写研書体だわ マジで写研だ ~愛のあるユニークで豊かなOpenType書体~
2024年10月15日午前8時頃、モリサワによって写研書体がリリースされ、Morisawa Fontsにて使用可能となりました。
これは歴史の一大転換点であり、個人的にはデザイン・印刷史上、
モリサワがAdobeにPostScriptフォントを提供(1989)
MacOSXにヒラギノ書体を標準搭載――“ヒラギノショック”(2001)
フォントワークスがフォントの定額サブスク「LETS」を開始(2002)
に匹敵、もしくは超えるターニングポイントであると考えています。デザインやフォントに詳しい方でないと、なかなか伝わらないと思いますが。
ちなみに写研というのは元々、こういうものです。まずはご覧ください。
これは現在のデザイン・印刷業界で主流のデジタルなDTPワークフローが登場する前の、手動写植機やフィルムを使用していた時代の雑誌制作風景です。
これがデジタルに移行していく過程で現在主流になっているDTPとは異なる独自の発展を遂げオープン化しなかったため、デファクトスタンダードの座を明け渡してしまいまして。
特に今世紀に入ってからは、書体ごと世の中で見かけなくなってしまいました。
なお写研という会社と写研書体については話すと長くなるので、モリサワさんのnoteをご覧ください。
この記事では、ずっと写研書体を実際に使って真似してみたかった「身近な写研書体の作例」および私個人の写研との思い出に絞ってお伝えします。
「新書体」試し打ち
さっそく、試し打ちをしてみました。とはいえ前日までに大量に用意しておいたテンプレートに、写研書体を一斉に流し込むだけです。
ミンカール
アラフォーにとって「ミンカール」といえば、やっぱりこれですよ。
セーラームーン。
世代によっては、こちらを思い出す方も多いと思います。
初代プリキュア。
ゴーシャE
これも初期のプリキュアではよく使われていました。
これね、実はあのフォントと一緒なんですよ。
ほら、「い」の形を比べてみてくださいよ。同じでしょ?
織田特太楷書
これも初期のプリキュアで使われていました。
こちらも、実は「あの作品」が多用するフォントと同じなんです。
ね。「ま」と「る」を比べてみてください。同じでしょ?
つまり『Yes! プリキュア5』という作品は、フォントの観点からいえば実質『ジョジョ』に始まり『バキ』に終わるものなのだと言えるのですよ。
石井太ゴシック
あまりにもありふれていた書体なので、30代以上の方は確実に見覚えがあるはずです。
昭和のアニメではよく使われていたんですけど、『ハートキャッチプリキュア!』が放送された2010年時点では既に絶滅危惧種になっていました。なお同年半ばには「週刊少年ジャンプ」のネームからも写研書体が姿を消しています。
イナクズレ
ジャパニーズホラー書体といえば、イナクズレか淡古印。そのうちイナクズレの方もリリースされています。
とても特徴的なフォントで、記憶にある方も多いのではないでしょうか。
サイコーなポイント
とにかく、ようやく出してくれた。その一点につきます。
改刻フォント以外にも「写研クラシックス」という形で現状ある書体をそのまま出してくれたのは英断だったと思います。
特に、写研フォントを使用するにあたって何か新規の契約をする必要はなく、業界に広く普及しているMorisawa Fontsの枠組みの中で配信されたことは大きな意味を持っていると考えます。
写研書体の復権に関しては従来から様々な意見がありましたが、いずれにしても「今更買い揃えるのは厳しい」という点では一致していたのです。その点、このリリース形態であれば最前線の現場にすんなりと浸透しそうです。
これから雑誌や広告、テレビ、あるいはYouTubeやゲームなどで写研書体を目にするのがとても楽しみです。
ちょっとだけシュンとしたポイント
ラインナップ
ミンカールとかゴーシャEとか、確かに使えるようになってメッチャ嬉しいんですよ。めっちゃ。
その一方で、全体を見ると書体のセレクションがあまり私好みではないなという気がします。というか客観的に見ても、スター級のフォントやウェイトがちらほら抜け落ちているのです。
本蘭明朝や大蘭明朝、ファニーやファン蘭、淡古印、イナブラシュ、ルリール、イクール、エツールといった「写研といえば」なフォントは今回対象にはなっていません。
また、スター中のスターであるナールとゴナも、ちょっと残念なラインナップです。今回、ナールは「EL」(オリジナルナール)とE、ゴナはEが収録されています。
でも、ナールといえばM、D(今も案内標識で使われてます)、DB、ゴナといえばL、M、D、DB、BあるいはUあたりが一番アツいんですよ。今回、その一番おいしいところを何故か外してきています。架空の案内標識や駅名標を作ろうとする悪巧みを見抜かれましたか?
石井丸ゴシックも、テロップや書籍で大人気だった(俺調べ)太丸じゃなく、中丸の方です。やっぱり石井丸ゴといえば、BRなんですよ(俺調べ)。「と」の1画目が突き抜けなきゃダメなんですよ(俺調べ)。
とはいえ裏を返せば、今回のラインナップが物足りないということはこの先何が出てきても狂喜乱舞できるというわけでもあり。楽しみしかありません。
字詰め情報
改刻フォントはペアカーニング情報も搭載していますが、クラシックス書体の大半はプロポーショナルメトリクス情報すら持っていない状態で、「メトリクス」を指定しても「和文等幅」と変わりません。
実用上は「オプティカル」指定で問題なさそうですが、細かい調整は都度必要そうです。まあ、写研書体のためなら頑張れる!
なお手動写植機の時代は当然そのような自動カーニングもなく、従属欧文サブプレートや詰め組み用サブプレートに指定された歯数を写植機に字送りを都度入力しながらシャッターを切っていました。
文字盤には印画紙に映らない赤色で枠線や指示が書かれており、そこに字送りの歯数(1H=1/4mm)も書かれていたのです。
下記のサブプレートをご覧いただくと、下にいくほど横幅あるいは縦幅が大きくなっているのがわかると思います。
異体字
クラシックスはともかくとして、改刻フォントもStdN(Adobe-Japan1-3・JIS2004対応)であるため異体字の収録ではやや不満が残ります。
とりわけ……
“はちやね”をもつ「八」「公」「分」、“筆押さえ”をもつ「父」の扱いが、まちまちなのです。「八」は一律“はちやね”を残した字形が採用されていますが、一方で「公」「分」については改刻が“はちやね”なし、クラシックスが“はちやね”ありと対応が食い違っています。
一方、「葛」「辻」などJIS83字形についてはクラシックスともども収録されているようです。
石井と本蘭、そして欲を言えばナールとゴナだけでも、何とかがんばってPr6N化を目指していただきたいところ……。
なお手動写植機時代は文字コードという概念もなく、これらの異体字はサブプレートを制作することでカバーしていました。以下はその一例です。
学参用フォントでは“はちやね”、“筆押さえ”が削られているのがわかると思います。
とはいえ
色々と不平不満を書いてしまいましたが、しかし、書いていて何て贅沢な話だろうと思いました。
だって、昨日までは使おうと思っても叶わなかったフォントが、今はこうして手元にあるんですよ。それに対して早くも、不満が色々と出てくる。
自分が幼い日から夢見ていた未来にようやく辿り着いたんだなと実感し、今はこの不満さえも愛おしい気持ちです。
私と写研の想い出
せっかくなので、私がここまで写研に取り憑かれるようになった経緯を振り返ってみたいと思います。
幼き日の屈辱
私がNECのPC-9821機でWindowsを使い始めたのが、1994年。当時のバージョンは3.1で、すでにTrueTypeフォントが標準搭載され、WYSIWYGが一つのセールスポイントでした。キヤノンのカラープリンタBJC-600Jを使って、年賀状を印刷したりもしました。
年賀状ソフトやその他のアプリケーションを通じて、特にフォントを買い集めなくてもPCには多彩なフォントが揃っていきました。
そんな中、小学校のクラブ活動で書いていた漫画に写植を貼ることになり、PCで作ろうと試みます。しかし……
ないのです。目当てのフォントが。これだけたくさん(いうて10~20書体程度でしたが)フォントがあるのに、漫画雑誌で使われているフォントは一向に見当たらない。
漫画の描き方の技法書には「ゴナ」とか「ナール」とかフォント名っぽいものが紹介されているのに、全くどこを探してもそんなフォントは見当たりません。
何で? 自分も使いたいんだけど。手元にある似ても似つかないもので妥協するのはメッチャ悔しい……。
その屈辱の原体験が、その後の人生において私を写研への異様な執着に駆り立てることになりました。
絶望、そしてDTPへの目覚め
中学3年生の頃には『新世紀エヴァンゲリオン』旧劇場版の公開から空前の『エヴァ』ブームとなり、猫も杓子も影響されて極太明朝体を濫用する時代に突入しました。むろん、私もその一人です。
しかし真似するのは良いものの、やればやるほど“本家”との差異が気になってしまいます。GAINAX(当時の『エヴァ』制作元)が使っているフォントは、そしてキングレコード(『エヴァ』映像音楽メーカー)が使っているフォントは、一体何なのか。
当時はインターネット上でも探す術に思い当たらず、図書館を手当たり次第に探しました。すると、DTPの組見本らしき本に辿り着きました。
ラッキーなことに特徴的な「を」が例文に含まれていたので、とにかく「を」の形を頼りに端から端まで和文フォントをサーチしていきました。
そして、GAINAXが使っているフォントは「マティスEB」、キングレコードが使っているフォントは「リュウミンU」であることを突き止めます。
すぐに、どうすればこのフォントを使えるのか調べてみました。すると…
高価なMacintoshを購入する
高価なAdobe製品を購入する
高価なPostScriptプリンタを購入する
高価なATMフォントパッケージを購入する
高価なプリンタ用フォントパッケージを購入する
もう、絶望ですよ。この時点で必要な予算は100万円を超えています。そんなもの中学生の手が届く代物ではありません。
しかしDTPの世界との出会いは中学・高校時代を通じて次第に憧れへと変わり、「いつかは…」という気持ちでまずは本や雑誌を集めて勉強してみることにしました。
写研との出会い
そんな中で出会ったのが、こちらの1冊です。
まだ当時かろうじて現役だったとはいえ既に見かける機会も少なくなっていた写研システムについて、手動機、電算機ともども丁寧に紹介してくださっています。
ようやくこの時、小学生の頃から追いかけ続けていたフォントの正体にたどり着けたのでした。
それらは「写研」というメーカーのもので、そして同社はシステムと書体を一体的に販売するポリシーからPostScriptフォントを提供していないことを知ったのです。
見本帳を買いに
写研書体がおいそれと使えないことは、わかった。さりとて、写研書体のことをもっとよく知りたい。書体見本帳があるなら、入手してみたい……。
そう思って探してみても、同社はホームページを持っていません。仕方なく電話帳で探すと、写研の広島営業所に訪ね当たりました。勢い余って電話をかけ「見本帳ください」とお願いしたところ、営業所で1部販売してくれるとのこと。さっそく出向きます。
そこにあったのはこぢんまりした小さな事務所で、数人の方が働いておられました。唐突な電話をしてきた取引も見込めない高校生にとても丁寧に応対してくださり、ちゃんと納品書まで作り同社の封筒にいれて見本帳を売ってもらえました。
この見本帳で初めて、写研書体の全体像を知ることができました。
「これ見たことある!」
「こっちも知ってる!」
馴染みのあるフォントに頭の中で明確な固有名詞がついてイメージと結びついていくというのは、本当に爽快な瞬間です。
一時期はこれを何故か学校にまで持ち歩き、暇さえあれば眺めていました。
このボロボロになった上にファニーが載ってない見本帳は、それでも今なお私の大切な宝物です。
文字盤のある暮らし
2003年のある日、お世話になっている知人の方から連絡を受けました。
「祥太君は写研に興味があったと思うけど、不要になった文字盤が大量にあるからいる?」
青天の霹靂でした。定価でメインプレートが10万円、サブプレートが5000円。それが何十枚もいただけるというのです。
そう。私は今から20年以上も前に、「写研書体を手に入れて」いたのです。
メインプレートにはどんな字種が収録されているのか。サブプレートはどんな構成になっているのか。どの書体にどこまで字種が用意されているのか。欧文や記号、罫線はどうなっているのか。数式や化学式、発音記号のプレートはどんな感じか。
それまで本を読んでも得ることの叶わなかった知識をいっぺんに「本物」から得ることができました。
伝説の第15回電子出版EXPO
時代は進んで、2011年。時代はペーパーレス化の兆しを見せ、電子書籍化や出版視覚コンテンツの多様化など文字を取り巻く環境も大きく変わっていました。
その一方で、システムやフローに制約の大きい写研書体は世の中から少しずつ姿を消し始めていました。テレビで見かけなくなり、広告で見かけなくなり、ついには雑誌で見かけなくなり……。
そんな中、Twitterでビックリ話を耳にします。
数年来展示会という展示会から縁遠くなっていた写研が「第15回国際電子出版EXPO」に出展。こともあろうに石井裕子社長(当時)名で「写研フォント開放の試みを始めます」と言っているというのです。
2011年7月9日。居ても立っても居られず、現地へ走りました。
中村征宏さんと直接お話をさせていただく機会にも恵まれ、暑苦しく愛を伝えた記憶があります。(その節は大変失礼いたしました。)
当日のデモの様子は、こちらの動画をご覧ください。
アンケートに回答すると、お土産がもらえました。写研謹製クリアファイルに、写研式組版Q数表、いわゆる写植スケールです。
久々に写研のリアルグッズを手にし、子どもの頃に夢見た未来がすぐそこまで来ていることに期待を膨らませていました。
……それが、まさか裏切られることになるとも知らずに。
長い沈黙
待てど暮らせど、写研からOpenType化の続報はありません。そもそも写研はWebサイトもなく、こちらから情報を取りに行く術もありません。
そのうち『スマイルプリキュア!』(2012)以降はプリキュアも本編で写研書体を使わなくなり、それにともなって私自身もかつてほどの執着は陰りを見せていきます。
もはや写研書体を見かけるのは「ガンガンONLINE」に隔週で連載される『月刊少女野崎くん』のみ、という日々が長らく続きました。もう、ほとんど諦めていたと思います。
そんな中でも、2016年には写研の元社員の方々が素晴らしく資料性の高い本を出版されました。
写真植字と写研の、黎明期から電算写植に至るまでの歴史が、技術を中心とした観点から丁寧に解説されています。ここで初めて知ることがらも多く、大変勉強になりました。
「フォントかるた」との出会い
印刷博物館に出かけたある日、
「フォントかるた」大会というイベントが開催されていました。
当然、フォント大好きの私は喜んで食いつきます。
このフォントかるた、発想の面白さもさることながら、例文の「愛のあるユニークで豊かな書体」というフレーズにとても懐かしさを覚えました。
だってこのフレーズ、あの写研の見本帳の例文なんですもの。
めっちゃくちゃ楽しいんですよ、フォントかるた。盛り上がること必至なので、ぜひクリスマスや年末年始に遊んでみてください。
ちなみに大会には当日飛び入りで参加し、ちゃっかり午後の部で優勝してしまいました。
そのご縁から、こちらの本でもほんのちょこっとだけお手伝いをしたりしました。
なお、フォントかるたに込められた思いについては、ぜひこちらのツリーをお読みください。
この体験を契機に、私ももっとフォントの楽しさを伝えたい、そして写研書体のあった時代をみんなに憶えていてもらいたい。そんな思いから、一念発起します。
同人誌「プリキュアのフォント」
もともとプリキュアシリーズ初期から、「プリキュアでは写研の書体が使われていて」という話は周囲のファンにしていました。
日頃からしているそんな話を、同人誌の形にまとめてみました。
写研のみならず近年のプリキュアを支えるフォントワークスとモリサワ、DynaFont。そしてインディーズやフリーなどプリキュアの歴史を彩ってきたありとあらゆるフォントを紹介しています。
実はこのシリーズ、同人誌としての頒布部数は累計2000部を超えています。イラストもない研究・評論本では極めて異例のことで、どんなに少なく見積もっても当時700人以上の方がプリキュアのフォントに興味を持ってくれていたことになります。
中には、学生特権を活かして実際にフォントを使い始めた方もいました。ジャンルの中に、商用フォントにチャレンジしてみるカルチャーが少しずつ根付いた。とても幸せなことでした。
Twitter上でも、機会を見つけては写研書体の紹介をしていました。『グランブルーファンタジー』がプリキュアとコラボした際に「わざわざ」同作が使用したミンカールでサブタイトルを再現したことに言及したツイートなどは、大きな反響をいただきました。
しかし、写研まわりでは暗いニュースばかりが聞こえてきていました。経営の指揮を執っていた石井裕子社長も亡くなられ、さらには川越工場も埼玉工場も閉鎖。この先一体どうなるのか……。
そんな不安な日々に、一筋の、とても眩しい光が差し込みます。
希望
あれは忘れもしない、2021年1月18日のことでした。
希望と、そして安心。
私がずっと待ち望んでいた夢の時代が、とうとう具体的な計画となって目の前に現れたのです。しかも、手を取り合うパートナーが、何とモリサワというではありませんか。
ここで、当日のフォントかるたさんのツリーをお読みください。この件に関して語るべきことを余さず書いてくださっています。
3年(実際は3年9か月)という時間は人生の中でも数パーセントを占めるとても長い時間ですが、今度という今度は具体的な計画が示されているので待てる自信がありました。
そこから、じわじわと畳みかけるように幸せな出来事は続いていきます。
2021年3月8日、写研公式サイト公開。
2021年5月26日、写研アーカイブ公開。
2022年11月16日、『文字の宇宙』『文字の祝祭』の在庫通販を開始。
2022年11月24日、「石井明朝」「石井ゴシック」の改刻を発表。
2023年6月1日、書体見本帳№5Aの在庫通販を開始。
2024年02月13日、写研OTF100フォントリリースおよび初回ラインナップを発表。
そして本日2024年10月15日、Morisawa Fontsにて写研書体の提供を開始。
思えば、長いようであっという間だったかも知れません。
最初の発表からの3年9か月という時間も。
そして、私が最初に写研書体を意識してからの30年という時間も。
まとめ
とても長くなってしまいましたが、一言で言うと