"ひ"のはなし:比較対象も使い方次第で魅力たっぷり!
無意識のうちに僕は『比較対象』を行っています。
昨日も意識の矛先を変えた瞬間に『無意識の比較対象』をしていることに気が付きました。
自分自身と誰かを比べてしまう。
誰もが行っている行為ではないでしょうか?
『比較対象をしなさい』と教えられて育った人はあまり多くは無いように思います。
ただ、生活環境の中で僕の記憶の中には、比較対象につながる出来事が多くあります。
『Aちゃんは勉強ができてすごいよね』
『Bくんは運動神経抜群だよね』
『Cさんは仕事ができるね』
どれも抽象的んな表現ですが、比較対象に繋がる風景です。
ありのままの出来事をそのまま言葉にしているので、誰が悪いといったわけではありません。
過去の僕はこのような言葉受け取った瞬間に、自分と結びつけて比較対象を行っていました。
その回数が増えるにつれて『無意識』で比較対象を行うようになりました。
意識的な行動が習慣で無意識的な行動に変わりました。
次第に自分を客観的立場に置き、自分以外の人同士を比べてしまう機会も増えたように思います。
『そんなことあったなぁ』と思い当たる節がある方もいらっしゃるかもしれません。
比較対象から常に優劣を比べていた過去の僕には、以下のような結果が毎回待ち受けていました。
● できてないことが浮き彫りになって落ち込む
● 優れている点が見つかり鼻が高くなる
上記のうち圧倒的に多いのは『できていないことがみつかる』こと。
毎回比較対象することは自分を追い込むだけだとも考えていました。
改めて見返すとすごい思い込みです。
どれだけ自分に完璧を追い求めていたんでしょうか...。笑
このことに今気がつけたのは良かった。
無意識からの視点の狭さがこの原因を生み出していました。
『比較対象』も視点を変えれば向き合い方、使い方が180度変わって来ます。
僕自身、『比較対象を辞めろ』と言われても恐らく辞めることはできません。
正確には、意識をすればできると思いますが多くの比較対象が無意識のうちに行われているので全てを辞めることはできない。
そのため、今からでもできることは視点を変えて、
● 比較対象で相手との違いを知ること
● 相手の良さだと思い受け入れること
といったことだと思います。
『比較対象』自体がダメということではない。
僕自身が経験していることを客観的に捉えると、
『比較した後に事柄に対して良し悪しを決めている』
ことが自分を苦しめているはず。
相手との違い、さらには相手同士の違いを知るためのツールとして『比較対象』を使うことが良いのかなと思います。
急に今までの習慣を辞めることは難しいです。
『比べた人はこんな特徴を持っているんだ。』
『これがその人の良さなんだ』
という受け入れで良いと思うんです。
◯:比較対象を違いを知るツールとして活用
✖ :比較対象で良し悪しを求める
ただ、無意識的にこの状態になるためには必ずトレーニングが必要。
意識して変えていくことは苦しいことですが、自分自身が自身の行動で苦しまないように僕もトレーニングを継続します。
『比較対象』が僕にとっても素晴らしいツールになることを目指して。
もっと多くの人の良さに気がつけるようになります。