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70年代、80年代に少女として生きた私は…

1.竹宮惠子先生の「風と木の詩」

2.萩尾望都先生の「トーマの心臓」

3.木内敏江先生の「摩利と新吾」

4.山岸涼子先生の「日出処の天子」

5.萩尾望都先生の「メッシュ」

本当は、一条ゆかり先生の「デザイナー」、池田理代子先生の「ベルサイユのばら」、美内すずえ先生の「ガラスの仮面」山本鈴美香先生の「エースをねらえ」など、子供の頃、目を輝かせながら読んでおりました。

私には、4歳上の姉がいたので、りぼん、マーガレットは姉が、少女コミック、花とゆめ、LaLaは自分で買って読んでいました。

里中満智子先生の「アリエスの乙女たち」は、少女フレンドに掲載されていましたが、随分大人っぽいストーリーと当時は感じておりました。

1から5の好きな作品が示すように、今でいうBLと思われてしまうかもしれませんが、自分の中では、とってもピュアなストーリーとして残っております。

大人になってから、嵐を好きになったのは、あの5人がわちゃわちゃやっているところが、とても仲がよくて、時々、キスし合ったりするお茶目なところも、別にBL括りではなく、普通に男子の友情のノリで好きだったのだと思います。

忘れもしない、私が中学1年生の時、夏休み、銀座三越の屋上で、竹宮惠子先生のファンの集いがありました。当時、週間少女コミックで「風と木の詩」が掲載されていました。

私は、サインをもらう前に、三越の1階の花屋さんによって、当時珍しかったデンファレの蘭を購入しました。本来はほかのはなを織り交ぜて花束にするところを、私は印象付けたくて、デンファレだけで5000円の花束を作り持っていきました。当時1本1000円、5本のデンファレです。
当時、私は結構お小遣いを貰っていて、お金持ちな中学生だったのです。

まわりは高校生が多く、中一の私は幼く見えたかもしれません。
好きになると一途な私でした。
ジルベールとセルジュの結末が悲惨すぎて、実は途中で投げ出し、最後まで読めなかったのです。悲劇のまま終わる少女漫画は辛すぎました。

私は高校一年から二年生になる春休みに入院をしました。入院中の楽しみは漫画を読むことです。
「摩利と新吾」はその時にはまりました。明治、大正、昭和と進んだ物語。大西洋戦争中に摩利も新吾も亡くなってしまい、戦後、旧制高校は無くなってしまいますが、本当に壮大な愛の物語だと思い読んだものです。

私が通っていた高校は、旧制中学校の140年を超える歴史を持つところで、バンカラな校風で軍事教練の「歩く会」(夜のピクニックの舞台)が学校行事として残っているところでした。

ですから、摩利と新吾とそれを取り巻く上級生や同級生たちも魅力的で楽しく読んでおりました。

今思うと歴女だった私は、山岸涼子先生の「アラベスク」は全く興味はなかったのですが、この「日出処の天子」の厩戸皇子(聖徳太子)に魅了され、随分歴史も詳しくなりました。

仏教好きになったのも、神道の物部氏と新しい仏教を押す蘇我氏の対立から始まるこの物語が好きで、人知を超えた存在の厩戸皇子が好きで、仏教も好きになったのかもしれません。

萩尾望都先生の「ポーの一族」はもちろん少女コミックに時々掲載されていたので、単行本も購入していますが、やはり、一人のギムナジウムの生徒が橋梁の上から飛び降りる書き出しで始まる「トーマの心臓」が私の心をとらえました。

もう一つ、「メッシュ」はパリのモンマルトルで売れない贋作画家とフランソワーズという女性の名前をもったメッシュの同居生活が描かれていますが、おしゃれなのですよ。マフィアの家に生まれ、母親に愛されたいとおもいながら育ったメッシュが純粋で可愛いのです。

美内すずえ先生は、「ガラスの仮面」の前は、怖いお話が多く、それも怖いもの見たさで結構好きでした。
そのころ、少女コミックに連載されていた楳図かずお先生の「洗礼」が怖さマックスで、びくびくしながら読んでおりました。

そうした影響は、2018年FODで最速で再生回数が100万回到達した丸木戸マキ先生の「ポルノグラファー」「インディゴの気分」の沼にはまり込む要因になっていると思います。

2月26日公開の映画「ポルノグラファー プレイバック」が今から楽しみでなりません。もちろん、DVD、単行本、フォトブックなど一通り購入し、竹財輝之助さんも大好き(もともと仮面ライダー出身だけど)です。

と、長くなりましたが、私を構成する5つのマンガでした。



#私を構成する5つのマンガ


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