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話題の誹謗中傷について
今Twitterなど、多くのSNSで話題の誹謗中傷。渦中の方も存じ上げていないし、話題の番組はもともと興味がないので見ていない。なんとなく気持ち悪かったのでNoteに残しておこうかと。
気持ち悪いのは以下2点。
1.誹謗中傷を行うことに対して、誹謗中傷する人が多いこと
2.タグ付けされた投稿を流行にのって発信する人、それに流される人が多いこと
1.誹謗中傷を行うことに対して、誹謗中傷する人が多いこと
これは乙武洋匡氏が書いて頂いていることに全面的に賛成。負の連鎖って難しい面があるが、少なくとも「誹謗中傷されていた方のことをよく知らない」「今感じている怒りを何日も持続できない」人は、きっともともと誹謗中傷していた人たちと同じ感覚だと思った方が良い。そんな軽い気持ちと、あまり社会の役に立たない正義感であることに気づいて欲しい。
誹謗中傷されるということは、強いか弱いかはさておき誰かが嫌な思いをしたり、不快に感じたことは事実。それを吐き出した素直すぎる馬鹿な気持ちを今きっとその方たちも同じように馬鹿なことをしているのだと。
さてここまで書くときっと、「お前が書いていることはその誹謗中傷を誹謗中傷しているやつらを、誹謗中傷する行為だ!」と言われるかもしれません。はい、その通りだと思います。それが負の連鎖なんでしょうね。ただ私は誰か個人を叩いてはいないので、こういう考え方をする人は嫌い、という無形なものへの怒りを、論理的かつ感情論を排除して述べてみたつもりです。まあ似たようなものかもしれませんが。
2.タグ付けされた投稿を流行にのって発信する人、それに流される人が多いこと
流行ってます。
「#SNS上の誹謗中傷が法に基づいて裁かれる社会を望みます」ですって。
先日の「#検察庁法改正案に抗議します」のノリでしょうね。主義主張をタグ付けしてツイートするのがお洒落なんでしょう。正直、こういう感覚全く理解できないんだよなぁ、と。
芸能人をはじめとする、著名人は良いもの、悪いもの含めて流行にのっかって話題を提供したり、自らが話題になることが商売です。なので、こういうタグをつけてバズらせたり、炎上させたりして、知名度を上げるのがお仕事でしょう。
ただ、そこに政治主張や主義主張が絡むと害悪でしかない、と思うのですよね。
我々は民主主義の社会にあって、国民の代表を選挙で選んでいます。もちろん主権の代行を与えた政府が過ちを犯すことはあるので、反対したり、自分たちの主張を届けるためにデモをしたりすることは悪いことはではないでしょう。
でも、話題になるためだけにタグ付けをしたり、人がやってるからって同じように流されて自分も同じような主張を、隣の人の顔色伺いながらやるのって健全ですか?私には戦前の全体主義に近いものを感じて、恐ろしさしか感じません。
マスメディアという簡単に世論をコントロール出来てしまうクソメディアから、個人で情報を発信できるSNSは非常に素晴らしいものなのですが、やはり「大衆は愚かである」という前提に立つと将来に不安を感じてしまいます。ポピュリズムってそこが怖い。
じゃあどういう形が正解なのか、そんなことがわかれば私はとっくにフォロワーが数十万人いて影響力を発揮してると思いますが、少なくとも今の形は気持ち悪い。マスメディアに振り回されている時代よりももしかしたら気持ち悪いかも(かといってそこに戻りたい訳でもない)
話が少し飛びましたが、誰かが誹謗中傷することに反対するのは自由だし、政治主張とするのはもちろん自由だけれども、Twiiterのタグが先に歩く社会はどこか不健全だなと、漠然に思いました、というお話。
何か誹謗中傷あればコメントください。
テラスハウス見て、そこで行われていることが本気だと思うことも怖い。感受性を高く持ちたい。