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猪木vsビッグバン・ベイダー


1987年12月にTPG(たけしプロレス軍団)の刺客、ビッグバン・ベイダーとして新日本プロレスに登場。アントニオ猪木対長州力のIWGPヘビー級王座選手権が予定されていたところにTPGが割り込んだため観衆の不満が爆発し、最終的に暴動にまでなるが、ベイダー自身はその騒ぎの中、猪木から3分弱でフォールを奪った(混乱の末に猪木があっけなく負けたことが観衆の怒りに拍車をかけ、新日本はこの件で会場の両国国技館を管理する日本相撲協会から国技館の使用停止処分を受けている)。

Wikipedia

1987年12月27日、新日本プロレス両国国技館大会、オレは国技館にいた。TPG(たけしプロレス軍団)、急なカード変更、様々な茶番を目の当たりにしたオレは悲しい気持ちで国技館を後にした。観客の99%は猪木vs長州のラジカルなプロレスを観たかったはずだ。1987年12月27日はファンの気持ちを逆なでする猪木のサプライズを演出した行為が空回りし始めた日として記憶に残るのである(その前の『ギブアップまで待てない』から新日本に対する信頼は下降していたが)。そういう意味で、ビッグバン・ベイダーには変な思い入れがあるのだ。だがスタン・ハンセンやブルーザー・ブロディに比べれば遥かに格下であるベイダーをオレは全く評価していなかった。UWFを生かせず、長州も生かせない新日本がベイダーに頼らざるを得ない状況に、オレは悲観していたのである。それから10年近く経ち、唐突にその試合が発表された。
96WRESTLING WORLD IN闘強導夢 1996年1月4日 東京ドーム 第7試合 
日刊スポーツ新聞社創立50周年記念特別試合
INOKI FINAL COUNT DOWN 5th 

アントニオ猪木 vs ビッグバン・ベイダー

である。
この試合で見せたベイダーの『投げっ放しジャーマーン』はプロレス史上に残る戦慄のシーンだと思う。猪木の身体がくの字に折り曲がり失神(演出なのか本気なのか判断つかないほどの衝撃度である)。

投げっぱなしジャーマン

結局、当時53歳の猪木が腕十字で勝つという 無理やりなマッチ・メイクであったが、ベイダー生涯No.1のベスト・マッチであることに異論を挟む者はいないと思われる。それほどこの試合は凄まじかった。

腕十字

オレは、ベイダーの訃報(1955年5月14日- 2018年6月18日)で、改めてネット・サーフィンしたのだが、ビッグバン・ベイダーは、Big Van Vaderであり、Big Bang Vaderではないと、初めて知った。

Big Van Vader=でかいトラックの親父

嗚呼、風貌からはぴったりかもしれないが、長い間Big Bang だと思っていたオレには、何だか、狐につままれた気分である。
皇帝戦士のでかいトラックの親父って・・・・。
以上、Big Van Vaderよ永遠に。

※2018/06/24
オレのブログ「Sound Of Life」からセレクト

※ベイダーの死から4年後、猪木も逝ってしまった。
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