Arashians(嵐ファン)のお葬式
立春の昨日、私は神式のご葬儀の司会をしました。
そのセレモニーホールに入るとき、どこからか嵐の「Happiness」が聞こえてきたのです。
「チャラララ、イエ~イエイエイ! チャラララ、イエ~イエイエイ!」
イントロ部分が流れてきます。どこかの有線放送?なんて思いながら、「今、嵐の曲流れていたよね」と言いながらホールへ入っていきました。
今は入る前に、非接触型の体温計で体温を測ってから入ります。
そこで目に飛び込んできたのは、嵐のDVDとCDのジャケットでした!
真ん中に50代半ばの女性の遺影写真があります。
故人様は、私より若い嵐のファンの女性でした。しかし、ホールの中では、穏やかなピアノのBGMが流れています。
「さっきのは、空耳?」
もう一度、入り口にいたホールスタッフに訊いてみると、
「たぶん、小学校からでも流れてきたのかな~」と言います。休み時間、行程で遊ぶ子供たちの為に流しているのでしょうか。
あまりの偶然にびっくりしてしまいました。
実は、この司会の仕事の前に、私は、訪問医療マッサージの全盲の先生の同行を1件こなしてきました。葬儀が終わったら、また、3軒回る予定です。
専属のドライバーさんがお休みのため、その日は私が同行者でした。
そうした中ですから、他の司会者にその仕事を回そうかな、と思っていたのですが、やはり、私が担当しようと何度か依頼書を書き直して決めた仕事でした。
少しすると霊柩車が到着しました。
棺の中にも、嵐全員の写真と大野君が最後の24時間テレビでデザインした掌の上に蓮の花が咲いているペパーミントのTシャツが被せてありました。
それを見た途端、私の目に涙が溢れてきました。ほぼ一緒の年代で、嵐に元気付けられてきた私。そして、多分、故人様も一緒でしょう。
故人様は、私を呼んでくださったのでしょう。葬儀司会をしていると、あー、故人様、私に司会をしてほしいと呼んでくださったのだなー、という葬儀に出会います。
その方は、独身で(私のように×がついていたかどうかは定かではありません)ご兄弟と一緒にお住まいになっていらっしゃいました。
喪主(祭主)であるお兄様は、妹さんの嵐に関することはあまりわからないようです。それでも、私は次のようなナレーションを作成しました。
ナレーション
立春を迎えました。気温は低くても、陽射しは暖かく春を感じることが出来ます。梅の蕾もほころび始めました。
令和3年1月〇〇日 時 分、〇〇A子様が命の古里へと帰幽されました。
昭和42年 月 日に生を享けられましてから、享年54歳の尊いご生涯でございました。
働く傍ら、癒しは大好きな嵐の応援をすることでした。CDやビデオを集めていらっしゃいました。メンバー5人がそれぞれお好きでございました。
昨年末での活動休止は、A子様の心にも寂しさが募ったことでございましょう。
また、A子様はここ数年、神社を巡り、御朱印を集めていらっしゃいました。お母様のこと、ご兄弟様のこと、そして、ご自分のことなど、神に手を合わせ祈っていたことと拝察いたします。
天に召されましたが、その思いは神に通じていることと思います。
A子様の御霊も白いカイトに乗って天高く昇っていくことでございましょう。そして、縁に結ばれた皆様の日々の営みを天より見守ってくださることでございましょう。
街中でふと、嵐の曲を耳にしたら、A子様がお近くで見て下さっていることを思い出して下さい。
皆様の御心のうちにあるA子様のあの日あの時に思いを馳せて頂きながら、只今からの葬送の時、御心静かにお過ごし下さいませ。
間もなく、開式のお時間でございます。
BGMは、カイト、マイガール、君のうた にしました。
今日も仕事で、ある物産センターの中にいましたが、有線放送からカイトが流れてきました。
君の夢よ 叶えと願う
溢れ出す ラル ラリ ラ
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