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村上龍~ Rroman a these~

村上龍について
※小説を媒介にして何かを「主張する」roman a these というような作物をいまごろ生産している作家って、村上龍くらいしかいない。
内田樹

ストーンズを聴くように、デ・ニーロを観るように、猪木を追いかけるように、私は村上龍の小説を20代~30代までは読んでいた。つまり文学という堅苦しいものではなく、POP(といっても甘ったるいものではなく、一種のカウンター・カルチャー)として村上龍の小説は傍にあったというほうが適切か。そういう意味では村上春樹もPOPであるのだが、彼の小説は読みやすいが難解という相反する性格を備え、ファンタジーとリアルが突然入れ替わり、あるいは混ぜ合わされ、結末は曖昧で、夢中になることはなかった(が、常に気になる存在だった)。村上という姓が同じというだけで何かと比較される両者だが、本質は違うと思う。大雑把にいえば、

村上龍の小説は才能ある主人公が現実をブレイク・スルーしていく。

村上春樹のそれは、普通の主人公が身に降りかかった火の粉を、呑気にパスタを作りながら、ときには地下に潜ったりしてじっくりと対処していく。

20代の血気盛んな者はどちらに軍配をあげるか。当然村上龍である。
だが、今の私は村上春樹にシンパシーを抱く。遅れてきた村上主義者である。いや村上主義者見習いである。
私にとって村上春樹の作品は大人の小説なのである。

『THE MASK CLUB』(2001年、メディアファクトリー)以降私は村上龍の小説を読んでいない。「もういいんじゃないか、村上龍は」と思い始めたのは『イン ザ・ミソスープ』(1997年、読売新聞社)からだと思う。理由は内田樹のいうroman a these(テーゼをもった小説)に嫌気が差したのである。
90年代中盤から村上龍は、日本人と日本を批判することが多くなった(裏を返せば彼は愛国者なのかも知れない)。彼のいうことは基本的には正しい。正しいと思うくらいの思考能力はいくらなんでも私は持っている。だが、正しいことはときには息が詰まる。

※「才能」というのは「努力できること」を含んでいる。
ある活動のためにいくら時間を割いて、どれほどエネルギーを注いでも、まったく苦にならないで、それに従事している時間がすみずみまで発見と歓喜にみたされているような活動が自分にとって何であるかを知っていて、ためらわずそれを選びとる人間のことを私たちは「才能のある人間」と呼ぶのである。

※二十歳を過ぎて、専門的な技術や知識の習得もないまま、十年、二十年が過ぎると、低いランクの職業に就くしか選択肢がなくなり、しかもそれは他人にこき使われることを意味する、というようなことをフリーターに向かって言う大人が誰もいない。

※「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」

というようなことを村上龍はエッセイや小説で書いている。
要するに私は彼のメッセージに疲れてしまったのである。欲望に忠実な奴らばかりだったら日本は、いや世界は崩壊しますよ、ということである。
金持ちもいて、貧乏人がいて、音楽家がいて、農民もいる、大企業の社長がいて、中小企業のうだつの上がらないサラリーマンがいて、医者がいて患者がいる、嗚呼何だかわからなくなってきたが、世界が村上龍で溢れかえったら気持ち悪い社会でしょ?暴動起きますよ、ということである。

だが、村上龍の小説は90年代中盤までは面白い。特に若い奴らには刺激的でこのままじゃいけないと思わせるパワーを持っていたのだ。

ブログ「Sound of Life」よりセレクト


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