵抗はなかった。音読もした。
学校は地元の定時制高校夜間部を選択。脳が情報を上手く処理できないため、日中だと情報量に圧倒され疲れてしょうがない。夜の方がマシというだけ。
体調に気を付けてはいたが受験はやはりストレス。当日は周りが人形に見えてヤバかった。面接のときの挙動もおかしかったはずなのによくぞ通してくれたという感じ。
無事合格して通うことに。
高校時代
1年
慣れない学校生活+病気で疲労MAX。夏休み前に休みが増える。夏休み明けから学校でカウンセリングを受けつつなんとか1年、単位を落とさずにやり過ごす。
2年
夜間に加えて日中の授業を一つだけ取る。1年頑張れたとはいえ、衰えた脳に日中の情報量はキツイ。休みを取りつつ秋あたりにリハビリ(鍛錬)のコツをつかむ。
このタイミングで初めてAIについて考える。カウンセリングを受けてみて、自分の状態を把握してすべて伝えるのは難しいと感じた。なら「ドラえもんのようなロボット(AI)が常に傍にいて、自分の状態を把握してくれていたらどうか?」と。
3年
リハビリ(鍛錬)のおかげで初めて1年休まずに通う。調子も良く図書館に入り浸る日々。結局100冊ほど借りて読んだ。でも実は立ち読みの方が多かった。
4年
地元と県の公務員試験を受けたが、面接で「何か違うな」と感じたため、そのまま落ちることを選ぶ。いろいろ見学してみて、機械より人と向き合う方が好きだと感じたので介護を選択。私が介護を選ぶことを想定していなかったのか、学校での求人紹介は最後の最後だった。成績は一応よかったので…
社会人時代
卒業してすぐに特別養護老人ホームへ入職。実家から徒歩で通える範囲に新しくできた施設で運が良かった。介護自体は向いていたが家庭の事情もあり1年半ほどで辞める。研修で受けたコミュニケーションの講座に影響を受けてコーチングを学び始める。
起業にも興味を持ち経営者アカデミーで学ぶ。その際、AI(シンギュラリティ)や未来予測についても学ぶことになった。
現在&まとめ
「住所不定無職」
というのは冗談で、Microsoft Azureについて学んでいる最中。Difyにも触れた。恥ずかしながら無職なのは本当。仕事探さないとね。
DifyではLINEとMakeを使ってLINEボットを作った。私の理想とするAIパーソナルアシスタントにはちょっと物足りないと感じたため、今は「Microsoft Azure」を学んでいる。
AIパーソナルアシスタントの理想は、ロックマンエグゼのネットナビ。
今までAIに軽く触れてきてはいたとはいえ、このタイミングで本格的に取り組み始めたのはOpen AIの影響が大きく、恐らくもう少しで実現できるだろうと踏んだから。
2025年はAIエージェントの時代らしい。AIが社会に対して本格的に浸透してくるのはこれからということだ。
楽しみと言えば楽しみだが、ここで一つ疑問が残る。
「AIがあらゆる仕事を代替するようになったら、人は何をして生きるだろうか?」
私のAIパーソナルアシスタントは、これからの社会が直面するであろう上記の課題に対する「私なりのアンサー」でもあるのだ。