グッバイ僕らの青春、ポケットベル。
東京テレメッセージが9月末日をもって、サービスを終了しました。
ビジネスツールとして、そしてコミュニケーションツールとして、約半世紀に渡って利用されてきたポケットベル。
「ポケベルが鳴らなくて」は今日から日本国民全員が対象です。
鳴らなかったからといって恋が待ちぼうけしているわけではないけれど。
1980年生まれの僕にとって、ビジネスツールとしてのポケベルには馴染みはなく、それは専らコミュニケーションツールでした。
友達と一緒に契約へ行った蒲田の電気店。
男同士で下二桁だけ番号の違うベルを持つことになった微妙な気まずさ。
最初は数字しか受けられなくて。
その後数字の組み合わせで文字変換ができるようになったけれど、それだってカタカナ12文字とかで。
Twitterの140文字を短いなんて思っていたけれど、僕らはもっと短い言葉のやりとりをしていたんだった!
しかもたった12文字を打つために休み時間になればわざわざ公衆電話に行列を作っていたんですから。
送るメッセージも「イマヤスミジカン」とかその程度だったろうに。
そんなの知ってるわ、同じ高校の友達に送ってるんだから。
ポケベルはドラマにもなったり、その主題歌がミリオンセラーになったり、ポケベルのCMに出た美少女(後の広末涼子)が国民的スターになったり、そういう時代のど真ん中にいたツール。
・・・後の広末涼子ってなんだ。デビュー当時から広末涼子でしょうが。
時代のど真ん中にいたけれど、今の子達には想像もできない不便さがたくさんあったポケベル。
でも僕らはその不便さも含めて存分に楽しんだ世代。
ベルの早打ちとか今思うとなんの自慢にもならないし、ベル表が頭に入っていてももはやなんの役にも立たないけれど、前を走る車のナンバーが好きな子の名前を表す数字だったりすると、少し幸せな気持ちになれるのは、ベル世代の特権だったりするのかな。
ちなみに僕はミリオンセラーになった国武真理さんの「ポケベルが鳴らなくて」より、挿入歌だった裕木奈江さんの「この空が味方なら」が好きで、CDも買いました。