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TRPに行ってきたよ

先日4月22日〜24日の3日間に渡って代々木公園で行われていた東京レインボープライド(以降TRP)にエリックゼミ生四人とエリックさん知美さんと共に参加しました。とても吸収が多かったのでその一部を共有させていただきます。


TRPって何

レインボープライドはそもそも海外のプライドというムーブメントからきています。ただこのプライドはには"誇り”などの意味のほかにセクシャルマイノリティーのパレードという意味で世界中で知れ渡っています。このパレードは欧米では6月のプライドマンスに行なわれています。

ではなぜ6月がプライドマンスとなっているのでしょうか?
そこにはストーンウォール事件という事件が関わっています。1960年代セクシャルマイノリティの人々は一般のバーで飲食することさえできなかったため、その人々専用のバーで飲食をしていました。そんな時代に周りに認めてもらえるはずもなく、警察の執拗な捜査という名の暴行が頻繁に行われていました。
1969年6月28日その日はバーでジュディーガーランド(オズの魔法使いのドロシー役で大ブレイクした女優でレズビアンを公表)の葬儀が行われていました。それまで警察の捜査に抵抗せず我慢していたLGBTQの人々はこの時初めて警察に対して反抗しました。
翌年1970年からこのことを忘れないために彼女の代表曲オーバーザレインボーからレインボープライドという名前をとり毎年6月プライドという恒例行事が生まれました。

そもそも何のためにやっているの?

「特定非営利活動法人 東京レインボープライド」は、「らしく、たのしく、ほこらしく」をモットーに、性的指向および性自認にかかわらず、すべての人が、より自分らしく誇りをもって、前向きに楽しく生きていくことができるHappy!な社会の実現をめざしています。


どんなものがあるの?

TRPではさまざま企業のスポンサーのブースや学生団体、NPO法人がブースを展開していました。その中で面白かったもの、興味深かったものを紹介していきたいと思います。

まず初めに電通のブースで大きな学びがあったので紹介させてください。電通ではLGBTQの人々が言われて苦痛なものがトイレットペーパーに書かれてあり、それを捨ててしまおうという展示をしていました。その中の一つが自分の中でとても印象的でした。
私の周りにLGBTQの人なんていないという人がいます。私自身もこれまでそう思っていたし、周りにもそう言っていました。ただ電通の出していたブースでハッとさせられる展示がありました。私を含め多くの人が度々口にしている”私の周りに当事者はいない”この一言によって苦しめられている人がいることを学びました。
友人に聞いたこれと似た話で学生の中で絶えず話されている”彼女、彼氏いるの?”といったような他愛もない会話であっても性的指向が異なる人からするととても苦痛であるという話を思い出しました。彼氏、彼女と限定されることで周りに自分の気持ちが言いづらい雰囲気を作り出していることを感じさせられました。
他にもジュエリーを販売しているSORAではリングを自分色に染められるという体験をしてきました。原理はよくわからないのですが、自分好みの色のリングが作れるのでとても楽しかった!

今回行ってみて思ったこと

何と言ってもTRPは最高に楽しかった。この一言に尽きると思いました。私は自分の知らない世界を知ることが好きでそういう世界に足を踏み入れてみたいと思い今回のイベントに参加しました。そのため正直いくまではよくわからないけど面白そうだし勉強のために行こうという気持ちで参加しました。しかしSORAのリングや会場の雰囲気は行く前に思っていたより数段満足のできるイベントでした。体験してみないとわからないこともいっぱいある!

今回のイベントに参加して思ったことが大きく分けて二つありました。一つ目は、他人を理解しきることは絶対にできない。もう一つは他人からの眼はとても辛いという二つです。

1.他人を理解しきることは絶対にできない

ゼミの中かでエリックさんがおっしゃっていたものによくLGBTQの話になるとどうやったら当事者の気持ちをわかってあげられるのかと言う人がいるけどこれは間違っている。一人一人違う人間であるのにそれをゲイだからどうだとカテゴライズすることはできない。というお話がありました。今回TRPに行ってみてまさにそのとおりで、同じ人はどこにもいなくて、一人一人が自分のアイデンティティを表していました。そこで私が思ったことはその人が何人で何歳でどういう性的指向を持っているかなんてどうでもよくて、その人がどういう考え方を持っているどういう人間かの方が何倍も重要なんだと感じました。


2.他人からの眼はとても辛い

TRPで楽しみもう一人のゼミ生と帰路についている時視線を常に感じていました。というのもその時私ともう一人の男子学生は虹色のマスクをつけ、虹色の旗を片手に持っていました。さらに雨だったこともあり私たちは一つの傘に二人で入っていました。私はも一人の彼に対してふとこうやって二人で見られているならまだしも一人になった時この視線が続くのは非常にきついことだよねと伝えました。彼もそのことに非常に同意してくれました。私が一日虹色のマスクをしていてみられていた
その眼にどのような意志があるのかそこは重要ではありません。どんな眼でみられているかみられている側にはわかりません。このことが一人でも多くの人にわかってもらえたらと思います。

3.最後に

わからないじゃなくて自分から一歩あゆみよってみてください!


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