TCG学の黎明
-学問としてみたTCGと周辺領域の関連性について-
最近、とあるプロプレイヤーが“一般TCG理論”という標題の下に、学問とTCGを結びつけるような話題を提供してくれている。これはMTGに限らず、様々なTCGに転用できるような手法で展開されている。発展性もあり、とても面白い。
自分も数年前に書店で見かけたある本をきっかけに行動経済学に興味を持って書籍を読み漁っている。そのほか、高校数学レベルの簡単な確率計算はもちろん、論理的な思考や判断の方法についても書籍等から身につける努力をしてきたつもりではいる。
ただ、一般TCGという名称で文章を書くには、経験も実績も知識も少なすぎる。特に致命的なのが「MTG以外のTCGをほぼプレイしたことがない」ことで、思考がほぼMTGに依拠してしまう。それでもある程度は一般化できる。それに、単純にMTGだけの知識であっても、自分の持っている範囲の学問を活用してより高いレベルを目指すことができるのは実感している。
そして、このように知識や能力を有効に活用してゲームについて考え、掘り下げていくと、それはほとんど学問の研究と変わらないのではないだろうかと思った。
これは個人的な意見だが、どんなものでも突き詰めていけば学問になると考えている。
例えば、写真を撮るという行為だけでも、必要となるのはISO感度や絞り、レンズの特性のようなカメラそのものに関する知識だけでない。光学的な知識はもちろん、色彩や構図など人間の知覚や認識、何を美しいと思うかについての分析、そして風景写真なら地理や気候に関する知識も必要になる。
TCGも同様で、TCGを学問として研究するとなれば、確率の計算や論理的思考、認知バイアスなど様々な学問分野の知識を活用していくことができる。そして、一つの理論としてではなくTCGそのものを学問として研究するのであれば、“○○理論”ではなく“○○学”という名称の方が語感は合いそうだなと思うので、ここでは“TCG学”と呼称したい。
余談だが、そもそもカードゲームというもの自体の歴史が然程長くないからか、カタカナ語を使わない場合に適切な日本語訳が存在しない。ゲームなら遊技が当てはまるが、カードゲームに相当する単語はない。カードが札だとすれば札遊技だろうか。トレーディングカードゲームなら流通式札遊技か交換型札遊技とでも言うのだろうか。どちらにしても○○学と記載する(例:流通式札遊技学)には少々わかりにくいのでTCG学としてみた。ただし、活用分野が狭すぎるので本当に学問として成立するとは“現時点では”思っていない。
しかしながら、現在のTCG学は、あくまで他分野の研究を活用しているに過ぎない。それは、学問探求における基礎的な段階である。法律を学ぶのに論理的な思考力を養うように、経済を学ぶのに数学が必要になるように、TCG学は今、他分野の知識を吸収している。
大学生は、1年時に教養部門で一般知識を、2年で専門基礎部門として該当分野の基礎的な知識を学び、3年から4年にかけてより専門的な研究に臨み、大学院ではそれをさらに発展させ、場合によってはこれまで誰も踏み込んでいない領域に手を伸ばしていく。したがって、まだ学問として独自の研究領域を確立していない現在のTCG学は、大学2年生からようやく3年生に入るくらいの位置づけになるだろう。あくまで掘り下げるための周辺知識を固めているに過ぎない。
だからこそ、まだまだ周辺領域における知識からTCG学に輸入できる部分は多い。すぐに思いつくだけでも、数学、統計学、社会心理学、認知心理学、認知科学、経済学、行動経済学、論理学、哲学などが挙げられる。
高校数学で学ぶ基礎的な確率計算は、TCGに限らずあらゆる卓上ゲームにとって必要不可欠であると言っても間違いない。収集した戦績データの分析には統計学が役に立つ。自分自身と対戦相手の行動を上手くコントロールするためには心理・認知バイアスの知識がなければならない。ゲーム上で的確な判断をするために必要な論理的思考については、これらの周辺領域だけでなく、幅広く学問を修める段階で欠かすことはできない。
最初にも書いたが、ここ数年は行動経済学に興味を持って色々な書籍を購入しては読み漁っている。といっても専門書ではなく、その辺で売っている誰でも理解できる一般書だが。
行動経済学から得られる二重過程理論、ナッジ、現状維持バイアスなどの知識は、書籍等から情報を得なくとも経験からぼんやりとわかる内容ではある。しかし、改めて定義されて認識すると、そのぼんやりとわかっていた“もの”が、輪郭が明確となって“概念”に変化する。そして、はっきりと輪郭が見えるようになった概念は、それを当てはめるべき型枠がわかるようになる。
知識や経験は、それを活用することで価値を持つものだと思う。ただなんとなくわかっていただけの状態から、名前が付けられ、言葉によって定義づけられた概念に変わることで、より実用的なものへと昇華する。自分の考えうる範囲だけでなく、他者から学ぶことは、より深くその“もの”について理解することができる。
この文章を読んでいる人は、おそらくTCG(主にMTG)をプレイしている人だと思う。だが、その中でTCGを一つの学問である可能性を認識し、積極的に様々な分野の知識を活用してプレイしている人はそれほど多くないだろう。
一般TCG理論から始まったこの流れは、TCGを単なる遊技としての面だけではなく、学問的な研究対象にもなり得るという新たな一面を提示してくれている。これはTCGの世界にとってこれまでなかった、もしくはあったとしても名前もなく体系化されていなかった面である。
発信者ではない我々、プロプレイヤーでも有名配信者でもない凡庸なプレイヤーとしては、画面(や紙面)の向こう側の人々の文章を読むだけになりがちである。だが、学問とは一部の発信者だけが修めるものではない。TCG学は、誰もがそれぞれの持つ全く別の角度でTCGを研究することができるかもしれない。
例えば、自分は大学で法学を学んでいた。その知識は直接TCGに転用できるものではないが、所謂“リーガルマインド“は、ゲーム上の論理的思考はもちろん、形式が法律に似ているルールの理解にも役立つ。具体的な事象から、一般化した概念に引き上げ、再び個別具体的な案件に落とし込むとか得意分野だ。
趣味で読んでいた心理学や哲学の知識は、練習に向かう姿勢や方法についてより良い環境を提示してくれる。情報科学(でいいのか?)を学んでいる人がいれば、将棋のようにAIが導入するなど、その知識が活用できる可能性はあるだろう。
MTGプレイヤーには多様な分野の学問を修め、幅広い業種で働いている人がいることを知っている。医者や弁護士等の資格職、営業、公務員等の事務職、土木や建築等の技術職、デイト―レーダーや投資家、経営者なんかもいるかもしれない。
そういった知識を集約すれば、TCG学が新たな分野を切り開くことができる可能性はある。場合によっては、周辺領域に新たな発見を与えることができるかもしれない。そして、その時は学問として社会に受け入れられている筈だ。
TCGを学問に。
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