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取柄のない人間はどう生きればいいのか?

タイトル通りの事を書こうと思う。でも、思いつくままに書こうと思うので推敲とか構成も考えずに思いついたままに散文的に書いていくつもりなので少し読みにくいかもしれません。なので、ものすごく暇で奇特な人は読んでください。これからする話は(どんなこと書くかもあまり決めてないが)自分の話になる。当たり前の話だが、こんなタイトルをつける位なので、ぼくは人を評価する能力もなければ、評価する立ち場にもない。さて、前書きが長くなったが本題に戻る。取柄のない人間はどう生きればいいのか?という命題に対して、どう答えていくかの前に、そもそも取柄とは何かを改めて考えてみる。僕が思うに、取柄とは大小は問わず、集団において人より秀でる特定の何かを有している事が”取柄”だと思う。ここで肝なのが、輪に入れない人間は取柄を披露する機会もなければ、存在を認知すらされてないという事だ。すごくシンプルに考えると、取柄とは集団の中で認知される事ができて、初めて発揮される概念であると思う。これは自分の取柄の認識だったのだが、念のため、取柄をコトバンクで調べた。

とりあげて用いるべきところ。格別によい点。えて。長所。とりどころ。とるところ。

取得・取柄(とりえ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

第一義はやはり、長所であった。つまり”取柄”とは相対的に人より優れてる特技や見た目などを指すのだと思う。どうしてか、たかだが取柄の意味一つで少し紙幅を割いたが話を戻す。ぼくには取柄がない。取柄がないということは僕には、所属先やコミュニデティがないということ。思い返すと人より何かで秀でた記憶がないのだ。物凄く記憶を遡れば、人より何かで勝ってた部分があったかもしれないが、パッとは思いつかない。もしかしたら、ここまで読んでくれた人間がいるとしたら、「別に他者に比べて秀でたものなんて無くても命までは取られないし、そんなこと考える必要がないのでは?」という意見を持つ人がいるかもしれないが、僕はそうは思わない。なぜならば、人間は社会的な生き物であり、人は本質的に居場所やイデオロギーが必要と自分は考える。でないといつの日か精神に異常を来して死に至る気がして仕方がない。話が右往左往して申し訳ないが要は、自分はこう思う。『人には居場所が必要であり、イデオロギーがないと生きていくのは困難になる。そして、それらを作りえるのが取柄なのではないか?』ということである。完全に持論のノーエビデンスだが。しかし自分には取柄もなけりゃ、無宗教者でイデオロギーもないし、居場所がある訳でもない。一応は住む場所はあるが、それは自分が勝ち取って手に入れたものではない。たんに血縁関係がある、親にどうにか安値で居させて貰えているという状態である。ぼくは取柄がほしい。しかしながら、取柄が欲しいと願うだけでは永遠に取柄は手に入れない。どうしたら、取柄が手に入るのか?という命題が大きすぎるのかもしれない。まずは所属先がある、居場所があるとは何か?どうやって、他の人は手に入れたのかを調べるのが取柄を手に入れる前段階なのかもしれない。なんか、取り留めのない話になったがこのnoteはまったくどう運用するか決まってないのでやりながら決めていく。もう二度とこのことについて考えないかもしれないし、なるべく有効的で汎用性がある方法論を考えるかもしれない。いや、それは無理か。とりあえず、いったん筆を置くためにまとめます。取柄とは相対的に人より優れてる何かを有し、その取柄を使い居場所が持続でき、自分のイデオロギーを醸成したり支える自身の土台となるものと考える。とりあえず、以上です。

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