"も"のはなし:もう一度輝きを手の中に
気持ちがいい天気。
まさに快晴です。
肌をツンと通り抜けるような少し冷たい風が吹いています。
眠っている身体をそっと起こすかのような風。
今日は少し身体が重たい。
馴染みの道を歩く足取りがいつもよりゆっくりになります。
身体が重たいという表現じゃないかもしれません。
少し宙に浮くかのようにフワフワしている。
同じ時間の中で目の前を歩く人たちが輝いて見えます。
どうやら考え事をしすぎたようです。
つい最近、noteに他人との比較に関して思うことを書いたばかり。
それでも、空間に取り残された自分を対象化して比べちゃってました。
まだまだこんな自分もいるんです。
人はポジティブとネガティブの双方を必ず持っています。
今日の僕は少しネガティブが強いようです。
ガラス越しに歩く人がみんな急いでいるように見えてきます。
自分がゆったりとした空間にいるから当然ですね。笑
こうやって自分なりの文章を書いていることで現状の把握ができる。
自分の姿をある意味客観的にみることができているのかもしれません。
不思議ですね。自分の今を知ることで落ち着きます。
フワフワした身体の中から焦りが消えていく感覚。
自分が冷静になれているとは….
noteで発信する(自分へのメッセージも含めて)ことは自分の成長を見守る家族のようなものだと想います。
こまめに想い残すことは無駄ではなかった。
朝からフワフワした状態になってしまった原因はわかっています。
昨日就寝前に考えて考えてモヤモヤした状態で朝を迎えたから。
『輝く』ってどういうことなんだろうとふと考え始めた瞬間に頭がフル回転して止まらなくなりました。
● 輝くってなんだろうか?
● どんな人が輝いているのだろうか?
● ありのままの自分は輝いている!?
● そもそも輝いていないのダメなの?
答えがでない状態のまま、螺旋階段の上り下りを繰り返していました。
『輝く』の定義は千差万別。
今こうやって考えると当たり前だなと思えます、
夜の一人の時間に限ってはどうしても視野が狭くなってしまうんだなぁ。
面白いですね。笑
これも自分の姿です。『ありのままの自分』です。
睡魔が限界の中で、昨日の時点で出ていた答えは
『もう一度輝きたい』
でした。
ただ、この答えは投げやりでだしてしまったもの。
どんな姿が輝いているのかわからないまま答えをだしました。
カフェで文章を書きながら、少し自分なりの定義が見つかった気がします。
『行ってきます』『ただいま』『ありがとう』が自信を持って言える
これが僕なりの『輝く』の定義。
朝、家を出ていくとき、帰宅するときに胸を張っていることって少ないなと思ったんです。
1日の始まりと終わりの行動がその日の充実度がメーターになる可能性があるなと。
『ありがとう』の言葉も自信をもって伝えると相手にきちんと伝わります。
自分が胸を張って言葉を口にできることは美しい。
何気なく使っている言葉を『輝く』トリガーにしてみます。
今こうやって想いを書いているということはまだまだできてない証。
ただ、できていない自分を攻めることはありません。
今から修正してスタートすればいいから。
何度でもやり直せるはずです。
その分深みを出したい。
『もう一度輝きたい』と思っていましたが『何度でも輝ける』という表現が合っているように思えてきました。
『ありのままの自分』でいるからこそ何度でもやり直せます。
少しうつむいていた自分お顔が前を向いたようです。
歩く人の足並みをいつもどおりみたい。
鏡を見たときに映っている自分の姿が美しくなるようになる。
『行ってきます』『ただいま』『ありがとう』を実行します。
焦らず、一歩ずつできることから。
自分の弱みを出すことは恥ずかしい。
わざわざさらけ出す必要も無いかもしれません。
でも自分の姿を知るためには『弱み』も必要です。
弱みがあるからこそ再び輝いていけそうな予感がしてます。
さて、輝き始めますか。